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2018
01.26

ぼくの方丈記〔3〕 (blog,585p)

今日は前回ブログに引き続いてぼく自身の「マンガに関するあれこれ」をもう少しだけ書いておきたいと思います。
ぼくは22歳で描いたマンガ(劇画)が出版社(編集者)に認められて漫画(劇画)の月間雑誌に掲載されてデビューしました。
(そのデビュー時の思い出は近日中に刊行する自分の別の出版物で書く予定です)

さて最初の2枚の写真にあるマンガ原稿(画稿)は23歳の時に画いた作品で、プロデビューした後たった2年足らずの間に描いた僅かな本数の作品の内の一つです。

        マンガ原稿など・6
このマンガ(劇画)は当時としては自分では少々斬新なテーマだと自負して描きました。
世間一般に喧伝されていた『劇画』は【本当の劇画ではない!】という思いがぼくにはありました。

小さなプロダクションとの契約に縛られて地方回りをするロックバンドの若者たちが作品の主人公です。そして実は作中にぼく自身が作詞作曲した楽曲が描きこんであります。
でも今のようにYouTubeなどがあるわけでもなく、誰の注目も浴びずに消え去りました。
(おそらく当時、無名の若者たちのロックバンドや地方のホールのライブの光景や自分で作詞作曲した楽曲を描いたマンガなどは他には全くなかったと思います)

ぼくの作画表現力は凡庸だし、短いページ数の中であまり掘り下げてはいませんが、その若者たちが【今日と明日をどう生きるかというのがテーマ】のつもりでした。

        マンガ原稿など・7
そして物語の終りには草原(荒地)の見開きページに自分の詩のような短文モノローグだけを載せてあって、その出版社からは「もっと派手なマンガを画いてほしい」と言われたのにこんなラストにしたのでそれきり仕事が打ち切られました。

ぼくは市井の本屋さんや駅の販売スタンドに並ぶ『コミック誌』に読み切り作品を画いて持ち込んで気に入ってもらえれば買取りで使ってもらうという自由契約で「自分で描きたい作品をアシスタントも使わず全て独りで画き上げて(ここなら自分の作品を掲載してくれそうかなという出版社に)持ち込んでいました。
幸いなことにその時期にぼくが描いた作品は一つ残らず全部掲載してくれる雑誌(編集者)がありました。
漫画を描くといっても出版社を相手にした行商人のような毎日ですから、失業手当ても健康保険も何の保証もない暮らしでしたが自分の作品が雑誌に載っていくらかのお金にもなったので、ぼくは創作の喜び(苦悩も含む)を味わっていました。
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さて、ここから下に載せた写真はまだ一度も本原稿(ペン画を描き込んだ画稿)にしたことがない下書き原稿です。
ぼくは10代の半ばから学校新聞や一般雑誌に四コマ漫画や小さなカットなどを採用されてはいましたが、全国販売される雑誌などにカットを画き始めたのは18歳の時からでした。

それから更に数年後に初めてちゃんと仕上げた27ページのマンガ(劇画)が一般雑誌に掲載されたわけですが、その間、様々なアルバイトで生活費を賄っていました。

        マンガ原稿など・8
その中の一つに当時テレビ映画と劇場用に特撮場面を制作、撮影していた『円谷プロダクション』で1年と少しの間、美術スタッフとして働いた経験がありました。

        マンガ原稿など・9
この下描きしかできていないマンガはその円谷プロダクション時代の自分が接した人々や目にした光景、付き合いの中に感じた情景を前編、後編の2回に分けて60~70ページ位で描こうとしたものですが、半分位で手が止まったままもう40年近い月日が過ぎ去りました。
この作品ももし続きを画き起こせたら描き切ってみたいと思っています。

        マンガ原稿など・10
というような感じでぼくのマンガ経歴について綴ってきましたが、こういう次第でまだ完成しなかった作品についてはほとんどの描きかけ画稿や下画きが今もぼくの手元に残っています。

しかし今になって考えると非常に残念なことですが、現在ぼくの手元には当時発表した全作品(雑誌掲載分)の半分程の10数作品分しか『完成原稿(画稿)』は残っていません。
これについては事情があるのですが、それもまた時と場所を改めて書こうと思っています。

( 2018・1/22記、1/26,up )
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2018
01.23

ぼくの方丈記〔2〕 (blog,584p)

ぼくはたぶん今月いっぱいで家族で三重の農村部の新しい環境の中へ移って行きます。(ちょっと希望通りに工事の段取りが進捗していないのが気にかかりますが)

