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2019
02.17

京都の家往復、その2 (blog,676p)

Category: 町の家にて
じつは今回の京都往復(2月1日~8日)は、結構大変だった。
前回のブログで、その前半のことは書いたのだが、年にほんの数回しか利用しない高速道路が、たまたま2月1日の、ぼくが乗った時間帯に、途中に事故があって、予定時間をはるかに遅れて目的地へ着いたことから始まった。

       庭の出来事・1
2月4日の夜に出かけた町中の『J得』というライブハウスでは、どうにも頭の悪い、根性の曲がった青年に絡まれて、最初はそれでも我慢して、ぼくとしては誠実に受け答えしていたのだが、だんだん腹が立ってしまって、最後には大声をあげてその27歳のバカ者を罵倒して、音楽仲間や店の人に制されて帰宅して、野暮なことに巻き込まれた自分を悔やんで落ち込んでしまったのだった。

さて、今日の写真だが、京都の家の裏庭で、今回滞在の最終日に発見した「惨劇の痕跡」である。
数ヵ月間放置してある状態の、裏庭の片隅に、、、あれは何かな??、、、というものが見えたので、カメラを持って近付いて行った。

       庭の出来事・2
ここは、通りに面した玄関からは25メートルほど奥まっていて、四方をすべて隙間なく、我が家及び西、南、北、の隣家に囲まれたスペースで、通りがかりの誰かがコンビニやスーパーのポリ袋に入れたごみを投げ入れたりできる場所ではない。

それで注意して視たら、どうやら何か鳥の羽根らしいことが分かった。
それもなんだか骨が残った状態の様だと判明した。ということは、この羽根は、胴体もおそらく一時期、この同じ場所にあったのではないかと思われる。
というか、たぶん、どこかから「ニワトリ」なのか、何か他の鳥なのか(鳩よりかなり大きい感じがした)がこの場所へやってきて(あるいは何者かによって運ばれて来て)ここで食い尽くされたのではないだろうか?? と思われた。
猫か、カラスか、トンビか、イタチの仕業か、、、?? 真相は分からない。
 
      庭の出来事・3
ぼくの幼年時代、郷里の実家では3羽か4羽ばかりのヒヨコを買ったり貰ったりして、ニワトリを育てていて、たまに、成長した数羽の鶏の中の一羽を、父親がひねって(屠殺して)瀉血後に、お湯を掛けながら羽根をむしり、調理して、ぼくの家では最高のご馳走になるのだった。
父親は、素朴で、真剣に、何年間かの間に何度か、同じ作業をしたものだった。
ぼくは年に一回かそこらの、その場面になると、その光景を、ずっと見つめて過ごしたものだ。

今回、この現場の写真を撮りながら、動物たちの野生の営みを想像し、自分が子供だった時分の薄れた記憶を、少し呼び戻していた。

 ( 2019・2/17 )
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2019
02.13

京都の家往復、その1 (blog,675p)

Category: 町の家にて
1月末に(去年、自動車のバッテリーが上がってしまった時、自動車保険のサービスで、チャージしに来てくれた)自動車修理工場へ頼んで、去年ぼくが近所のスーパーの駐車場の鉄のポールにぶつけて潰してしまった前照灯の、プラスチックカバーとレンズとを交換修理してもらったら、こんなにきれいに修復してくれた。(今までは自分で応急処置して、粘着テープで、ライト周囲をベタベタに張っていた。)

        京都往復・1
右側のヘッドライトの下、タイヤカバーとバンパーの一部は、へこんだり歪んだりしたままだが、板金修理をすると、代金が非常に高くつくということで、板金加工はしないで、基本『車検を通せればいい』という相談結果に落ち着いたのだったが、必要十分な修復と部品交換をしてくれてあった。
そのうえで、ちゃんと車検も通過して、前輪も2本交換してくれて、今まで、車検も点検整備も京都で、新車購入以来15年間ずっと、ホンダディーラーに任せっぱなしだったことが悔やまれるほどの行き届いたサービスだった。(車検費用と部品交換と修理代金を合わせても、京都のディーラーで車検だけ頼んだ場合より安く仕上げてくれた。)

それで早速、2月1日から8日まで、京都往復をしてきたのだが、これはなかなかハードな部分があった。

先ず行きがけに、ぼくは普段ほとんど高速道路を使わないのだが、今回は、夜のライブハウスの飛び入りステージに出演したかったので、少し時間的に余裕をもって京都の家へ到着しようと思い、高速道路に乗って行った。、、、それが裏目に出てしまった、、、

