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2013
12.28

いろいろあった1年も大詰め  (blog,40p)

Category: 町の家にて
世間では毎年同じ話になりますが、ぼくたちも今年は本当にいろいろありました。
長年、生活のための縁(よすが)としてこれまで町の中で営んできた職業に一区切りをつけて30年以上仕事をしてきた場所も引き払いました。
そしてカミサンと相談して、思い切って住まいも移してなるべく自分たちの一生に悔いが残らないような生き方を模索、実行してみようと走り回って探した結果、今こうしてこのブログで不定期な日記のように記載している暮らしが始まりました。

幼年時代を過ごした環境とその時代から受けた影響の中でぼくは自分の夢を抱き、強い憧れと希望と不安を持って成長しました。その夢とはマンガを自分の表現の拠り所として作品を生み出しマンガを描くことによって糧を得て暮らすというもので、若い頃にたった2年ばかりでしたが実際にそういう生活を経験しました。

その後も自分の望んだ地平に向かって直線的に歩きたかったのですが、日々を生きて行くために少しずつ自分が暮らしたかった世界から離れてしまい、家族もできて迷い道や行き止まり道で立ち留まり、遠回りに遠回りを重ね、何度も「もう自分が望んだ生き方暮らし方が出来るところまで到達する夢は一生かなわないのだろうか」と思う度に絶望感に捉われながら過ごしてきました。
けれどもそういう絶望の淵でもほんの一縷の望みだけは捨てずに持ち続け、憧れた世界のことを完全に忘れてしまわないようにだけは心掛けていました。

それがこの『マンガのある農園』(準備中)のブログへ続くぼくの生活の道でした。

そしていろいろあった2013年が今日を入れても残り4日間になりました。
たぶん今年の現時点はぼくの一生の中で考えると人生の8合目を過ぎる辺りだろうと思います。(もしかするともう9合目に入っているかもしれません。)生きて行く日々をなるべく無駄に擦り減らさないような(自分にとって)意味のある生き方をしたいと思っていますがそれはなかなか難しいことですね。
年内に出来ればもう一度、村の家へも行きたいのですが毎日忙しく過ごしていてどうなるか分かりません。
来年こそはこの新しい環境の中でぼく自身の生き甲斐と労働の喜びを実感して、身の周りの人々や遠く離れていても互いの思いや気心の通じ合う方々と一緒に楽しみを分かち合えるようになりたいと願っています。

今年の9月から突然発信し始めた当ブログを時々覗いて見て下さった皆様、たまたまお立ち寄り下さった方々に御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
まだ今年中にもう1,2度、ブログの更新が出来るかもしれませんがもしもそれが出来なかった時のためにここでご挨拶をさせていただく次第です。
どうぞ皆様 “良いお年をお迎えください”
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今年の冬至は22日でしたが23日の夜、旧知の歌唄いの人のバンドのライブを聴きに行った時、会場で出演者一同が持ち寄った様々な品物を(入場券に手書きされた番号で抽選して)当たった人に本やお酒やCDやその他諸々がプレゼントされるひと時がありました。
今年の後半から農業の真似ごとを始めたぼくがプレゼントされた当選の品は何とこんな立派なユニークな形のカボチャでした。
   2013_12 24_拾得の X’マスライブ景品カボチャ
大きさは直径が約20cm長さが30cmもあります。まだ食べていませんがきっといろいろな調理方法でお正月過ぎるまで煮物、焼き物、てんぷら、お菓子とたっぷり食べて楽しめるに違いないと思います。
それでは今夜はこの辺で、失礼します。

  ( 2013・12/28 )
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2013
12.24

畑は雨と虫で難儀  (blog,39p)

Category: 畑のあれこれ
せっかく村の家へ行っても今回のように終日雨降りの日が挟まると畑の土はドロドロに粘ってまるで耕作地が全部土と水で溶いた大量のホットケーキの種になったような状態で長グツにも鍬にもシャベルにも次から次へとべったり土がひっ着いて来てとても野良作業は出来ないことを知りました。

それが2日目の状況でした。それでもびしょ濡れで寒い中、しばらくは畝に有機混合肥料を鋤き込んだり何とか自分の腕力で押し切ろうと頑張ったのですが歯がたたず畑は1時間位で諦めてホームセンターへ苗の防虫防寒用の寒冷紗とビニールと半月形の骨などトンネルの資材を買いに行きました。
ついでにスーパーでおやつと夕食用の弁当も買い込んで午後からは家の中で「マンガの部屋」のデザインをしたり素人農業の本を読んで過ごしました。
2013_12 19_キャベツ・トンネル2本目 2013_12 19_リーフレタス・定植
3日目も小雨が降ったり止んだりしてすっきりしない天気でしたが何とか鍬が振るえる土の状態になったのでキャベツの苗を一つ増やして寒冷紗で防虫トンネルを掛けました。
更にその隣の畝には(もうちょっと季節が遅いかと思いますが)リーフレタスの苗を定植しました。(上の写真・右)
それで下の写真のようにトンネルはキャベツ苗・2本、リーフレタス苗・1本の合計3本に増えました。
2013_12 20_リーフレタス・トンネル
そのキャベツの苗ですが前回、最初のトンネルを作って町へ帰り、今度行ってみると18株の苗を植えておいたのが15株しかありません。2株は全く影も形もなく消えてしまっていて、1株は葉っぱの根からプツンと切られて土の上にペチャっと倒れ葉数が減っていました。
ハハーンと思いトンネルを外して倒れている苗の葉っぱを見ると虫がいました!てんとう虫より小さい黒とインジゴのようなテラッとした色の翅の(今やぼくにとってはやたら目につく)野菜を食べる虫が数匹いました。夏の終わり頃にはちょっと躊躇していましたが今回はためらわず指先で潰しました。そして素手で地面を掘り返して見ると同じ苗の根にはヨトウムシが丸くなって隠れていましたのでこれは畝の外へ出して足で潰しました。

別に虫に対して恨み心は起きないのですがやはり苗を食われてしまっては農作業の努力が水の泡となってしまうのでせっかく育てて植えたキャベツの苗など食べずにいくらでも出てくる雑草の方を食べていてくれれば問題にならないのにと思いながらストックしてあった(カミサンが育てた)育苗ポットから食われてしまった処へ苗を補充定植して、それと別に2本目のキャベツの畝を作ってまたトンネルを掛けたというわけです。