今後の予定としては準備が整い次第 Homepage も立ち上げるしBlog や Facebook でも報告して行きます。もちろん当初の計画通り出版物の発行も開始します。
『出版物』といっても大層なことを目論んでいるわけではありません。
ぼくは若い頃、ほんの一時、一般の漫画雑誌にいわゆる『劇画』というジャンルのマンガを画いて暮らしました。
でもマンガだけを画いて暮らしたのはたった2年足らずで、すぐに生活に行き詰まり、いろいろなアルバイトや自分で仕事を創り出したりしながら暮らしてきました。
その間にもマンガのことは一日も忘れたことはありません。

  (下の写真は今までにマンガを発表してきた雑誌や自分の作品の切り抜きファイルの
   一部、もっとあるのだが他の発表誌などは既に引っ越し荷物で箱詰めにしてある)

                 ↓       ↓
       マンガ雑誌・表紙
しかしあまりに少ない発表点数と経歴のため、ぼくの劇画、漫画、カット、絵などはついに他者によって一冊の本にまとめられることはありませんでした。

それでこれから自分で自分の本を作って出版して行こうとしています。
マンガの原稿(画稿)やカットイラストや油絵や作文は、完成したものも途中のものもアイデアだけのプロットや下書きも、今も日々に手元に溜まり続けています。
                ↓        ↓
       マンガ原稿など・1
   (上の写真は14,15歳の中学、高校生時代から23,24歳頃までに画いた作品の
    ストックや書きかけ原稿、創作メモなどの一部)


今日はそういう諸々を少し並べて写真に撮って掲載してみようと思います。
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この下2枚の写真は17歳の時に画き始めて22歳になるまで描き続けたのに遂に完成できずに40年以上が経ってしまった『蝉』というマンガです。
                ↓        ↓
        マンガ原稿など・3
                ↑        ↑
上の写真で左側半分に見える10枚ほどの「小さな紙に書いてある鉛筆画き」は清書原稿に画き写す前の下画き(草稿)段階の原稿で、右側に4,5枚大きめの紙に画いてあるのが印刷寸法より20%拡大した画面で画き上げた本原稿(画稿)です。

        マンガ原稿など・2
上の写真に写っている8枚の画稿 ↑ ↑ も同じ作品の出来上がり分です。
このマンガは30数ページで描く予定でしたが画いている内に違う表現の場面を次々に思いついて画き直し、その上プロデビューをした後にこのマンガの一部を別の雑誌発表用原稿のプロットに使ったりしたので行き詰まってしまって完成できませんでした。(でもまだ諦めてはいません。自分としては大事なテーマの作品なので、これからもう一度画き続けてぜひ完成させたいと思っています。)
(でもこうやって画稿を見返してみると、自分の漫画表現の技能が10代後半か20代前半から
 あまり進歩してこなかったことが一目瞭然!分かってしまうなあ、、、)

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そしてこの下の2枚の写真は高校卒業直前の冬から上京するまでの2か月間掛かって完成した『無言劇画』(サイレントマンガ)の原稿(画稿)です。
                ↓        ↓
        マンガ原稿など・4
        マンガ原稿など・5
                ↑        ↑
ぼくは幼少時から単純な正義感を胸の奥に宿してきました。(今もそのままです)
その感覚で描いた「反戦、プロテスト」テーマのこのマンガについては当時あこがれのマンガ家だったつげ義春氏と会って話した思い出が絡んでいるのでそのことは別の機会に書こうと思います。


( 2018・1/23 )
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2018
01.14

今年の目標・その1 (blog,580p)

なかなか世間のスピードについて行けないのは若い頃からぼくの習性なのですが、そうは言っても一年中動き出さないわけではないし何もしていないわけではありません。
今年も少しづつですが自分の目標や希望を実現すべくささやかながら活動を始めています。

今年は先ず引っ越しが最優先、最初の課題です。
荷物も人も移動が大変難しいのですが、何せ新たな生活環境となる三重の村の家の工事の残りがまだ完了していません。
それでも引っ越してぼくは今年から新しい仕事を始めます。

今年やっと始める新しい仕事の一つは『マンガ個人冊子』の出版活動です。

      自費出版本など
                ↑        ↑
             (自費出版マンガ作家たちの作品)

