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2014
06.30

村の家滞在記録また更新(blog,80p)

Category: 村の家にて
6月19日から29日までの今回の村の家行きで今期栽培分のタマネギとジャガ芋の全てを収穫完了しました。タマネギは本当に見事な大きさと味に育ってくれました。
何とかそのボリュームを表せないかといろいろに写真を撮って見たのですが、これもその一枚。缶の上に写っている分が通常、八百屋さんやスーパーなどで売られている位の大きさですがぼくの畑では最も小さい方でした。手前の缶と並んでいる方はその2,3倍もあってしかも美味しいのです!(でも残念なことにこの大きいのはその後の乾燥に失敗したらしく一個駄目にしてしまいました。ああ勿体なかった!)
       2014_06 19_タマネギの大きさ比較
ジャガ芋は3品種(男爵、インカのめざめ、メークイン)種芋の植え付けが合計5キロで、収穫量は指の先程の小さい芋まで含めて全部で40キログラムあるかどうかという出来具合でした。(秋ジャガにもチャレンジしてみようと思います。今度はもっと世話をして3kg位の種芋で30kg位のしっかり成長した作物になるように育てたいと思っています)
        2014_06 19_じゃが芋・掘り上げ
せっかく穫れた作物なので東京で暮らす息子と彼のパートナーに送ってやろうとしましたが近所のコンビニでは発送が明日になると言われて7,8キロ離れたところにある宅配便センター(所在を駐車場に車を止めてスマホをやっていた若い人に親切に教えてもらって)へ発送を頼みに行きました。午後7時ぎりぎりに駆け込んだのですが田園風景の中にローカル線の線路が通っていていい感じの場所でした。
    2014_06 21_宅急便へ発送
梅雨入りしたと聞いてからも雨の無い日々が続いていましたが最近はやっと半日雨が降ったりやんだりする日も増えて来て、そんな時には買い物に出たり隣町の町民温泉へ行ったりすることにしています。

車で10数キロ走ると全国的に有名な古い神宮があってその本宮への観光通路は江戸時代風に装いが凝らされ、市営の巨大な駐車場エリアから数百メートルか1キロ位の通路を歩きながら昔風の旅情を楽しめるようになっています。
その観光道路に面した一軒の民家を改造して外村伸二さんというシンガーソングライターがやっている喫茶店があることを聞いていたので午前中雨降りだった日の昼から農業備品や苗などの買い物に出てその後でお訪ねしてみました。(お店へ着いたのは午後4時過ぎでした)
       2014_06 22_おかげ通り
ぼくが外村さんのステージを直接見たのはほんの数年前に一回、それが最初で昨年は初めて直接話をして今年もライブを観に行って今度彼の住む町の近くへ行くことになったので近い内にお訪ねしますと話したのが先月でした。

彼のことは西山元樹というギターマン(ちょっとジミヘン風のギターがカッコ良くてブルースもいい。彼のバンドは『DAYBREAKERS』)と仲間だったと知っていた。ぼくは西山さんとは20数年来の知り合いで彼もまた外村さんと同じ町の出身。前回も今回もぼくが観に行ったライブはこの二人のジョイント・ソロライブだった。

というわけで有名な観光地だけれど夕方の閉店時間は早いようで観光客の足が途絶える5時頃にはどこも店仕舞の様子だった。外村さんのカフェもぼくが行った少し後にはもう店員さんたちの帰宅時間だった。ぼくは食事をしたかったのでカレーセットをオーダーした。(チキンカレーと野菜カレーの2品が絶妙のコンビネーションで美味しかった!アイスコーヒーをサービスしてもらってどうもご馳走様でした!)
       2014_06 22_カップジュビーの外村さん
           (彼のお店の前で外村さんご本人です)
ぼくは大都市の町なかの家から田舎の田園へ移住して人生最終コーナーを過ごそうと決めて今回の『マンガのある農園』作りを計画したのですが結構どこか近くに顔見知りの人が居たり町の家のあるところと関係がある地域だったりと環境というのはどこで暮らしても全く無縁というわけでは無さそうなものだと感じるようになってきました。

その『マンガのある農園』の家と仕事場の改造計画がまだ最終的に決まらず、昨年夏当初には早ければ今年の春、遅くとも7月か8月には完成して新しい暮らしを始められる予定でしたが大幅に遅れていてこの調子だと工事期間が早くても今年いっぱいかかってしまうかもしれません。
それまでにやるべきことがいくつもあって悩み多きこの頃ですが何とか希望の暮らし方が実現する様に忍耐と努力を重ねるしか方法がありません。
さし当って今週は町の家の方で幾つか音楽イベントへの出入りが続きます。
それが済み次第また村の家へ飛んで行って野良仕事の続きになります。
明日はサツマ芋報告をしたいと思います。

  ( 2014・6/30 )

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2014
06.19

タマネギの成長レポ (blog,79p)