お隣のクロサカジイチャンが見に来て「あんたとこは無農薬だから虫も喜んでるんよ」と言います。そして今回は「キャベツの苗がまだ余っていたらちょっとだけ分けてもらえるか?」と尋かれてぼくたちの農業の真似ごともまんざらじゃないぞ!と嬉しくなってどうぞどうぞと苗をお分けしました。
2013_12 20_八朔・収穫始め
そして4日目になりましたがやはり時々雨が降ってきます。でももう今回も町の家へなるべく早く帰らなければならないので持ち帰る作物の収穫をしました。(ちょうどその支度をしていたところへ元の地主さんのスーパーキヨコオバアチャンと娘さんが訪ねて来られて前回お渡ししそびれたセレベスも渡すことができたし夏ミカンの大きい実が色付いて来ているのも“もう食べられるよ”と言うので穫って持って帰ってもらいました。)

この写真のたわわに実った大きいミカンがそれです。
皮も厚そうだしてっきりこれは立派な夏ミカンだと思っていたのですがキヨコバアチャンが“これは八朔だよ”と言うので(ぼくは今までこんな大きい八朔を見たことがありませんでしたが)家へ帰って「ぼくにはどうしても夏ミカンのように思えるのだけどねー」と報告したところです。
  ( 2013・12/24 )
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2013
12.21

村の家滞在が延び加減に。  (blog,38p)

Category: 村の家にて
今回もまた2泊位の予定が雨や農作業遅延などで延びて4日間になってしまいましたが村の家へ行ってきました。

最近急激に寒くなって来たのと往復の間隔が1週間以上開いてしまうことが多いので庇屋根の下へ置いてきたリーフレタスとキャベツの苗が寒さに負けたり育苗ポットの保水能力の限界を超えて根に水がなくなっているのではないかと思って心配でした。

町の家では相変わらず昼と夜がひっくり返ったような暮らし方をしていて村の家へ行く時はだいたい徹夜状態で未明か早朝に到着することが多いのでこの頃では着くと直ぐに石油ストーブで先ず部屋を暖めるのですが、今回は始めてのことでしたが村の家に電気が通じていなかったので困りました。おかしなことですが石油ストーブなのに電気が無いと点火できないし燃焼継続もできないわけです。
(もしかしたら電気料金が払ってなくて送電を停止されてしまったかなあと思いましたが)ストーブも蛍光灯もラジオもつかない中で已む無く毛布とシュラフにくるまって仮眠を取ろうとしました。しかし寒くて眠れません。

しばらく頑張ってみましたが眠いのに眠れないので仕方なく起きて厚着をして畑の点検とちょっと作業をしてお隣のクロサカジイチャンと朝の挨拶、野良話を交わして30分後に家へ入ってふと「ブレーカー!」と思いついてあちこち探してブレーカーを見つけると室内配線用らしきスイッチがOFFになっていました。(後で電力会社へ電話で問い合わせて理由が分かりました。前回村の家を離れた翌日にこの地方では強い雨とすごい雷鳴が轟いた日があって、村の家のすぐ近くでも落雷があったらしく、そういう時には自動制御が働いて近隣の家の電気が止まる仕組みがあるのだそうです。)
残念、直ぐにそういう想像が働けば朝、寒い思いをしなくて良かったものを、と思いましたが後の祭りでした。
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さて、村の家のすぐ近くはこういう田園風景が広がっています。
この地域はI平野のエリア内にあるので海から6,7km内陸へ入ったこの場所でも海抜が20メートルそこそこしかありません。ほぼ真っ平らな地帯です。それで水田もたくさんあります。夏8月の終り頃に極早稲種の稲の刈り取りが終った後、しばらく地力を回復させていたのでしょうか、放ってあった田んぼの土をトラクターで撹拌する作業が始まりました。
2013_12 17_村の水田(トラクターとカラス)1
風景全体を写した写真では全然分かりませんがトリミングで写真をアップにすると判るようにトラクターがゆっくりと田んぼの土を起こして行くそのすぐ後ろにはたくさんのカラスたちがぞろぞろと付いて歩きます。
きっと土の中から引きずり出される虫をついばんでいるのだと思います。
2013_12 17_村の水田(トラクターとカラス)2
虫の生命力はもの凄いなあと思わずにいられません。
ぼくは何とか今年一杯は畑の作物を全て無農薬で育てたいと考えているのでその分雑草引きや虫のチェックを畑で作業している間は出来る限り注意深くやっているつもりですが週に2,3日や10日置きに3,4日の畑作業では全く力及びません。
ご覧の通り野菜の葉っぱはどんどん虫に食われてどうにも手立てがありません。
それでも左側の大根はまだ大丈夫です。食われても食われても葉っぱはどんどん広がってよく育つし、ぼくらが食べるのは葉っぱがメインではなくて大根、根そのものですから。
しかし右側のこれはハクサイですから大変です。白菜は今、内側に何枚か出てきている立ち上がる葉っぱが大きくなって枚数も増えていってそれを外側の横に広がっている葉っぱで包んで成長させて普段食べているハクサイの一株に育つのだそうで、今のままでは多分全ての葉っぱを虫に食い荒らされてしまって人間が食べられる葉っぱが残らない可能性があります。
2013_12 20_虫食い大根葉 2013_12 20_虫食い・白菜葉
でもぼくは今回生まれて初めて農業の真似ごとを開始するにあたって自分自身の記念と野菜を育てるプロセスで起こるいろいろな状態、状況を体験的に知っておきたいと思って今年一杯は完全無農薬栽培で耕作もすべて人力でやり遂げてみようと決意して始めましたのでたとえハクサイがぼくたちの食べる部分が残らないことになっても覚悟の上で育ててみます。(記憶はすぐに頭の中で風化するからたくさんの写真とメモで記録もしています。)

自分で育てている野菜が食虫害にやられて収穫に至らない可能性があってそのためにと言うのもちょっと矛盾しているのですが今回町の家へ帰るにあたって昨日、村のスーパーの地場野菜コーナーで栽培生産者の住所と名前が記載されたラベルの付いた大きいハクサイを一株250円(町の値段の半額!)で買って持ち帰りました。