ぼくは若い頃にプロの漫画家になったのですが、たった2年足らずでマンガ世界から落ちこぼれてその後は自分で何かしら仕事を創り出して暮らしてきたので、今まで雑誌に発表出来た作品は数える程しかなくて友人知人以外の人々はぼくがマンガを画いていたことを知りません。

それでこれからぼくは自費出版で何冊か、あるいは何十冊か創作意欲と体力と印刷費用が続く限り、自分のマンガ作品や絵や作文を掲載する冊子を作って行くことにします。(基本的に個人誌なので同人マンガ誌とは違います)

        なるなる頁
                ↑        ↑
 (今日の写真はいずれもぼくの作品ではありません。これは「なるなる文庫」さんの作品)

独りで自分のマンガ作品を出版する人たちは昔からたくさんいました。
そのルーツは「貸本出版の歴史」にあるように思います。
現在では『貸本屋さん』は消滅しておよそ半世紀になりますから出版された冊子はイベントや小規模書店で頒布されたりネットで頒布、販売されるのが大半で、ぼくも流通経路はそうした方法を模索しようと思います。(そのシステムは同人誌と重複しています)

        アニュウリズム頁
                ↑        ↑
           (こちらは「アニュウリズム」さんの作品)

実はこの計画はもう40年以上胸にしまっていました。それで参考資料として、小規模なマンガの同人誌や本や冊子をたくさん購入して集めています。(美術館やギャラリーの作品パンフレットやカタログなども同様に収集している)
                ↓        ↓
   (木口木版の版画家・二階武宏さんの版画作品、個展会場で販売のレゾネより)
        木口木版
その中に何人か注目している人たちがいるのですが、ぼくとしては当面、今日の写真に載せた『なるなる文庫』さんや『アニュウリズム』さんのようなやり方が出来たらいいなあと思っています。(なるなる文庫さん、アニュウリズムさんはぼくの好きなインディペンデントマンガ作家)

ぼくが始める個人マンガ誌の名称は10年以上前から決めてあります。(『創刊号』のデザインもしてあります)
掲載作品は多分、自分がかつて発表したマンガや作文と、未発表のいろいろを混載することになるでしょう。その仕事がきっと引っ越して最初の作業になると思っています。
もう直ぐです。

( 2018・1/14 )
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2017
02.13

アドルフ・ヴェルフリ展 (blog,470p)

2月11日土曜日の午後、電車に乗って家人と二人で前から好きだったスイスのアール・ブリュット画家、アドルフ・ヴェルフリ展を観に行ってきました。
前々日の9日から降った雪が当日の朝未明、まだ町の家の裏庭に積っていましたので天侯を気にしていましたが、アスファルト道路には残雪もなくどうやら行けそうだというので出掛けました。
         2017_02 11_ヴェルフリ展・前日
     (我家の裏庭から隣の家を見たところ。右上の方に光っているのは月)

そして駅についてホームで電車を待っていると「隣県の大雪のために到着列車が遅れている」というアナウンスが繰り返されていました。
そこから約70キロ程西の方にある二つ隣の県の瀬戸内海に面した町の美術館まで行ったのです。
いつもはほとんど自分で自動車を運転して移動するばかりで電車に乗ることが無くなって久しいので70キロ位の距離でも列車の乗客になると嬉しく感じてずっと車窓から町の風景の向こうに見える山々を眺めていました。
      2017_02 11_ヴェルフリ展・当日
(美術館は超有名建築家が大きい予算で設計したものだが出来の悪さばかりが目につく不便でひどい建築物で心底ガッカリした。上の写真は館内2階通路から港の方を眺めたもの)

【アール・ブリュット】(美の原質=芸術の神髄)という作品と作家に対する尊称を初めて用いたのはフランスの美術家(画家、造形家)のジャン・デビュッフェという人だと以前美術書で読みました。(デビュッフェの作品も良いけどちょっと退屈な面があるとぼくは思う。)
それは英語圏で【アウトサイダー・アート】(もう一つの芸術)と呼ばれるカテゴリーになっているものと大体同じです。(ただし米国の場合、かなり商業的な指向性が強いとぼくは感じている。)
     2017_02 12_ヴェルフリ展・3
(ヴェルフリの作品は基本的に『新聞紙を全部広げた大きさ』の紙に鉛筆の線と白黒の濃淡か、色鉛筆の彩色で描かれている。それには理由がある。)

ぼくがヴェルフリの作品を始めて見たのはもう30年も前のことになりますが、その時にはほんの数枚でした。
その後1993年になって東京世田谷美術館の『パラレルヴィジョン』という展覧会でもまた数点の作品を見ることができましたが、今回ほど多くの作品が並んだ展覧会を見るのは初めてです。(もちろん日本国内では今回が最初のヴェルフリ作品だけの大展覧会になる。)