Category: 畑のあれこれ
前の記事で『ジャガイモの成長レポート』を書きました。続いて今度は『タマネギの成長レポート』を書いておきたいと思います。
というか、どちらかといえばこちらを先に載せるのが順序だったのです。
なぜならタマネギ栽培はジャガイモ栽培より月日が2倍以上も必要でジャガイモの種芋を植えたのは4月初旬でしたがタマネギの苗を植えたのは去年の11月1日でした。だからジャガイモよりもタマネギの方が畑の先輩だったというわけです。
 2013_10 28_une fukkatsu
去年の10月、上の写真の一番左側の幅広畝を起てたのはまだぼくがこの畑を自分で耕し始めて2カ月位しか経っていない時点でした。
慣れない作業の土起こしは全て鍬で手作業だけで続けて少しずつ畝を増やし、作付けを増やして行きました。暗くなるまで鍬を振るっていて朝になると腰も腕も痛くて身体が動かせず寝床から起き上がるのに一苦労で、3日間位肩より上に腕が上がらないこともありました。
ここまでの栽培法はホウレンソウや春菊といった葉物や大根もみんな種をまいて植え付けて来たのですが、タマネギは初めて農業のお店で苗を購入して定植することにしました。
2013_11 07_2種類のタマネギ苗・定植1 2013_11 07_猫がタマネギ畑をトイレにする
幅約1メートル、長さ約5メートル位のこれまででは一番大きい畝を作って買って来た2種類のタマネギの苗を移植しました。
上の写真左側の畝の途中で土の馴らし色が変わっている部分の向こうとこっちで別の品種になっています。手前側に植えたのは『甘いタマネギ』と書いて売られていたもので、土色違いの向こう側が『よく育つタマネギ苗』だったかと思います。
苗を植えた翌日にはさっそく近所の猫がやってきてトイレにしてしまいました。そのまた翌日も同じでした。土の上に生フンでは肥料にも出来ないので困ります。
   2013_11 08_猫除け鳥除けのカモフラージュ
     (日に日に増えて行く猫の足跡の穴と引っ掻き崩された畝の土堤)
せっかく植えた苗が猫の足で土蹴りされて倒れてしまっているのを直してもフンをスコップで畑の外側へどかしてもここがふかふか土で気持ちがいいのでなかなか猫被害が収まりません。カラスもやってきて遊んでいるようで、畝の端に挿しこんでおいた玉葱のプレートが4,5メートル離れた雑草の所へ放り投げてありました。それでちょっと工夫してみようと考えて、もう収穫期を外れてトウが立った野菜の茎や間引きしたキウイの蔓の延びた部分などを適当に畝の周りに挿しこんで植えたばかりの植物ではないような感じにカムフラージュしてみました。
するとこれが結構造形的にも綺麗になって自分でこの仕立てが気に入りました。何というか『畑はぼくのギャラリーです!』という感じになってくれたのです。
確かにこうして観れば枯れ枝も雑草も野菜の茎も蔓枝もみんなオブジェになるのです。
2013_12 19_タマネギ畝・中耕と雑草引き・1 2014_02 21_タマネギ草引き、追肥・2
やがて日にちが経って土の表面が固くなると猫の被害はなくなりました。鳥除けのキラキラテープの効果もあったのかカラスや鳩も目立った悪さはしないようでした。
苗の移植(定植)から約50日経った12月の19日に第一回目の雑草引きと中耕と少しの追肥をしました。(上の写真・左、もちろんこれはまだ作業の途中)
そして年が変わってまた約2カ月後の今年の2月21日に第二回目の雑草引きと中耕と追肥をしました。(上の写真・右側)タマネギは冬の寒さの中でも耐寒性は強いようですが余り成長はせずに春になるのを待つようでした。
2014_03 21_タマネギ畝にまた雑草 2014_03 22_タマネギ畝、また雑草引き
3月の下旬になって雑草が勢いよく伸びだした頃にタマネギも急に長い冬眠から覚めたように茎が太く長くなり出しました。ここでまた雑草引きと中耕と少量の追肥を繰り返しました。
桜の花が咲いて散る頃からはタマネギはぐんぐん成長して行ってそれまでの5カ月間の伸び代寸法を3日で抜かすほどの驚く速さでした。『甘いタマネギ』の品種の方が成長が早いようで、桜の花を観た1カ月後の5月12日に最初の収穫をしました。(タマネギは育つに従ってだんだん球体が地上へ出て来て、収穫時期が来ると自分で倒伏して知らせてくれる)
         2014_05 12_タマネギ成長・倒伏・1
(その時にはまだもう一つの品種『よく育つタマネギ』の方は成長を続けている最中でぐんぐん茎丈が背高く太く育って行った。同じ時に植えたのに品種による育ち方の違いがハッキリと分かった)