  ( 2013・12/21 )
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2013
12.17

さて、また村の家へ!  (blog,37p)

『マンガのある農園』の「マンガ」に関する部分を建設することでこのところ悩んでいます。
当初、ぼくは母屋をこれからぼくたちの家族みんなで暮らす家として必要な改築を施し、マンガに関するスペース(カフェ・ギャラリーになる予定)としては母屋の横手に並べて小さいアトリエ兼用の建物を新築したいと思っていました。
そうすれば表の通りから楽しそうな施設全体が見渡せて人々の興味も引きやすくどなたにも気軽に入ってきてもらえる形態が取りやすいとプランニングしていたのです。

しかしなかなか予算内で希望を叶えてくれそうな工務店や業者さんとはめぐり合うことができずに時間だけがいたずらに経過してしまって、ついに9月の消費税(増税前契約)の期限も過ぎてしまいました。(それ以前からずっと相談は重ねているので4月までに実際に工事が終了すれば現行税額で収められるのですが非常に困難になっています。)

それで工事期間の短縮と工事費の圧縮を実現するために既にそこにある建物の躯体構造をそのまま利用して内外装をすっかりやり直す方法はどうかと工務店(大工棟梁)さんから提案されて、それではぼくが住まいも移して作り上げたいと願った施設とはかなり違うイメージで新たに(基本構造に縛られた中で)設計し直す必要があるので土地全体の中での建物の配置ということからも、また他の構造物を予定していた計画全体からもかなり大幅なアレンジを強いられてしまうので悩んでいるというわけです。
2013_12 05_鉄骨構造・物置-1
これまでもブログで少し報告してきましたが、その既にある構造物というのがここに載せた上の写真に写っている母屋(左側の瓦屋根部分)の北裏に建てつけられたブリキの平屋物置です。
この写真位置から見て真ん中の奥行き13m以上、間口約4.3mの大きい建物と、長さ約6.6m、幅3.6mの小さい建物(右側部分)を雨仕舞の樋部分を中央にへこんだ形でつないだややこしい構造の全体としてはかなり大型の建造物になります。(下の写真では左右が大小の位置)
2013_12 05_鉄骨構造・物置-2
建物全体としては元々作られた当時は比較的頑丈なエッチ(H)鋼を使った重量鉄骨組のフルに室内空間の容積確保を目的とした建造だったことが分かるのですが、何十年もの長期間、雨漏りなどの補修補強が全くがなされてこなかったらしくて中央の鉄骨のコンクリート基礎との接続部分は完全に錆びて腐食が進みこのまま少しばかりの構造補強を入れても大型台風や強い地震に襲われたらおそらく一溜りもなく損壊を被ることになるだろうと思います。

大工棟梁さんは「だいじょうぶ! 自分が責任を持ってちゃんと危なくない補強を工夫して仕上げてみせる! 今までもこういう工事をしたことはある。 心配無用!」
と自信を持って言ってくれるのですが、、、、、
果して工事期間と構造強度と総予算の全てをクリアーしてなお且つぼく自身が最初に夢見た施設全体との計画整合性が確保できるといいのですが、、、、、心配ですねえ、、、、、
2013_12 05_鉄骨構造・物置-3
まあ、ともかくまた今日も朝早く家を出発して村の家へ行こうと思います。
段々本格的に寒くなってきましたので畑の野菜たちや苗の成長具合も気懸りですし、先日これらの写真を撮りに家の北側へ回り込んだ時にもう一つの大変な問題の原因が解ったのでその事の話もつけなくちゃなりません。(次々に面倒が多いので疲れます。)

じつは先月の台風の大雨大風の際に突然家の真ん中北側の部屋がすごい雨漏りを起こして手の打ちようがなかったのですが、座敷がすっかり水浸しになってしまったその雨漏りの理由が家の中からではどうなっているのかとんと分からず、元の地主さんに尋ねてみても今までにそんなことは起きたことがなかったと返事を貰っただけでどうしたらいいか頭を痛めていたのです。
それが今回、上記のような裏の物置を再利用する案が出て改めて家の裏側を隈なく写真を撮って歩いた時に原因を発見したのでした。

それは先月の台風が襲来する少し前に電力会社が自分たちが設延している電柱間の送電線が抵触する恐れがあるとかで下請け業者を雇って我家の裏山の孟宗竹と雑木の林を何の断りもなく勝手に伐採した出来事があったのですが、出来事の経過を知ったぼくの方からの通知で電力会社の渉外担当者が詫びに来てその件は終ったことにしてあげたのでした。(ただし後に【何の問題も起きなければ】との断り付きです!)

しかし終わってはいなかったわけです。
つまりその伐採時に太い竹に中途半端に切り目を入れてそのままにしておいたものがあってそれが後日、台風や雨風に晒されて突然屋根の上へ倒れて来て瓦を割るか動かすかしたのだと分かったのです。
2013_12 05_屋根に倒れた孟宗竹(証拠写真)
(写真では手前に見える竹が太く見えますが実際は向こう側に笹葉が着いて倒れている方がはるかに長くて太いもので、こんな竹を勝手に切り出したり、切り掛けてそのまま放置していたなどというのはとんでもないことです。)
ぼくは携帯電話を持っていないのと村の家にも電話が引いてないので一応町の家へ戻ってから、前回ぼくのところへ謝罪に来た担当員に伝えましたが、事と次第によっては今回は担当部署の適当な対応では済まなくなるかもしれません。
ぼくたちの家にとっては大事が起きてしまったわけですから。

  ( 2013・12/17 )
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2013
12.15

夏ミカン、色着き方の不思議  (blog,36p)

Category: 畑のあれこれ
ぼくもカミサンも若い頃から八百屋さんで買って来たイチゴやリンゴや夏ミカンを使ってジャム作りをするのが好きでした。
とくに今の住まい(町の家の方)の敷地がもう少し広かった7年位前までは庭に立派な夏ミカンの木があって一年おき位に大量に果実が生るので5~10瓶のマーマレード・ジャムを作って1年中自家製のマーマレードを食べていました。(一番たくさん作った年には20瓶以上作ったこともあって、そういう年には勿論友人知人への冬の贈り物にしたし一度だけ仲間の銅版画グループのバザーで売りに出したら10個ほどの瓶が10分で売り切れたこともありました。)