     2017_02 12_ヴェルフリ展・4
ヴェルフリは自分のことを【孤児(みなしご)で大作曲家で理想郷の王様で聖人で大工さんで農事労働者で冒険旅行家で宇宙開拓者で数学者で大資産管理者で怒れる日雇い労働者だ】と思っていたようです。(もっといろいろな大空想の人だったらしい)

彼は1864年にスイスのベルンで生まれ、早くに両親を亡くし、差別と偏見の中で貧しく厳しいパンと寝床を得るための労働する少年(孤児)時代を送り、青年時代に2回の少女強姦未遂事件を起こして監獄で2年間の懲役に服し、その後3度目の同犯罪事件を起こして精神科病院へ矯正隔離(拘束)されてからついに生涯病院を出所することなく囚われの一生を送り、亡くなったのは1930年66歳の年でした。(その間に病院の外へ出たのは収容患者たちが遠足で離れた町へ往復した僅かな回数しかなかったという。)

     2017_02 12_ヴェルフリ展・5
ヴェルフリの作品のほとんど全ては彼自身の大空想の自伝物語と大作曲活動の譜面とそれらを説明したり解説するイラストや絵画の組み合わせによって同じ大きさの紙と鉛筆と色鉛筆による筆記と描画で創作され膨大なノート(本)の形で表現されたものだそうです。(それらの紙と鉛筆は病院から与えられた材料だったために作品はいつも同じ表現様式とスケールとなった。)

彼は病院に拘留されて5年後の1899年頃から絵や物語文字や数字列を描き始めたようですが、病院当局からそれらは意味や価値を認められず1904年になるまで全ての作品が処分されてしまって何も残っていないということです。

しかしその後、いろいろな機会が彼の作品と身の上に訪れて段々と広く存在が知られることになり、1910年代半ば以降は作品の大半が保存されることになって今ではヨーロッパをはじめ世界中でヴェルフリは【現代芸術の創始者の最も重要な人物の一人】となっています。(作品を保存したのはヴェルフリ自身だった。)
と、今回買って来た展覧会カタログ『レゾネ』に解説が書かれていました。

現在保存されている彼の『作品』は新聞全紙大の絵画1,600点とコラージュ1,600点を含む稀有壮大な楽譜と自叙伝など(45冊の厚い糸綴じ本および別の学習ノート16冊)で合計2万5千ページにのぼる創作物が有るそうです。
これ全体をヴェルフリは精神科病院の中の自室(ある時期は暴力を振るって長期間独房に入れられていた)で22年間に亘り描き続けたのだそうです。

  2017_02 12_ヴェルフリ展・1  2017_02 11_ヴェルフリ展・2
今回ぼくは展覧会場へ入って直ぐの壁に展示されていた鉛筆だけで描かれた2枚のモノクロ画に先ず圧倒されました。
そして合計74作品を観了わるのに3時間近くかかり、会場を後にする際にヴェルフリと作品へのオマージュをこめて彼が自分の作品を指差すポーズを真似て写真を撮ってきました。

ぼくもささやかですが創作意欲を持つ人間なので今回の展覧会を見ることができて嬉しかったです。画くぞー!描くぞー!と改めて思っている次第です。

 ( 2017・2/13 )
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2017
01.25

古い古いマンガ本 (blog,464p)

今日のブログ記事がアップされる頃は、ぼくは村の家でちょうど一週間位滞在している時だと思います。

今年は正月前後をずっと長く家で過ごしていましたので、いつもの年明け時期よりのんびりと好きなマンガ本を手に取って眺め(一応ぼくの人生「選択」はマンガなので)いろいろ楽しみながら考察を巡らせていました。

マンガと名がつくものなら大方は好きで、それなりに広く目を凝らして眺めてきたものですが、自分で買って保管してきた種類(コレクション)には一定の傾向があって、その最も大きい特徴はなんといっても【古いマンガ本】だと言えるところです。

今日はそんなぼくのマンガ・コレクションの中の4冊の『赤本マンガ』と『おもちゃマンガ本』を紹介してみようと思います。(どれも今から60年~70年前1940年代~’50年代に製造販売されたもの)