以前のようによく知らないでこの畑に倒伏したタマネギを見たらぼくは「かわいそうに病気にでもやられてしまったのかなあ」などと思ったに違いないけれど、これでいいのだ!という状態だと知ればむしろ満足感が湧いて来てちょっと茎の倒れたタマネギに声をかけてやりたいような幸せ気分を味わうことが出来ました。
     2014_05 14_タマネギ、そろそろ収穫時か
そして大事に掘り上げて見てその嬉しい気分は実感となりました。本当に瑞々しくて充実した畑の幸だと感じられるのです。そして前にも書きましたがこのタマネギを使って調理する数々の食べ物や味わいが浮かんで口の中も美味しい感覚になったのでした。
     2014_05 14_タマネギ、初めての収穫
こうして第一回目のタマネギ収穫は大成功でした。流通作物を栽培しているプロの農家の方たちだったら畑に捨てておくような小さい出来の物まで大事に掘り上げて並べて何枚も記念撮影をしました。
冬場の成長がゆっくりしている間は果して順調に生育するのかしらんと心配でしたが無事に収穫できました。しかも町の家へ持ち帰って食べて見るとこれが本当に甘くてうまいのです!大げさな言い方になりますが、農薬も使わず自分で育てて食べる作物があるのは毎日高いお金で高級レストランで食事が出来ることとは比較できない生きる実感と世界観に繋がっています。
     2014_05 14_最初のタマネギ収穫・2
ところで面白い発見がありました。この家の畑は母屋の周囲に何カ所かに別けられて作られているのですが、今回ぼくがタマネギの畝を作った所とは離れた庭木のある場所に何となくネギかタマネギのような、しかしタマネギにしては茎の背丈がえらく長く1メートルも伸びてネギ坊主もついている不思議な丸い根の植物が勝手に育っていたのをぼくは少し前から気がついて見ていたのですが、この日、決心してその野生の茎の丸い根も起こして掘り上げて一緒に町の家へ持って帰りました。
(下の写真・左右はその“野生の”タマネギのような何か、が育っていた椿の木の根方と、掘り上げたその丸い根の植物の写真)
2014_05 14_野生化したタマネギ坊主 2014_05 17_野生化タマネギも収穫
家人には前日の電話で知らせてあったのですが、家で実物を見てもやはり「タマネギのようにも見えるけど何だろうかねえ?」という同じ感想になりました。
家ではやるべき幾つかの用事を済ませて5月20日過ぎに、ぼくはまた急いで村の家で用事があるので出掛けて行きました。その間に家人はパソコンのNet検索などでこれがやはり野生化したタマネギで、時々は育成中の畑でも現れる姿であると調べ、食べたそうで、味は普通のタマネギそのものだったということでした。
きっと昨年までこの家で暮らして長年畑で野菜を育てていた前の地主さんがいつか収穫した後に種が落ちたかして畑ではないスペースに育ったものだったのでしょう。

最近では畑の世話はかなり大変になって来ていて、一度行くと5日から6日は滞在しないと雑草引きや土寄せや追肥や新しい作付け等が次々に押し寄せて来ることが分かってきました。
もうこんなに気候が暖かくなってきたら作物も雑草も成長待ったなしになってしまいます。
それで孤軍奮闘しながらあっという間に時は過ぎて先月末に大急ぎで村の家から町の家へ戻り今月初めまでの3日間、久し振りの信州往復をしたことは先日3回続きで書き込みました。

そして信州から戻り、ブログを書きながら家の用事を済ませてまた慌てて村の家へ飛んで行きました。(前回のジャガイモのレポートと今回のタマネギ・レポートは時系列で記録しておきたいのでやたら忙しい行ったり来たりの記録でいつもに増して長文ダラダラでさぞかしお読みになり難い事とお詫び申し上げます。もう少しです)

下の写真は5段上の写真(5月12日、最初のタマネギ収穫の時)と全く同じ位置から今回6月9日に撮影したものです。上の写真で『甘いタマネギ』が倒伏していた部分は4週間後の今、完全に雑草繁殖地に代わりました。そしてまだぐんぐん育っている最中だった『良く育つタマネギ』が今度は大半、球体が地上に露出して茎が倒伏して収穫の時期が来た事を教えてくれていました。
        2014_06 09_最初のタマネギ収穫の跡が雑草地に
このタマネギがまたもの凄く『良く育ってくれた』のです。大きくて瑞々しくて匂いもきつ過ぎなくて本当に見るからに美味しそうなのです。
     2014_06 09_最初のタマネギ収穫の跡が雑草地に・2
それにしても大地は大したものだと思います。ぼくのような初心者の【農業見習い】のオヤジにも時々の恵みを分け与えてくれて『どうじゃ!人の世に大切な物は地位や名誉や権力や金なんかじゃなかろうが!』と心に染み入る喜びを通して教えてくれているのです。そしてぼくたち自身もやがてこの大地に還って行くわけです。
     2014_06 09_2回目のタマネギ倒伏
今回の充分に育ってくれたタマネギの存在感を伝えたくて先ずは大きさ比較のためにと思い並べておいたステンレス・スコップの長さが30センチです。つまりこの大きいタマネギの直径は約13,14センチあるのが分かってもらえるでしょうか。重量、容積で言うと普通にスーパーなどで売られているちゃんとした大きさのタマネギの優に2倍はあるのです。
  2014_06 09_2回目のタマネギ収穫
農作物はあまり大きく育ち過ぎたりたくさん出来てしまうと中身が本ガラだったり味が大味になったりしていわゆるシャキッとしないことも多いようですが、何のなんの!この度の収穫タマネギの美味しいこと!(自分の拳より一回り大きいタマネギを持って嬉しそうなぼくなのですが、顔はまだもうしばらく『マンガのある農園』を開始できるまで晒さずにいたいので悪しからずご寛容願いたい)
          2014_06 09_大きいタマネギを持って
それでは本日最後の写真です。これはいつも鍬や肥料や収穫作物を運ぶために使っている一輪車です。通常の出来具合のタマネギならば40個や50個は楽に載せられる台車の大きさ(容積)です。そこに今回はたった20数個のタマネギを載せたらこんな感じになりました。
 2014_06 09_一輪車にタマネギ収穫
昨年の秋以来、町の家で食事をするのに家人が調理してくれてぼくが育てた野菜がほぼ毎日素材として使われています。
昨日の夕食はシチューでした。その前の夕食は肉と野菜の煮込みでした。その前の日はすき焼きでした。その前の日はカレーでした。この写真に写っているタマネギも、前の回のブログに載せたジャガイモも、ちゃんと載せてはいませんが紫蘇の葉(赤紫蘇、青紫蘇)も食べきれず冷凍保存しているエンドウ豆も、朝のトーストにつけるジャムの材料も、あれやこれやと既に数え切れないほどの食物を村の家の畑で育て収穫して家族や友人知人やたくさんの人々で味わっています。