そういうぼくたちにとって、今度の村の家の庭には嬉しい果物の木がたくさんあるのでこれからのハーベストライフが一層楽しみです。
今年はすでに夏以降、ビワ(ちょっとだけ)、イチジク(ほんのちょっとだけ)、栗(大量!)、柿(たくさん)、温州ミカン(たくさん)、キウイ(数個だけ)と様々な果樹の恵みを受けてきましたがいよいよ今年の果実期の終盤になってこれから大量の夏ミカンが収穫できそうです。
2013_12 07_夏ミカン色付き方の不思議・2 2013_12 07_夏ミカン色付き方の不思議・1
その夏ミカンの色着き方を観察していて面白い事に気がつきました。
写真ではうまく写せませんでしたがミカンの皮の黄色い色がどういうわけか外側に向いた日当たりの良い面がまだ緑色で実の下側や横の日当たりが少し良くない部分の方がすっかり黄色が増してきているのがあったりします。あるいは葉っぱに覆われた内側にある実でもかなり黄色が濃くなってきているのがあります。

これはぼくが無知なだけかもしれませんがなんで日当たりが最も良い部分がまだ青くて日が当らない部分でも色が深まるのでしょう。
その内詳しい人に会えたら訊いてみたいと思います。(あとでWeb検索したら解るかもしれないですね。)

そして今回町の家へ帰る前に村の役場へ水道使用料金を払いに行きがけ、初冬の早い夕暮れ空を背景に電線に遠くまでたくさんのカラスが並んで羽を休めている光景を見ました。

群れで暮らす野鳥たちが夕暮れ方になってねぐらへ向かう前にはこうしてどこか決まった場所へ集合して自分たちの群れを確認することはぼくも既に知っていましたがこれだけの数のカラスが並んでいるのはぼくにとっては珍しかったので道路端に車を止めて眺めました。
(そして一枚写真を撮ったのです。)
2013_12 05_電線にカラスの群れ・1
すると!
自動撮影モードにしてあったのでひとりでにフラッシュが光り、そのフラッシュに驚いてカラスたちはいっぺんにガア、ガアーと泣きながら飛び立って大騒ぎになりました。
ぼくとしては勿論、脅かすつもりなどなくてカラスたちには済まないことでしたが狙って演出したのではないのに結果としてちょっと変化のある写真になっていたのでここに載せてみました。
2013_12 05_電線にカラスの群れ・2
今日、カミサンが図書館から借りて来てくれた『ヤギと暮らす本』(写真と文の絵本のような冊子)を読みました。この本を見るのは2度目なのですが、ぼくが田舎で暮らしたいと願っていた動機の一つに【山羊を飼いたい】という希望があります。
じつを言えば幼年時代にぼくの家ではヤギや鶏やウサギを飼っていたのでなんとなく【原点回帰】のような思いがあるのかもしれません。
しかしいくら田舎である程度の土地面積が確保できても、やはり家畜を育成するのは自分自身の暮らし方が相当規制されることできっと楽ではないだろうと思いますので来年村で暮らし始めてから熟考して実現できそうになったらチャレンジしてみようと思っています。

  ( 2013・12/14記、15UP )
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2013
12.14

村では野良仕事、町ではマンガなど (blog,35p)

このブログで時々書いていますがぼくは子供の頃から夢中でマンガを画いていました。
全く学校の勉強をしないで(というわけにもゆかなくて)例えば今頃の季節だと夕食のあと2,3時間テレビ番組を見た後になって「家族の注意を引くように」わざとらしくやぐら炬燵(炭を炊いて暖をとる昔のもの)の上へ教科書やノートを広げて本当にちょこっとだけ宿題などをやる格好をしてウトウト居眠りをしました。

親も兄たちもぼくが殆ど勉強をしないことをなじって毎日「勉強しろ」と言われてはいましたがそれぞれ早朝から工場などへ働きに行かなくてはならないし、夜は遅くとも12時を過ぎればみんな寝静まるのが日常でした。
それでぼくは家族が寝た頃からコタツのデコラの天盤の上へ白い薄い模造紙を出して鉛筆やペンや筆などで夜中の3時4時を過ぎる時間までいろいろマンガ的なものを何かしら画いていました。(マンガは普通市販の墨汁やインクを買って来てペンや筆につけて画くのですが、勿体ないので自分で毎晩墨を摺って水で薄めて市販の墨汁のようになめらかな画き味にならないかと試行錯誤をしていました。)
とはいえ中学生になったばかりの頃のぼくには空想や妄想は湧いて来てもまだちゃんとしたストーリーのある作品を仕上げる力はありませんでした。(マンガの創造に必須の作画技能も人生の経験も知識も読書量も思索も全てが圧倒的に不足していました。)

それでも幼年時代に憧れを抱いて『将来漫画家になりたい』と心に決めて夢も希望もその一点にしかなかったので夜中に独りでマンガのようなものを描きながら早く社会で仕事ができるようになりたいと思い詰めていました。

その頃、深夜に我家から1キロほど南方にある国鉄線路を蒸気機関車が通過して行く懐かしい音がよく聞こえました。その汽車の汽笛と轢奏音がきっと自分を出版社がたくさんある東京へ繋いで(連れて)行ってくれるに違いないと夢想する毎日でした。
まだ昭和30年代後半の田舎の町の夜中は現在とは比べるべくもなく静かで屋台のラーメン屋さんが通りを流してゆくチャルメラの音も聞こえていました。

それから5,6年経ってぼくは上京し、さらに5年ほど後の1970年代前半になって始めて自分の描いたストーリーマンガが商業雑誌に載ったのですが、下のカットはその27ページ作品中の左右2ページを一コマに描いた「見開き」と呼ぶ画面です。
マンガ見開き・左ページ マンガ見開き・右ページ・2
今でもマンガのことを考えたり落書きしたりするのは夜中になると頭が冴えてくるような感じがするのですが、今年の9月以降、村の家へ泊り掛けで通うようになって何十年振りかで 【朝起きて昼間身体を動かし、夜は睡眠をとってまた朝になったら起きる】 という健康的な一日の過ごし方も出来そうな感じになってきました。(とは言えなかなか一晩ぐっすり眠って翌朝は早起きするというところまでは行きませんが、)
まあとにかく昼間は起きて野良仕事をして夜は何とか眠れなくても寝床に居て朝食は朝の内に食べる、という生活をして過ごすように心掛けています。