        京都往復・2
高速道路インターの入り口に『この先、事故で7キロ渋滞』と告示が出ていたのだが、ぼくは「渋滞といっても7キロぐらいなら20分ぐらいで通過できるだろう」と高を括っていた。
ところが、走り始めて数キロ行くと、突然大渋滞(停滞)の長い列となって、すべての車がほとんど動かない状態になってしまった。
高速に乗った時には、夕方のまだ明るさが残る風景だったのが、段々暗くなり、交通情報掲示板の表示で、渋滞は17キロまで伸びてしまったことが分かった。
しかしもう高速道と一般道の道筋の遠く離れた場所で、しかも長いトンネルが重なっている地点だったので、今さら下道へ降りることもできず、前にいるトラックのナンバープレートが、珍しい8・88並びだったのを写真に撮ったり、自分の曲の音源をイヤホンで聴いたりしながら、渋滞区間をノロノロと通過するしかなかった。
その結果、一番渋滞が激しかった4キロ区間を通過するのに、なんと70分もかかってしまって、まったく高速道路の様を呈さなかった。(それでも料金は取られ、一般道を走るより遅くなってライブハウスへ着いて、駐車場料金もかかって、ビールも飲めず、踏んだり蹴ったりであった、という次第。)

       京都往復・3
翌日は、娘が町中のライブバーで、音楽仲間が主催したライブに出演したのを観に行き、オーナーに里芋や八朔ミカンやレモンをプレゼントしてきた。

        京都往復・4
今回の京都滞在中は、ほぼ毎日、どこかのライブハウスの飛び入りステージで歌ったり、昼間は町のギャラリーを歩いてたくさんの絵の展覧会を観たり、家では(パソコンがないのでネットはやらず)本を読んだり、まだまだ片付け切れていないマンガ資料や本を片付けたり、ちょっとエレキギターを弾いてみたりして過ごした。

        京都往復・5
去年の10月下旬に、ぼくたち家族はこの家を後にしたのだが、ぼくは時々行ったり来たりしているので、まだ完全に町の家を引き払ったという気がしていないし、実際に生活荷物もまだまだ往復する度に、たくさん運んでいる最中だ。

たった数ヶ月間、放置しているだけだが、家の裏庭は、だいぶ荒れ果ててきている。
でも8メートル四方ぐらいの狭い庭だから、ぼくが現在置きっぱなしにしているスモーク(燻製)作り用の材木や道具を片付けて、その後、息子たちが暮らすようになったら、少し手を入れれば、きっときれいな庭か家庭菜園ができることだろう。

        京都往復・6
ぼくは、京都で過ごした40数年中、30数年をこの家で暮らしたので、京都の暮らしといえば、この家の環境、生活記録が思い浮かぶ。
おそらくぼくの生涯で最も長い年月を過ごした場所が、この京都の家ということになるだろう。
生まれ故郷を出てからもう50年を超えた。 今度の村の家で、ぼくと家人と家人の母は、どんな日々を過ごして行くのだろうか。(きっと楽しい、良い人生を送れるだろうと思う。)

 ( 2019・2/13 )
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2019
02.05

海の博物館・付記 (blog,674p)

『海の博物館』へ行ったことを書いたのだが、展示内容のことで、どうしても一つ書き足りないことがあるので、今日は『付記』を書いておきたい。

この博物館は、伊勢湾の出入り口に当たる、鳥羽市の浦村漁港(生浦湾)に近い場所にある。
海岸の方は、昔からの漁村の趣が今でもそこここに感じられる土地柄で、湾内には現在、たくさんの牡蠣やノリの養殖筏が並んでいる。
博物館内には、そうした伊勢湾岸の漁業の歴史や、漁法や、漁民たちの労働の足跡も知ることができるような展示がされていた。

        海の博物館・16
同時に、世界のあちこちの海洋民が作って、使ってきた船の模型もたくさん展示されていた。(残念ながら、時間がなくて今回は見物できなかったのだが、相当数の本物の漁船が蒐集され、展示されても居るという。)

そして、順次見物して行った広い棟内の一角に、ちょっと、他の展示物や展示内容とは異色と感じられそうな、緑色のパネルによる解説のコーナーがあった。

           海の博物館・15
それがこの『海の汚染はいま』というテーマのコーナーだった。
海の汚染、ということが世上の話題になって久しい。
それはぼくたちの誰もが、今まで、普通に生活している中で、よく目や耳にしてきた話題である。
ここ三重県には、昭和30年代に顕在化した、四日市市の臨海工業地帯の『四日市公害(四日市ぜんそく)』が有名であるし、近くは、その四日市公害事件の被告4社の中の1社、石原産業による、六価クロムなどの有害物質(産業廃棄物)を、大量に処分するための、偽りの道路施設材料フェロシルトが、大量に違法に投棄されていた環境汚染問題もあった。