この次にタマネギを植える時には今回より少したくさん植えて出来れば収穫量をもう少し増やして70,80個か100個も収穫できたらまた身近な人々にお届けして味わってもらいたいと思っています。
そうしてやがてこの村の家が『マンガのある農園』になれたらそれからは訪ねて来てくれる人々すべてのために自分で育てた作物を使えるように、早くなりたいと思っています。

このところず~っと、無茶苦茶に長いブログ書き込みが続いてしまいました。
家人はもっと簡素、簡明に書くようにとアドバイスをくれるのですが(実際に家人自身のブログは見事に手短に書かれている)ぼくは実生活でもおしゃべりで話が長すぎるとみんなに言われているし屋上屋を積み上げてしまうようです。
次回からは何とかもっと簡素簡明な書き込みにしたいと思いながら、本日はこれにて失礼します。

  ( 2014・6/19 )

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2014
06.15

ジャガイモの成長レポ (blog,78p)

Category: 畑のあれこれ
このところ3週間以上に亘りぼくにとっては大変に忙しい日々を過ごしてきました。
村の家を2往復、信州を1往復、移動距離は自分で車を運転して1500キロメートルを超えました。非常にくたびれる行動を続けていますが殆どが自分の望んだ暮らし方に繋がっていることなので毎日楽しんで過ごしてきました。

長い間、村の家の報告が出来ていなかったので書くことがたくさんになり過ぎて取捨選択に悩みますが、先ずこの春から栽培中のメイン作物・ジャガイモについて時系列のレポートを一つ書き込んでおきたいと思います。
   2014_04 08_ジャガイモ畑を作る
最初に4月8日までの作業で畑の土起こし、PH調整(弱酸性土壌作り)を済ませておいた所へ牛糞完熟堆肥を元肥えにしてジャガイモの種芋を植え付けました。(種芋は「男爵」「インカのめざめ」「メークイン」の3種類合計5kgも購入したので思いの他作業が重労働になった)
   2014_04 09_じゃが芋・種イモ植え
上の2枚の写真は4月のはじめにブログでジャガイモ畑作りのことを書いた時にも載せたのとほぼ同じものです。それから約2週間経って行ってみると不揃いでしたが7,8割方の種芋から芽が出てきていました。(下の2枚の写真、左右=4月22日)
2014_04 22_じゃが芋の芽が出た 2014_04 25_じゃが芋の芽が出揃った
村の家は気象環境で言う「暖地」というエリアにあるので今年、ぼくにとっては初めての経験だったジャガイモの植え付けの時期は2週間位遅かったのですが何とか成育してくれました。そのジャガイモの成長と張り合うように夥しい種類と大きさの雑草が畝の中にも畝間にもどんどん伸びて育ってきて、ぼくはやっぱり雑草の縄張りの中で人間が暮らしているんだなあと改めて感心する毎日でした。
     2014_05 26_ジャガイモ畑の雑草のすごさ
種芋を植え付けてから1ヶ月半経った畑が上の写真です。もうジャガイモの茎の根元まで隙間なく雑草が生い茂ってきてしまっていました。そんな中でもジャガイモにはきれいな花が咲きました。まあまあ成育はほぼ順調かなと思われました。
2014_05 26_じゃが芋の花・1 2014_05 28_じゃが芋の花・2
5月の最終の一週間、村の家に滞在してジャガイモ畑の茎の間引きと一回目の雑草引きと追肥と土寄せを終了しました。この作業はずっと屈み腰で草引きは全て軍手をはめた手だけで作業して追肥と土寄せが完了するまでには3日間かかりました。1日半か2日間で出来るだろうと思っていた作業でしたが時間が掛ったのは途中で半日雨が降ったのと過労気味でぼくの体調が今一だったせいでした。
     2014_05 28_じゃが芋・雑草引きと土寄せ
当然ですが中耕作業も鍬を振るって手作業です。自分の作業姿を撮るために三脚を立ててカメラをセットするのですが、カメラのセルフタイマーの最長時間が10秒でシャッターに合わせて鍬を持ってポーズをとっているので何となくヤラセっぽく感じます。
     2014_05 29_じゃが芋畑・土寄せ完了
5月末の村の家滞在4日目、一通りのプロセスが終った畑です。↑↑ この後、写真右側に見えている土起こしをして畝を立てておいた畑にトウモロコシやさつま芋やトマトやナスやピーマンやしし唐などの苗を定植して行きました。(多品種・少量栽培で家庭菜園の楽しみ方、けれども畑の面積が合計で約300坪とかなり広いので一般の家庭菜園の10倍以上の規模がある。と言っても経営農家に比べれば10分の1以下で微々たるものだが無農薬、半有機栽培、人力作業なので労働は結構キツイ)

そして町の家へ帰り、溜っていた用事を幾つか片付けて10日後の6月8日にまた村の家へ行ってみると畑の状況は大きく変化していました。この下の写真では上と比較してあまり変化が無いようにも見えますがアップにしてみるとよく分かります。
     2014_06 08_じゃが芋畑・収穫前
つまりこうなっていたのです。あっという間の10日間で雑草は再び伸びているし「インカのめざめ」という種類のジャガイモは既に株が枯れ始めてきていました。
         ↓ ↓                  ↓ ↓
2014_06 10_じゃが芋畑が枯れてきた・2 2014_06 12_じゃが芋畑が枯れてきた・1
最初にこの光景を見た瞬間にぼくは「しまった、疫病が発生したのかなあ、それとも虫にやられてウイルス病にかかってしまったのかなあ」と思いました。いずれにしても収穫できることを楽しみに育てて来たのでこんな枯れ方をしてしまっては土の中のお芋の部分は成長できないし、もしかすると菌に負けて腐ってしまっているのかもしれないとも思いました。