しかしせっかくそんな生活を心掛けていても村の家から町の家へ帰るともうその夜から今まで長年の習慣になってしまっている 【夜型人間】 に戻ってしまいます。(まるで形状記憶合金のように夜中から朝になるまでマンガ関連の作業を続けてしまうのです。)

まだしばらくは町の家でやっているマンガ関連作業と村の家でやりたい農作業がうまくコンビネーション出来ないのだからやむを得ないとも思っていますがもう少し昼型の毎日を送れるように努力して行くつもりです。

現在ぼくが町の家にいる時にやっているマンガ関連の作業は、手元に画稿が保管してない昔の作品を発表雑誌の印刷画面から複写原稿にし直すパソコン操作とプリントアウトです。(元々の古い発表雑誌が紙も印刷もよくないので画稿のようにペンタッチや筆勢を復元することは不可能ですがそれでもこんなマンガを描いていたという確認は出来ると思います。)
村の家で『マンガのある農園』を開始するまでにこれまでの自分のマンガや作文やいろいろ合わせて先ずは一冊の小冊子を作ろうと思っています。
それが村へ移り住む決心をしたぼくが村から発信する最初のご挨拶になる予定です。

  ( 2013・12/14 )
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2013
12.11

キャベツの苗を定植、他  (blog,34p)

Category: 畑のあれこれ
村の家への往復は町の家でやっておくことを一区切りつけた時やその日の天候などに左右されながら通っていて決まったサイクルがありませんから野菜の種の蒔き時を逸してしまうこともよく起こります。
それで町の家の裏庭(こっちではカミサンが以前から家庭菜園をやっています。)で「キャベツとリーフレタスと蔓豆」などの秋蒔き野菜の育苗をやっておいて、頃合いを見て村の家の畑へ運んで定植しようと考えました。
2013_11 24_町の家でキャベツなど育苗中
今回、その第一号として「秋蒔きキャベツ」と「リーフレタス」の小さい苗を持って行きました。そして先ず始めにキャベツの苗を3週間前から土作りをしてきた畝に二筋植えで移植して見ました。(一筋に9株ずつ、合計=18株)
キャベツの成長にとって最大の阻害要因は食虫害ということなので蝶々が産卵しに来ないように防虫用寒冷紗を掛けました。これで当面蝶の幼虫のアオムシと夥しいカメムシの被害は避けられると思いますがしかしこのたった数カ月の土いじりで知った野菜育成の天敵はたくさんありました。土中に生息するヨトウ虫やあれは何という名前か知らないテントウ虫よりも小さい黒い甲虫やナメクジや黒アリが連れてくるらしいアブラムシなどに食べられないことを祈るばかりです。
2013_12 07_キャベツの苗を定植
先月、農業屋のセンターから買って来たタマネギの苗を移植した時にたった8ポット分の育苗株をかなり密に植え込んで行っても約90cmx4.8mの畝では面積が足りないほど広さが必要だと分かったのですが、今度のキャベツはタマネギの時よりずっと株間の距離を広くとらなければならないのでとても畝1本では植え付け面積が足りませんでした。それで隣の畝にはリーフレタスを移植しようと思っていたのをこちらにもキャベツを植えようかと考えて、急遽もう1本新しく畝を作ることにして土を起こし始めました。
2013_12 07_畑の防虫紗
土を起こしながら雑草を鍬でどかしていてちょっと大振りの草を何の気なしに根起こして引き抜いたところ、何とそれは雑草ではなくて夏の収穫期に熟し過ぎた実を捨て置いてでもあったのでしょうか(多分)実生で勝手に育っていたトマトでした。
残念!ぼくの迂闊でした。
もう30秒前に気がつけば植木鉢にでも植え替えて冬の間も「観用トマト」で楽しめたのですが、ヒゲ根を切ってしまったし茎も乱暴に折ったりしてしまったのでもう移植は無理だろうと判断して片付けました。
         ( ↓ 引き抜いてしまったトマト ↓ )
2013_12 07_雑草と間違えてトマトを抜いた  2013_12 07_雑草と間違えてトマトを抜いた・2

2013_12 07_12月7日、町へ帰る前の畑
そうこうしながらともかく新しい畝を一つ追加しました。(上の写真、正面左奥の細い棒が立ててある分=約80cm幅x3.6m長)これでほぼ同じ位の畝が3本に増え、その内2本をキャベツ用に、そして新しい畝には後日リーフレタスを移植してみようと思います。(キャベツは寒さに強いようですが、レタスは弱いようです。それで「トンネル」(小さい温室状態)を掛けてやる予定ですが、それまであの育苗ポットの苗たちが元気でいるかどうか?今回町へ帰る日には大分苗の茎が細く伸びあがってヒョロヒョロのモヤシ状態になりつつありましたし、次に行くまで育苗ポットの中の水分が保てるのか、庇屋根の下へ置いてきたけれど夜の寒さに負けてしまっていないかなどいろいろ気がかりです。

  ( 2013・12/11 )
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2013
12.09

マンガのこと・続  (blog,33p)

また昨日まで3泊4日間、村の家へ行って来ました。
今回も(初めて自分で育てた農作物の)大根などを少しだけ持ち帰りました。
大根2本マンガ顔
町の家へ帰宅してみると久し振りに旧知のフォーク・ブルースシンガー豊田勇造さんからDMが届いていました。
そこには「もう引っ越しましたか?」「来年そっちの方へライブ演りに行きますよ!」というメッセージ・メモが書かれてありました。(以前、『マンガのある農園』が出来たらいつかそこへ唄いに来て下さいね、と話していたのです。)行けたら彼の今度のライブ演奏を聴きに行こうと思います。