        海の博物館・11
小学生だったぼくが、その四日市公害事件を知るより5,6年前、ぼくの生まれた静岡県では、あの『第五福竜丸事件』が起きたのだった。
焼津港を母港に遠洋マグロ漁業に就いていた『第五福竜丸』が、ビキニ環礁で、米軍の水爆核爆発実験を知らされず、大量の放射能に被曝して、乗組員の方々に甚大な放射能被害が発生した事件だった。

今回訪ねたここ、鳥羽市の海の博物館で、ぼくはその第五福竜丸の模型が展示されているのを観たのだ。
そして、この博物館の展示を構成する人たち(学芸員)の中に、こうしたテーマをしっかり捉えている人がいるか、あるいはそうした考えが、一つの学問的コンセンサスになっているのかもしれないと思った。

        海の博物館・12
海に親しみ、海と共生し、海に育まれて暮らしを立ててきた沿岸地域の人々にとって、海洋の汚染は、差し迫った死活問題にもなるだろう。
そういえばこの三重県の南伊勢地方の人々は、中部電力が計画していた、原子力発電所建設の策謀を、長い年月、最後まで反対と抵抗の運動を続けて、ついに断念させてくれたという輝かしい歴史を持っているのだ。

        海の博物館・13
自然環境が変質させられてしまったら、その自然に頼ってしか生きて行くことができない生物は、必ず影響を受け、生命や健康が害され、生態系は破壊されてしまう。
人間も必ずその影響を受けて、いかなる汚染であっても、放置すれば、やがて必ず甚大な被害と犠牲を生み出すことは目に見えている。

        海の博物館・14
海を守ろうということは、命を守ろうということで、それはぼくたち自身の生きる存在(平和に生きる権利)を守ろうということに直結している。

今、沖縄、辺野古の豊かな生態系を維持してきた海が、米軍基地の拡張と、それを金儲けの道具としか考えない腐った土建資本、米国の奴隷である日本政府、安倍政権の、犯罪的な強権発動政策によって、埋め立てられ、環境が破壊されようとしている。
ぼくも、ぼくたちの家族も、みんなその犯罪政権に反対している。

        海の博物館・17
海の博物館には、様々な展示があった。
今日最後の写真は、その中の(30年位前までは、どこの村や町にもあった)懐かしい、ごく普通の魚屋さんの、店頭風景の展示を載せておきたい。
ぼくたちの子供も、孫も、みんなが、こういう豊かな海の幸を、心配せずに食べて生きて行ける世界を続けなければと思う。

さて、家へ帰って、翌日の夕食時に、この浦村の牡蠣小屋レストラン(大衆食堂?)で買ってきた『牡蠣のつくだ煮』を食べたのだが、絶妙の美味しさで、酒飲みには極上のつまみだろうと家で3人で話し合った。

 ( 2019・2/1, 記、2/5,up )
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2019
02.02

海の博物館、見学 (blog,673p)

前回のブログの続きを書いておきたい。
素朴な牡蠣小屋レストランの『素朴な牡蠣尽くしの昼食』で、お腹がいっぱいになったぼくたちは、鳥羽市立『海の博物館』を見物(観覧)に行った。

       海の博物館・1
地図で眺めても、これと言って派手な印象があるわけでもなく、大都市の近郊でもなく、今を盛りの観光エリアでも、産業エリアでもない、いや、どちらかといえば、むしろ斜陽化している漁業で暮らしてきた古い津々浦々の一つである、この鳥羽市に、これほどしっかりした博物館があることが、嬉しい感慨を抱かせてくれる。

       海の博物館・2
新しい建築物だが、昔の時代の大きな木造倉庫といった趣の(実際には相当巨大な)展示棟が、全部で六棟建てられていて、それぞれの建物は、海岸に近い山肌の、林に囲まれた連絡通路で結ばれている。

       海の博物館・3
展示棟が傾斜地に建てられていることと、内部の展示も立体的な構成にしてあるために、観覧通路の途中に、階段部分も多い。(スロープもある程度つけられている。)
それで、歩くことが不自由になっている家人の母には、受付で、車椅子を借りて、家人やぼくが押して、展示を見物した。

        海の博物館・4
展示品は実に雑多だった。
ぼくが最初に足を止めたのは、この小さい潜水艇と、そこに並んで展示されていた潜水筒だった。
どちらも一人乗りの鉄製潜水機で、昭和30年代初期(1950年代)に、個人が作ったものなのだそうだ。
昔の子供マンガに出てきそうな、非常にシンプルな、まるでオブジェのようで、実用に供するのは無理なような潜水機に見えたのだが、青森と函館の間に青函トンネルを建設するに際して、事前の岩盤調査に使われ、大いに役立ったものである旨が、解説されていた。それはすごいことだと思った。