それで思案の結果ともかく「インカのめざめ」の枯れた株の根を一ケ所掘り起こして見ることにしました。
すると、植える時に期待していたほどの大きさも数も有りませんでしたが何とかジャガイモが出来ていてくれました。それでちょっとホッとして嬉しくなりました。(春に収穫を予定していた白菜とキャベツが全滅だったことを思えば小さくても実入りが少なくても結実してくれただけで嬉しい)  ↓ ↓
2014_06 10_枯れたじゃが芋を掘って見た 2014_06 12_じゃが芋・やや不作気味か、
今のところぼくは栽培ガイドブックを何冊も読みながら独りで野良仕事をしているだけで、経験のある家族が居るわけではないし農業の先達やこの地域の人方に指導や教示を受ける実地農業をすることもできないのでこうして辛うじて食べられそうな作物になってくれたら本当にそれだけでつい笑顔になってしまうような感じです。
たぶん種芋の植え付け時期が2週間かもう少し早かったら実入りも大きさももうちょっと立派になっただろうと思いますが、時期が遅れたことで土寄せも追肥もタイミングがずれてしまい、収穫までに二回やることになっていたそれらのプロセスがまだ一回しか実施出来ていないのですがもう仕方がありません。今年の春植えジャガイモはこのまま収穫まで経過することになるでしょう。

ということで下の写真は6月13日の段階ですっかり枯れてきていた茎の根を掘り起こして収穫した3種類のジャガイモの全量になります。(グリーンのプラスチック箕の中のが「インカのめざめ」ピンクのザルの中のが「男爵」少しだけ段ボールの中にあるのが「メークイン」で、町の家へ持ち帰って計ったら全部で約5kgの重さだった。ということはこれがちょうど種芋全体の重さだったことになる)
       2014_06 13_じゃが芋・枯れた分だけを収穫してみた
そしてこの下の写真が取敢えずの収穫をした後のジャガイモ畑全景です。左側3本の長い畝が12メートル位、一番右端のスコップの向こう側に写っている短い畝が7,8メートル位の長さです。この段階で掘り起こした株の数が全体の2割弱位ですから計算ではまだこれから後4,5倍の収穫量が期待できるはずですが実際にはどうなるか分かりません。
   2014_06 13_じゃが芋畑の今6月13日現在
今回の滞在(6月8日~13日まで)ではジャガイモの世話をしただけではなくてずいぶん色々と人間関係も作物の世話もそれに関してのお使い事も次々に続きましたので、やはりくたびれて町の家へ帰ってきました。(この写真を撮った後でまた少し雑草を引き、茎の根元へ土寄せをして置いた。ジャガイモたちが土の中でもう少しだけでも大きく成長してくれたらと願いながら)

さて、できればもう数日畑で作業を続けたかったのですが家の方で二つの大きな問題が発生しているようだったので急いで一度帰らなくてはなりませんでした。
問題の一つは13日深夜帰宅して一睡もせずに夜を明かして昨日14日の早朝に片付けました。
もう一つの重大問題は明日・月曜日にならないと相手(役所)が動かないので対処しようがない問題で、結局国家や自治体の役所というものの本質が庶民の生命や財産を強奪し続ける強盗機関でしかないという証明をまた見せつけられるだけの嫌な交渉事になるだけだと思います。(本当に腹立たしい問題だらけでぼくは国家体制や地方行政機関に対して心の底から憤りを憶えている)
このブログではしかし、ぼくの抱える個人的な悩み事や心配事、問題や愚痴や憤怒は出来る限り記さないでぼくの人生最終章の夢と希望の実現に向かう日々の努力や経過、成果だけを記述して行くことにしていますので次回はまた楽しく野良の話題を続けたいと思います。

以上、本日も出来るだけ手短にと思いながら書き始めて、またまたすっかり長いブログになってしまいました。済みません!
明日以降はなるべく簡略を心掛けます。
では失礼します。

  ( 2014・6/15 )

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2014
06.07

番外編・信州シリーズ,3  (blog,77p)

Category: 信州のこと
さて、いよいよ今回の信州行きの最終目的地、長野県南佐久郡・野辺山へ行きます。
そこへ行くコースは八ヶ岳西麓の蓼科高原を走り、南麓の富士見高原、山梨県小淵沢から清里を回っておよそ1時間半60キロメートルの全工程高原道路の爽やかなドライブです。

八ヶ岳西側の山麓各地には歴史時代を遥かに遡る太古から原日本列島人の一類であったと言われる「縄文人」が多数暮らした形跡が遺跡となってたくさん残されていて、現在の茅野市原村から富士見町辺りにかけての複数の遺跡からは貴重な遺物の発掘が続いています。
中でも尖石(とがりいし)遺跡で発掘された豊満な女性を『豊穣の女神』としてシンボライズしたのではないかと言われているいわゆる『縄文ビーナス』と名付けられた土偶は、日本の考古学史上また比較人類学史上の学術的意味が重要でこの一帯は考古学ファンにとっては一種のメッカとなっていて、多くの小説や映画やマンガなどのドラマの中にも頻繁に取り上げられている所です。
            39-2014_06 02_チェルトの森近くの地蔵さん
そんなに古い時代まで辿って愉しむ趣味が無い人にとっても信州は例えば江戸時代以降も絶えず歴史上に重要な土地柄として登場し記録され続け文化的にも注目されて来ました。
ぼくはマンガと並んで歴史民俗学と分類される学術的論文や紀行文、記録(古文書は読破出来ないので現代に出版される資料文)が大好きで書物も割合よく読むのですが一時石仏や木彫仏などにも興味を強く寄せたことがありました。
関西各地の修験霊場や仏教文化伝播エリアと並んで中部山岳地帯にも非常に多くの木彫や石仏が創出、安置され日常的な祭祀、荘厳、帰依、崇拝の対象となっていたことが知られています。
同じ信州の北部アルプスに近い安曇野の田園風景の中に点在する道祖神は観光スポットとしても人気がありとても有名ですが、石仏は無名な物ほどいい感じがするというのがぼくの持論です。

前置きが長くなりました。
目的地の八ヶ岳『野辺山高原・滝沢牧場』へ到着です!