ここまで少しずつ、自分の今までにやり切れなかった生き方を残りの人生の中で何分の一かだけでもいいから実現したい、と友人や知人に話し、準備が整い次第ご報告しますからぜひ遊びに来て下さいとお伝えし始めて約半年が過ぎました。
当初のぼくの予想では遅くとも来年の夏前までにはオープンに漕ぎつけたかったのですが、制限予算、工務店さん未決定、消費税大増税前の駆け込み工事日程詰まり等、いろいろ障壁が重なって村の家の住まいとギャラリーを構成するための建物の増改築工事に入れるのが早くても来年4月下旬か5月初めになってしまいそうな状況です。

一昨日も現地で大工棟梁さんとプランナーの方とぼくとで実現可能な工事方法をめぐって話し合ったのですが、出来るだけ急いで工事を進めてもらって順調に完工できても仕上げまでに3カ月はかかるという話なのでオープンは「早くても8月、延びれば9月」という辺りになってしまいそうな気配になってきてしまいました。
当初設定(予定)したタイムリミットを考えると現状はなかなか厳しいですが、やりたいことを実現するためにはどんなハードルもクリアーするしかありませんので本当に『マンガのある農園』がオープンできる日を迎えるまでは情況にも障壁にもめげずに出来ることをやり続けるしかありません。

さて、前2回のブログで小学校の同窓会のことや幼年時代の体験(思い出)から数年後に一作のマンガを描いたことなどを記しました。(前回、そのマンガの表紙画も載せました。
きょうはその作品の中の途中の1ページとラストページを載せてみます。1972年の画です。)
マンガ(陣馬広之)中間ページ
ぼくがプロの漫画家として作品を一般の商業雑誌に発表出来た2年足らずの短い期間、いわゆる漫画的なデフォルメや写実的でない画面描写を排して登場人物の内面を表出したいと考えていたことも先に書きましたが、だからと言って登場人物まで全て写実的に描写したわけではありません。むしろぼくは「マンガ的描写法」を追求していました。(ただ、いわゆる“キャラクター”として作品のテーマや内容よりも登場人物の顔や容姿やポーズや科白が登録商標的に存在するような作品を画きたくなかったということです。)

それで背景は出来るだけ当時のニュース媒体や自分で撮った写真やスケッチや自分の油絵からのモチーフなどを使って描きました。
上に載せたページの右側のカット、家々が並ぶ田舎通りの画の中にはぼくが生まれて育った家が描いてあります。(この故郷の町内の通りは今でもそのままありますが両側の古い軒の低い家々は今ではもう殆ど建て替えられて残っていません。 このマンガを画いた10年後にはぼくの実家も兄によって建て代えられました。)

そして今年のように何年振りかで帰郷する度に「そこは確かにぼくの故郷なのだけれど、でも知らない風景」の中を歳を取った自分が記憶の中の故郷と子どもの頃の自分を追想しながら彷徨っている。それをもう一人のリアルな自分が眺めている。というような浦島太郎的な曖昧な体験をすることになります。
マンガ(陣馬広之)ラストページ
このマンガの中で片目を失ってしまう主人公の少年はぼくの幼馴染のN君がモデルですが、N君は実際に失明した少年ではありません。現実にはマンガの物語とは別の理由で別の少年が一人失明した出来事がありました。たまたま今回の小学校の先生を囲むクラス会でぼくはその事件に関わった人の記憶を呼び覚まされる経験をしてきました。(それについてはここで詳しく伝えることが出来ません。このブログは少数ですが故郷の古い友人知人も見ています。その中には思い出すことが辛い忸怩たる記憶を持つ人があるかもしれませんので)
ただ、その事について今になって思うのは、ぼくがいつまでもマンガのことにばかり思いを馳せる人間ではなくてたとえば松本清張や森村誠一のような社会派の小説家ででもあったならばマンガで描いたものとは視点の違う作文、物語としてその出来事を考察し表現、発表する機会を探したかもしれません。

あの不幸な少年N君(前回のブログにも思い出を記述した)がその後どんな人生を歩き人間として生命を全うする機会に恵まれたかどうかは分からないままです。
ぼくはこのマンガを描いた時、二通りの結末を考えていました。
一つは町から出て行かざるを得なかった主人公は今も安らぎの無い世界で逃走を続けているという救われない結末で、もう一つがここに載せた最終ページの「…十八,十九,二十、生ーきた!」という遊びの再現で終るものでした。
本当にN君が幼年、少年時代に踏まれても蹴られても生きようとしていたことを思い出します。それは不条理な、不公平なひどいことだと思います。
今また改めて、彼の人生がどこかで不幸せと不遇の時期を脱して願わくば喜び多い日々を経験し、生きていてくれることを心から願います。
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先月の小学校時代のクラス会の翌日には3,4年生で担任していただいて以来半世紀を過ぎてお会いしたNA先生からわざわざ自宅へ電話をいただいて
「頑張って来年きっと『マンガのある農園』を実現してね!そうしたら必ずみんなで訪ねるからね!」と励ましをいただきました。

必ず行くからね! と言って下さる方々が少しずつ増えてくれています。
いよいよ後ろへ退くわけにはいきません。
きっと頑張り抜きますよ!
そして彼の地で皆さんを楽しくお迎えします!!
あと半年、7カ月? 8ヶ月位? かな?
乞う!ご期待!! です!!!

  ( 2013・12/8記、9UP )
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2013
12.04

クラス会、思い出、マンガのことなど  (blog,32p)

昨日のブログで、ぼくたちの中学3年生時の担任のU先生(男性)が初任だったことを書きましたが、小学3,4年生時を担任されたN先生(女性)もまたぼくたちを受け持った時が初任だったと今回伺いました。
昭和30年代、ぼくたちが小学生、中学生の期間は日本中に戦後ベビーブーム世代の子供たちが溢れかえっていた時で、膨れ上がった生徒数に対して現場の教師の絶対数が不足して史上まれにみる新任教師の増加する時代でもあったのでした。
         小学3,4年生クラス写真
(先日のクラス同窓会で受け取って帰った小学3,4年時のクラス写真のコピー、真ん中に先生がいて一番上の列、右から4人目の長髪の男子がぼくであります。〔花組〕生徒総数57人!今ならば2クラス分、すごい!!)