        海の博物館・5
上の写真で、潜水艦の横に立ててある梯子を上って、中へ入ってもいいと書かれていたし、ハッチも空いていたので、子どもの頃の好奇心を思い出して、中へ入って見物してきた。

       海の博物館・9
たぶん、この博物館を最初に計画したり開設した人の思いが伝えられてきたのだろう。
展示の構成全体に、ちょっとレトロな、漁村の人々の暮らしを(民俗学的にも)記録するような流れが感じられて、それはぼくのような(海浜エリアとは離れた場所ではあったが)昭和30年代に幼年期、少年期を過ごした人間にとって、まったく知らない世界であったにもかかわらず、どこか懐かしいような気持ちを呼び覚まされるところがあった。

          海の博物館・7
ぼくは小学生の頃から、自分で材料を工夫して、いろいろな模型を作ったり、それを組み合わせて小規模なジオラマを作ろうとしたりしていたことがあって、上京後の一時期、友人に誘われた偶然の縁で、特撮映画製作の円谷プロダクションで、2年足らずの短い間、制作現場アルバイトとして働いたことがあった。
そういうぼくのような人間にとっては、各地の博物館で見る、ジオラマは楽しいものだ。

       海の博物館・6
ここには、海辺の生活に関連した、産業や労働のいろいろな現場が、大きい復元モデルや、小さい復元模型や、本物の道具や、写真や、記録文書として、集められ、展示されている。

       海の博物館・8
人々の暮らしの記録、記憶が、小さな郷土館であれ、ここのような大きい博物館であれ、誰にでも見られる資料として展示、解放されているのは嬉しい。

       海の博物館・10
入館したのが、午後遅い時間になってしまったので、たくさんの展示棟の全てをゆっくり見て回ることは出来なかったし、博物館出入り口の前にあった、良い感じのカフェレストランにも(時間切れで)入ることができなかったのが残念だった。
家人と「これはまた来る理由になるね。」と話し合いながら、見応えのある博物館を後にして、帰路についた。

 ( 2019・2/1, 記、2/2,up )
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2019
01.31

生浦湾・浦村 (blog,672p)

先週1月24日に、家人の母親(ぼくの義母)を地元の病院へ送迎した日、もう自分の足で気ままに外を出歩くことが出来なくなった94歳の義母を連れて、伊勢市を越えて、鳥羽市までドライブしてきた。

目的は二つ、、、
一つは生浦湾(浦村魚貝湾)の冬の牡蠣を食べること。
もう一つは、その近くにある鳥羽市立の『海の博物館』へ行くこと。

       鳥羽の海、カキ・3
そこは、紀伊半島の東の端、伊勢湾の出入り口に位置する、典型的なリアス式海岸で、平地はほとんど無い。

ぼくはちょっと道を迷いながら(義母を乗せる車には、ちゃんとナビもついているし、家人はスマホナビでぼくに、道が違っているようだと助言をしてくれたのだが、そういう便利な道具を使い慣れないぼくは、やはり昔と同じように道を何度か間違えてしまった。)それでもなんとか、たくさんある牡蠣小屋食堂の一軒へ行き着いた。

       鳥羽の海、カキ・1
受付でレジのおばちゃん(72歳!)の勧めるままに、生ガキの焼き物と、牡蠣ご飯と、牡蠣の味噌汁を注文した。

       鳥羽の海、カキ・2
ぼくたち3人で(アルミのバットにドドッと乗せて運ばれてきた)20数個の焼き牡蠣一盛を食べ、ご飯もたっぷりあったし、みそ汁も旨かったので、満足して、食後も、もう少しゆっくりしたかったのだが、、、

お店はもう昼時を過ぎて片付け時間らしく、7,8人いる漁師さんやその家族らしく見える従業員さんたちが、慌ただしく掃除などを始めていたので、どうにも居辛い感じで、、、

       鳥羽の海、カキ・4
ぼくらは、慌ててお店の特製『牡蠣のつくだ煮』を1パック買って、海の見える山の途中にある『牡蠣小屋レストラン』を後にした。

       鳥羽の海、カキ・5
そして、その牡蠣食堂から程近くにあるはずの『海の博物館』へ向かったのだが、これがまた、ぼくの運転の常で、やっぱりどうも、素直に行き着くことが出来ず、随分苦労して、ヒヤヒヤしながら、道無き道をウロウロと走行した揚句になって、やっと目指す博物館へ到着できたのだった。

その博物館は素晴らしかった。
ぼくにとっては、これが本当の『テーマパーク』といえる施設だった。
というところで、そのレポートは次回のブログで、写真もたくさん載せる予定。

 ( 2019・1/31 )
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