ここは八ヶ岳東麓の『人と自然と動物が触れ合う場所』として自分の夢を託して様々な人たちの心のオアシスを建設しようというオーナーの決意のもと、昨日のブログでご報告した『白樺湖のホープロッジ乗馬牧場』と同じように最初はオーナー独りで開拓農地の高原野菜のキャベツ畑に自力でヒュッテを建てて喫茶店を開業し、その前に馬を一頭繋いでおいて
「普段はキャベツやレタスを育てて出荷しながら喫茶や乗馬のお客がやって来ると畑から作業着のままで小屋へ上がって厨房でコーヒーを炒れたり野菜畑の中をお客を乗せた馬を引いて歩いたりしていたんだよ」
と言うお話をオーナーから直接お聞きしたのがもう今から24,25年前のことになりました。
   2014_06 02_牧場・全景
(写真は牧場のほぼ全景を入口の駐車場エリアから見た感じ。実際には全体の広さが10万㎡=約3万3千坪もあるのでカメラのフレームに収まりきれない左右スペースが存在する。
中央右側に見える建物群の向こうには野菜畑、牛の放牧場、牧草地が幅150メートル、奥行き数百メートルに亘って展開している)
   18-2014_06 02_牧場入園通路
(駐車場から牧場施設内へは未舗装の大地を歩いて訪ねるようになっている。駐車料金無料!牧場入場料も無料!この方針は創立以来ずっと変わっていない。すごい!
写真には写っていないが左手には林があってその中は林間キャンプ場になっている)
   19-2014_06 02_フロンティアー前広場
(中央右手に写る赤い三角屋根の山小屋風建物が最初にオーナーが自分で作った根拠地の
『フロンティアーハウス』ここが今でも牧場施設全体のヘッドオフィスを兼ねる受付であり、創設当時の姿のままの喫茶スペースでもある。ただしちょっと両翼部分が増築されている)
          20-2014_06 02_馬つなぎ小屋・入り口近く
(乗馬のお客さんを待つ馬たち。 馬は全部でたぶん10数頭いると思う。ぼくも昔時々乗っていた。でも乗馬の腕も技術も一向に上達しなかった)
       22-2014_06 02_馬小屋イン(正面)
(大型の馬小屋=馬房、骨組は重量鉄骨躯体だが2階部分は木質建築のイン=宿泊部屋になっていて今回もぼくはそこに泊めてもらった。素泊り1泊¥2,500円!夜中じゅう馬がガタンゴトンと音をたてるので神経質な人には眠るのが難しいけれど、話の種にはぜひお薦め。ぼくはもう何度も泊って慣れている)
        23-2014_06 02_馬房の中
(これが馬房の内側、懐かしい場所、昔この牧場で友達になった若い夫婦の大切な馬がいて
ぼくもその馬に時々乗せてもらっていた。その馬は居なくなり、若いご夫婦は別れたと何年か前に知らされた。 ここにはいつも動物の好きな若者たちがやって来て働いている。ぼくはそういう若者たちと1990年代の初めから終わりまで足掛け10年一緒に過ごす機会を持った)
       24-2014_06 02_丸馬場と角馬場
(手前の円形の柵と向うに見える四角い柵の内側が馬場で乗馬客が指導員についてもらってレッスンをする所、時々馬たちを数頭ずつ中へ放して出来るだけ自由に体をほぐさせている。 ぼくは20年以上前に未だ古い馬場の柵を恰好良く飛び越えて見せようとして失敗!腕を怪我して暫くおとなしくせざるを得なかった苦い思い出がある)
      30-2014_06 02_ティピテント
(アメリカインディアンの人々が植物や布や動物の毛皮を巻きつけて家として使っていたティピーテント、ぼくも時々この中で若い仲間たちと飲んだり歌ったりして遊んだ。内側はかなり広くて快適に出来ている)
       21-2014_06 01_フロンティアハウスの中
(ヘッドオフィス兼喫茶スペース『フロンティアハウス』の中、中央部分に牛にお辞儀をして挨拶する少女が写っている。この写真を撮ったのはぼくで写っているのは当時7歳になるかならぬかのぼくの娘、1996年夏休みのこと。偶然の場面だった。この写真はある大きい公立動物園の主催するコンテストに入賞した)
       25-2014_06 02_野外の牛
(かつて滝沢牧場の牛舎には大体30頭位の育成牛と搾乳牛がいた。今も同じような規模のようで、昼間はその中の何頭かが八ヶ岳の主峰、赤岳と横岳の残雪峰をバックにのんびり外で過ごしている。