ぼくが通った小学校は1年生から6年生までの生徒総数が2千名を超えていて、1クラスが50数名ずつで各学年が7クラスか8クラスもあるマンモス小学校でした。
その小学校時代の友達の一人にSN君がいました。小さい頃から家庭内暴力に曝されて臆病な子どもとして育ち、優しくかばってくれた母親を10歳前後の時に病気で失い、けなげに家事や弟の面倒をみるひ弱な少年でしたが中学になるといつしか不良グループの使い走りになって授業には出なくなり、卒業を待たずに施設へ入れられました。
(何とも悲しいことですが小学校の卒業記念写真集にも中学校のそれにも彼の姿は写っていません。)

その彼がぼくが高校1年生になった年の夏頃だったかに突然、家へぼくを訪ねてきました。
外は暖かいのに彼はガタガタ震えているのです。そして彼が泣き泣き、顔をクシャクシャにしてぼくに語った話は次のようなものでした。
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小学校の時も中学校の時も自分は家にも学校にも居場所が無くて辛かったので不良グループでも使い走りでもなんでもいいからいつも仲間にしてもらっていれば悲しさが和らいだ。
出来るだけ家へ帰りたくなかったが(と言うか帰りたかったけれど帰れなかった)それでは小さい弟がかわいそうなのでこっそり家へ帰るとやはり暴力に曝されて行き場が無かった。

それでやがて施設に入れられて、そこを出ても家へは帰らず東京の方へ働きに行った。
でも自分は忍耐が無いので一つの仕事場でちゃんと働き続けることができず、千葉県の市川市だったか習志野市でだったかすぐに地元のチンピラグループに入ってしまって中学時代と同じように兄貴分や組織の使い走りをやっていた。
ただ、いつも言われたことが上手くできずにしょっちゅう兄貴分から仕置きを受けて暴力を振るわれてやり切れなかった。でもなんとか耐えてヤクザの下っ端で置いてもらって来た。
その方が朝から晩まで同じ工場で働き通すより楽だと思っていた。

けれどもつい最近になって何かお金のからむ仕事をさせられてやっぱりうまくやりきることができずに組織に損害を与えてしまってあんまりリンチが厳しくて辛いので出来れば辞めさせてもらいたいと頼んだところ、100万円だったか50万円だったかのお金を持ってくるかあるいは指を3本詰める(切断する)かして詫びを入れろ! と強制されたが自分にはお金など1万円でも用意できないし指を切り落とすのも恐ろしくて逃げ出して国道をヒッチハイクで眠らずに逃げ帰ってきた。

でも実家へは帰れないし(ぼくの家と彼の家は100メートルほどしか離れていない)組の兄貴分たちが追ってきたら自分は捕まって殺されてしまうかもしれない。どうしたらいいのだろう。助かりたい……
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と、彼は震えて泣きべそをかきながらそれだけのことをぼくに話し終えると後はどうしていいか分からないと言うばかりですっかり落ち込んでしまっているのです。

ぼくもその時のことを今になって思い出そうとしてみても大体こういう話だったというだけで詳細な数字などには正確さが欠けている部分があるかもしれません。(1960年代後半に入ったばかりの頃のことです。)

ぼくが「頼りになるかどうかわからないけれど警察へ行って打ち明けて相談できないか」と訊くと彼は「警察では自分のような者をバカにしているので護ってはくれないし、きっとまた少年院へ送られて辛い目に遭うだけだから行きたくない」と言うのでした。
それでぼくもどうしたらいいか分からず、アルバイト先の寿司屋でマグロの二次問屋(仲買人)から聞きかじった遠洋漁業の乗組員が足りなくて探しているという話を念頭にして彼に
「今逃げて来た道を反対に戻る道だが、電車で30分ほどの港町Y津市へ行って漁港へ行き、遠洋の漁船に乗せてもらって働いたらどうだろうか、海の上まではヤクザも追ってはこないだろうし遠洋漁船なら一度出航すれば3ヶ月か半年位帰ってこないだろうからその間にそれから先の自分の生き方を考えられるのではないか、変えられるのではないか」
と言って、自分の小遣いにおいてあったお金のたしか500円札だったと思う(当時のぼくには1,000円は出せなかったと思うから)を渡して、このお金で何かしっかり食べてあと残りで片道分なら切符が買えるはずだからなんとかやってみるように、とぼくとしては精一杯励ますつもりでそう提案して彼を見送ったことがありました。

幼馴染のSN君に会って話して分かれたのは今のところそれが最後でした。
あれから彼はどうしたのだろう、どうなったのだろう、とその後も度々思い出しては考える時がありました。そしてその度にぼくは気持ちが沈むばかりでした。
ぼくがあの時とった対応はあれでよかったのだろうかといつも自分を責めていました。じつはあれから40数年を経た今でも、あの時のことを考えるとやはり気持ちが沈む思いになります。

その後7,8年経って東京でマンガを描いて雑誌に載せてもらえるようになった時、やっぱり彼のことを考えて短い作品を一つ描いて発表しました。(画稿が手元にないのでハッキリしませんがたぶんプロになって2作目か3作目位だったと思います。)

その短編マンガの表紙絵がこれで、内容はぼく自身の幼年時代の体験とSN君の思い出とを織り交ぜて描いてありますが知らない人が読んだらただの創作としか思われないでしょう。
マンガ・表紙(陣馬広之)
ぼくがいわゆるプロのマンガ家でいられた期間は以前にも書きましたが2年ばかりのごく短い間でしかありませんでした。
当時はどうしても絵空事をリアルな画風で描きだすことが厭で、出来る限りテーマを自分の身近な暮らしや事実と交差、短絡、接触した世界として表現したかったので創造世界の広がりや描写上のデフォルメが自分で許容できず、描く世界も物語も狭苦しくて出版社や編集者にとってはさぞかし偏屈で面白くない奴と思われたんだろうなあと、随分後になって自分でそう思い返すようになりました。

でもこのマンガを描いた頃にはそんな事には気が付かず、絵柄もできる限りリアルに描き、ストーリーを追うよりも自分のマンガに出てくる人間の気持ちを表出したいと思い詰めていましたから仕事で掲載してくれる出版社は少なく、原稿を描くスピードも極端に遅いぼくでは職業として注文を貰い、作品を提供するプロのマンガ家を続けられるはずもありませんでした。