2017_01 19_赤本マンガ・1 2017_01 19_赤本マンガ・2
上の写真に写っている4冊のマンガ本(写真左側は表紙で右側は同じ本の裏表紙)の内、上に並べた2冊は『おもちゃマンガ本』で下に並べた2冊が『赤本マンガ』と呼ばれたものです。

『赤本マンガ』と『おもちゃマンガ本』なんて言ってもぼくのようなマンガ好きででもなければ何のことか分からないに決まっていますが、ここではあまり詳しい説明は省きます。
近い内に別の媒体でマンガに関するいろいろなことを書いて徐々に発表して行く予定です。

まあ簡単に言うと『赤本マンガ』は本の体裁は現在の一般書籍に近い製本で、小さな出版社や個人商店などが事業として出版して一般書店や露天営業の古本・ゾッキ本商人、そして貸本屋さんなどに販売されて流通した子供向けのマンガ単行本で、店頭や露天に並べて販売する際に少しでも人目を引くようにと【表紙の印刷に赤色を多用してあった】ことから業者間で通称『赤本』と呼ばれていたものでした。
(赤本マンガは別名『お土産マンガ』とも呼ばれたがそれについては既に当ブログで書いたことがある。)
       2017_01 19_赤本マンガ・3
         ( ↑ こちらの2冊が『おもちゃマンガ本』 ↑ )
おもちゃマンガは赤本マンガと同じ小さな出版社や、その他にも地方の印刷屋、駄菓子製造業者やおもちゃ製造業者などによって雑多に制作され、一部は赤本としても流通しましたが殆どは出版事業(流通販売)とは言えない製造販売経路で駄菓子屋に集まる幼児や少年少女がくじ引きの景品として手にしたり、町の商店や薬売りなどの巡回商人が今でいうプレゼンテーションに供したおまけ玩具として扱われた相当いい加減(粗製乱造)な品々でした。

上の写真の2冊『幻の怪ロボット』(左)と『洞窟の悪魔』(右)を並べて写しましたが、じつはこの2冊のマンガ本の中身(本編)は全く同じものです。
         ( ↓ ここから下の2枚の写真がその内容部分 ↓ )
       2017_01 19_赤本マンガ・4
こうした『水増し本』作りは赤本マンガでもおもちゃマンガ本でも頻繁に行われた文字通り粗製乱造の商品製作形態で、これはその後の貸本マンガ出版に於いてもちょくちょく行われた杜撰な営利追求手段の現れでした。

しかしそのいい加減なマンガ本作りと頒布形態のおかげでぼくのような田舎の子供がマンガに接することができて僅かな小遣い銭で自分だけのマンガ冊子を手に入れボロボロになるまで読み返し、自分の感性や思考の表現手段としてのマンガ世界への夢と希望を抱くことができたのは幸せなことでした。

この2冊のマンガ冊子の片方『洞窟の悪魔』の方は随分前に入手していましたが、最後の方の39頁から46頁までが損失していて話の結末へ至る筋が不明でした。
それでこれまでぼくは勝手に抜け落ちた8ページ分のドラマを想像して楽しみ、いつか自分の想像を付け足してこの作品をリペア、リメークしてみたいと思ってきました。
それが最近になってネットオークションで『幻の怪ロボット』というタイトルの同じ中身らしい本を見つけて少々高価になりましたが競争入札の結果、落札することができました。

       2017_01 19_赤本マンガ・5
先日手元に届いたその本を確認すると、昔手に入れた本の不明部分はちゃんと揃っていてやっと作品として読了できたのですが、第一ページの左上角が少し破損していました。(つまり2冊合わせると完全なマンガ本になる。)
こういうことは今までにも何度かありました。
もっと大掛かりに自分で欠損部分を補修したものもいくつかあります。古本に限らず、骨董とまでは行かなくても古物を集めたり眺めたりする人の楽しみはそんなところにも愛着を籠めることだと思います。

20年30年前の若い頃には古書籍や古マンガ本を探して遠くの町まで出掛けて古本屋さんや貸本屋さんを彷徨したこともありましたが、ここ10数年はもっぱらネット・オークションで掘り出し物を探すことが九割方になっています。(今でもよく古本市や古書店に行くがマンガのビンテージ物はもうほぼ絶望的に出なくなって久しい。)

いつも書いていますがぼくはマンガのことになると三日三晩位ならおしゃべりし続けることができます。(それほどマンガが好きだし少なからずコレクションもしてきた。)
近い将来、村の家で、訪ね来てくれる方たちとマンガ談義を交わすのもこれからの楽しみです。

 ( 2017・1/25,up )
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