昔たまに牛のお産に立ち会わせてもらったが仔牛が産まれるところはかなり迫力があった)
       26-2014_06 02_畑の農機
(たくさんの農業機械があちこちに置いてあって今ではぼくが居た頃より少しまた畑の面積が広がっているように見えた。都会の学校から小、中学生が団体で牧場体験ツアーにやって来る。その中に野菜収穫体験もあるので、農協等への出荷用作物ではないという)
       28-2014_06 02_カーボーイ君と畑で記念撮影
(ぼくがこの牧場にお世話になっていた頃には年間を通じて一人で牛の世話をしていた牧場一番の力持ち、英語が得意の通称カーボーイ君も落ち着いた風貌になりつつあった。
彼は今では牛舎ではなくて畑の野菜作り全般を担当していて、これから来客が増えて来て忙しいシーズンになるとこの畑の手前、カメラを置いた側の林に作ってあるダートコースでバギー車の貸し出し係もやっているとのことで相変わらず逞しい)
       27-2014_06 02_畑から馬房を見て
(いつ行ってもこの牧場は本当に広い!10万㎡=3万3千坪と言っても周りは林が囲んでいて、観光牧場としては土地全体の3分の1=1万坪も使っているかどうかでこの広さなので少人数で働いている人たちは大したもんだといつも思う。
ぼくが今般開設する予定の『マンガのある農園』は家屋敷、畑も山も含めてたった700坪と少々、それでも今はまだぼく一人ではとても畑の全部は耕しきれない位なので幼年時代の実家のことを思うともう少し広さが欲しいとか願っていたけれど齢を重ねた今のぼくにはそれが程々なのかもしれないと思えてきた)
31-2014_06 02_ぼくの小屋・正面 32-2014_06 02_ぼくが手作りした小屋
ところで1990年代の約10年間、この滝沢牧場に出入りしてぼくが何をしていたかと言うと上の写真に写っている小さい小屋で絵や版画や絵葉書やピエロの人形やステンドグラスや銀製品のアクセサリーなどを自分で描き、プリントして手作りしてこの小屋をミニギャラリーにして並べて売って生活をしていたのです。
実はこの縦横およそ6メートル四方の小屋はぼくがそこで暮らすために2ヶ月かけて自分一人で作った物です。物を作るのが好きな方なので今までに数件の物置やミニギャラリー店舗を建築したのをはじめ、生活に関わる諸々の道具や品物、絵を描くためのキャンバスやたまには絵の具にする画材そのものなどを自分で手作りしてきました。
(上の2枚の写真、左側が小屋の正面、約2メートル奥行きのテラスつき、写真右側は裏側の自分の居住部屋。ぼくは毎年3カ月位滞在してこの小屋に寝泊まりしていたけれど今ではよその人が使っている。裏側に少し炊事場が拡充されたのと色が塗り替えられている以外の設備、構造はぼくが建てて住んで居た頃のまま)
       33-2014_06 02_ロングコンテナの小屋
(そしてこちらはぼくの小屋を長く引き伸ばして木材も電柱丸太などを使ってオーナーと当時の若者スタッフが手づくりしたコンテナ小屋。20数年前に、まだぼくが通っていた頃の秋口から冬場の建造でぼくも2日間だけお手伝いした記憶がある。ぼくの信州暮らしの経験と生き方は一口で言えば『作れるものは何でも自分で作りながら暮らす』ということになるかと思う)
       35-2014_06 02_本館前の木梨・満開
信州は山国なので基本的に寒いです。それでハウスで育てたりしない限り温暖な海に近い平地のように冬でも花が咲き野菜が収穫できるということはありません。
それは岐阜県の飛騨地方などでも同じですがその代わり遅い春から初夏に至るまでの木の花、草花が満開になる時の感動は格別です。ただ、霜や凍結に突然襲われて地植えの花などが萎れてしまっては困るのでプランターも大切な花壇の補完の役割を果たしてくれています。
(上の写真、右手奥に見える満開の白い木花は木梨=コナシの花でしょうか)
   36-2014_06 02_フロンティア前で滝沢さんと記念撮影
勿体ぶってここまで登場を引き延ばした(^-^)というわけではありませんがご紹介します。
上の写真、自ら建てた『フロンティアハウス』の前でぼくと並んで笑っている左側の人物
この方が牧場のオーナーの滝沢さんご本人です。(笑顔健在でした!)