それで幾つかの出版社に短編原稿を持ち込んでは一つか二つ載せてもらい、原稿料を生活費の前借の返済に充てるような契約は次々に断ち切られて行き詰まってある日東京から逃げ出すように引っ越して今に至っているというわけです。
その後はあまり作品を完成してどこかの本や雑誌へ発表する機会は多くありませんでしたがマンガの創作に対する考え方が頑なな思い詰めた『リアリズム原理主義者』ではなくなり、幼年時代に憧れたマンガ世界への再接近の長い醸成期間を過ごしてきました。

そして昨日も書きましたがもうそろそろぼくの人生も終盤です。
ここらで心残りのマンガ画きの暮らしの方も必ずもう一度やって見たいので、一所懸命、不退転の決意で準備に勤しんでいます。

  ( 2013・12/3 )
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2013
12.02

今年は同窓会が2回あった。  (blog,31p)

Category: 町の家にて
今年は珍しいことがいろいろありました。
その筆頭は何と言っても今、毎週通っている村の家と巡り合ったことで、人生もそろそろ終盤に至って町の仕事場を手放す決心をしたことと『その結果、運良く若い頃から夢見ていた農業の真似ごとをしながら暮らせそうな場所を確保できた』という、こんなことはぼくの一生ではもう二度とない生き方の選択だったと思います。
2013_07 02_池村の家に通い始めた頃
(来年、ぼくたちは都会を離れてこの↑「村の家」で家族で暮らし始める予定です。)

それから今年は中学校時代の学年同窓会と小学校3,4年生時のクラス会と2回の同窓会に出席しました。
中学を卒業して今まで40年以上経つ間に、3年生時のクラス会が2回あったことは知っていましたが今回のように学年全体の同窓会は卒業以来初めての開催だという話でした。
日頃は両親や長兄の墓参にも無沙汰をしているぼくなので今年のように一年に2回も帰省するのはもう十何年振りかのことでした。
2013_06 08_掛川駅前のホテル
(ぼくが住んでいた頃には無かった駅前のホテル。ここが学年同窓会の一次会場だった。)

前回、中学の同窓会(クラス会)があったのは15年位前のことだったので随分久しぶりに会う昔の学友たちと懐かしいというよりも珍しい物事に遭遇したという気分で接し歓談して今暮らしている都会の町へ思い出を持ち帰りました。
その同窓会でぼくたちのクラス担任だったU先生にお会いできて少しばかり昔のことを話しました。
U先生にお会いするのは中学卒業の翌年、高校1年の時以来40数年振りで、先生は最初ぼくのこともぼくが話す内容にもあまり覚えが無く、思い出すことも難しいようでした。
彼はぼくたちを担任したのが初任だったということで、数年後には教師の任を離れて教育委員会へ異動したそうで(教師の期間が短かったからか)先生時代の心に残る思い出もそれほど多くなかったのかもしれません。
ところがしばらく経ってから先生からハガキが届き、ぼくが話したことを後になって思い出したということで、当時はクラス運営をどうしたらいいかと悩んだこと、その席に姿が無かった人たちは今どうしているのでしょうねと書かれてありました。

その日、何十年振りかで会った幼馴染の一人から「秋には小学校3,4年生時の先生を囲んでクラス会がある」と聞かされて、それにも出席すると伝えておいたので後日案内状が届きました。
そして先日、今年2度目の帰省をしてきたのです。

狭い田舎の町のことで他に適当な会場もないのか同窓会の会場はいつも同じ料理屋さんの適当な部屋の貸し切りと決まっているみたいで、15年位前の(社会人になって以来初めての)中学のクラス同窓会も、この度の学年同窓会の二次会の会場も、そして今回の小学校時のクラス会も全部同じ料理屋さんが会場でした。(ちなみにその料理屋さんの主人I君も小学、中学時代を通じた同窓生なのです。)
2013_06 08_畑の脇の「五輪さん」(稲荷明神)
ぼくが生まれ育った田舎の町の町内には表通りから数十メートル引っ込んだ所に瓦工場がありました。(瓦は灰釉に浸けて初焼と仕上げ焼の二回焼成する手工業の焼物でした。)
今は空き地になっていますがそこに昔、瓦工場があった頃、瓦の原材料だった「粘土の山」があってその山の向こうに広がる茶畑や水田に向かって祀られていた稲荷明神、通称“五輪さん”だけは今でも同じ場所にありました。(上の赤い社がある写真)
2013_06 08_瓦工場の跡地、2
(瓦工場の粘土細工用作業場の建物が車庫に利用されてそのまま残っています。)
2013_06 08_遊んだ路地 2013_06 08_路地奥の家
(その瓦工場脇の幅1メートルばかりの狭い路地を幼年時代のぼくたちは朝から晩まで鬼ごっこやかくれんぼをして縦横に走り抜けて遊びました。)
2013_06 08_路地の奥だった場所
(嘗て自分の遊んだ場所がどういうところだったのかと記憶を辿りながら歩いてみると実家の近所に今も50年以上前のその頃の家々が数件そのままの姿で建っていて、その内の何軒かにはこうして外壁に支えが入れてあり、何となく人間が年老いて杖をついて立つのと同じだなあと思うと感慨ひとしおでした。)
2013_06 08_掛川の家の前通り
(こちらは町内の表通りです。 写真の左一番手前に半分だけ写っているのが現在のぼくの実家です。 ぼくが育った軒の低い古い平家は既にありません。早くに亡くなった長兄が若い頃に義姉と力を合わせて頑張って建て代えたのです。)

6月の中学時同窓会と11月の小学校時代のクラス会の両日とも日帰りのあわただしい帰省でした。
何年振りかで今年は3回新幹線にも乗りました。(30年以上前には毎月のように新幹線に乗っていたのでこう書くとなんだか自分が浦島太郎に近付いているような感覚になります。)
それでも手元に何十年振りかの幼馴染やクラスメートの画像をはじめ数百枚の風景、情景写真が加わりました。
今ではデジタルカメラで記録が撮れるのでちょっと久し振りや初めての風景、情景に遭うとすぐに数百枚の画像、映像に記録してしまうので後になって整理しようとしてもままならず殆どお手上げ状態でパソコンのデータが増える一方です。

これからは少しデータ処理も上手になって、データや記憶を自分のマンガへの応用が効かせられるようになるといいのですが、、、なかなか、、、

  ( 2013・12/2 )
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