今回再会するまではぼくが牧場に出入りするようになって最も長年月・間が空いてしまっておそらく7,8年振りのお訪ねになると思いますが、お会いしてみれば(お互いに歳はとりましたが)昔度々お会いしていた頃とちっとも変らないものだとホッとするような嬉しいような気分になりました。(電話では年に一度か多くて二度くらい短い会話をすることがありますが、やはり実際の距離が離れていますので簡単に行き来は出来ないものでした。ただしその間にぼくの息子がキャンプに行ったり噂をきいたりはしてきました)

旅行代理店や学校関係者などの来客や仕事の電話が次々と入るお忙しい中でコーヒーを炒れて下さったり電話対応をしながら手ずから特製ソフトクリームを作って下さったりとずいぶん歓待していただいて恐縮でした。
昔、ぼくがやがてどこかで自分のやりたい施設を作れる時が来たら『タキザワブラザース』を名乗ってもいいですか?とお訊きした時、何かいい仕事をする時にはどうぞどうぞ名乗って下さい、結構ですよ!とお返事を貰ったことがありました。

今般の計画ではブラザースを名乗りこそしませんが、自分としては生き方の在り様として今回の信州往復で再会した方々のまさに【フロンティアースピリッツ】と自分の生きざまを重ねて見たり鏡に映してみたりしながら心の中でホープブラザースを思いタキザワブラザースを想定して自分なりに人生の(多分最終コーナーを)走り続けて行きたいと思っています。
37-2014_06 02_厨房でお母さんと記念撮影 38-2014_06 02_牧場受付の恵美ちゃん
1泊2日(夕方着いて翌日昼過ぎには発ったので実質1泊1日)の短い滞在でしたが15年前まで暮らした野辺山の懐かしい感覚はすっかり甦り、牧場の近所に暮らしている親しかったクラフトマンの家にもお訪ねしてぼくより少し若いご夫婦とも短時間ながら旧交温め直して来ることが出来ました。

帰る寸前になって牧場の厨房へ行ってみるとオーナーの奥様(上の写真左側の3人の真ん中)が昔と変わらぬ気さくな人柄で古い気心の知れたスタッフの方と仕事をしておられましたのでちょっとの間、仲間に入って笑い、記念写真を撮って今回のお礼をお伝えして車へ荷物を積み込んでフロンティアハウスへ戻りスタッフのEちゃんの写真(右)を撮り、滝沢さんに再会を約すお別れのご挨拶を済ますと彼がこれを持って帰ってみんなで味わってくれと特製の品々を持たせてくれました。
   40-2014_06 02_see you again 八ヶ岳
帰路は高速道路で急がずに一般国道を走り通して倍以上の時間をかけて時々駐停車も休憩もしてゆっくり風景を楽しみながら戻って来ました。
その帰路で一つ残念だったのはある食堂で信州そば定食を食べようと考えていて、足を延ばしてその店へ行ったのですが“ただ今準備中”となっていて食べられず、仕方なしに行き過ぎてその後で休憩することにした「道の駅」で望んでいなかった特製メンチカツ定食を食べる羽目になったことでした。
       41-2014_06 03_ミルクと牧場プリン
滝沢牧場のオーナーが持たせて下さったお土産は搾りたての牛乳たっぷり、と牧場の特製生プリンたっぷり、でした。家に持ち帰って直ぐに家族で美味しい美味しいと言い合って戴き、牛乳もごくごくと飲んでしまって後になって「しまった、写真に撮ってブログへ載せようと思っていたのにすっかり忘れて食べて飲んでしまった!」ということになってしまいました。
既にプリンが後2本、牛乳が後1本になってしまいましたがそれでも1枚も撮らないよりはましだろうと思い、最後の写真になりましたがここに掲載して感謝をお伝えしたいと思います。
滝沢様、この度の突然のご訪問では本当にいろいろありがとうございました。
『マンガのある農園』が活動を開始しましたらどうぞぜひこちらへも遊びに来て下さい。

以上でこの度の信州2泊3日往復旅行の番外ブログ記述篇を終了します。
(次回からはまたいつもの『村の家と町の家の往復記』に戻る予定です)
それでは明日以降へ続きます。

  ( 2014・6/6~7 )

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2014
06.05

番外編・信州シリーズ,2  (blog,76p)

Category: 信州のこと
6月1日(日)の朝9時半過ぎに(楽しく歓談させていただいた)辰野市の三浦久氏の家を発って有賀峠越えで先ず諏訪盆地に向かい諏訪地方を通過して茅野市から蓼科方向へ、白樺湖へと進みました。 この写真の辰野市の田園地帯が標高700メートル位ではないかと思います。目指す白樺湖は標高1400メートル以上あるでしょうか。
   2014_06 01_辰野から白樺湖へ
今から50年前に、京都から一人の青年が白樺湖を少し登った山へやって来てパワーショベルもクレーンもダンプカーも何もない状況で自分の体力だけを使ってゴロタ石と大岩と雑木と雑草に覆われた山の斜面を開墾し、通路をつけ、整地してテレビや映画で観て憧れたアメリカ西部劇に出てくるような牧場作りを始めました。
青年の名前は川村 嘉彦氏、ぼくらは酋長と呼んでいました。
彼自身アメリカインディアンの人々の逞しく優しい生き方に憧れて自らクレージーホース(スー族の戦士、弱い者の味方として部族内で信頼をおかれたが酋長ではなかった)と名乗っていました。
     2014_06 01_川村酋長の言葉
酋長・川村氏の自分自身の為にも他人の為にも労働を惜しまない逞しく優しい生き方は彼と接する多くの人々、中でも若者たちの圧倒的な信頼を得て一緒に寝食を共にしながら労働を通じた生き方を学ぶ人々も増え、5年、10年と牧場作りが進められて次々に宿泊用の建物(ロッジ)と馬の数も増えて行きました。
      2014_06 01_ホープの旧ロッジ
川村酋長はそうした自由で独創的な生き方をしながら例えば日本映画の『敦煌』(井上靖原作)や『天と地と』(海音寺潮五郎原作)などでたくさんの馬が撮影される時には馬事指揮(ホースディレクター)を務めて無くてはならない人になって行きました。
ぼくが初めて酋長にお目にかかったのはその開拓時代よりずっと遅く、もう1990年代になってからで、この下の2枚の写真に写っている大きいログハウスの建築工事をしておられた頃でした。
     2014_06 01_ホープロッジ・メインログ
ホープのスタッフ経験もなく正式の会員でもない言わば部外者のぼくなのにいつお訪ねしても酋長も奥様も大変親切に応対して下さって恐縮しました。(それがもう20数年前の話です)
「晩飯はまだなんやろ、一緒に食うて行けばいい」と言っていただいて長々とお邪魔したことも有りました。その頃川村ご夫妻から伺った牧場創生期の楽しいお話は後に酋長が出された本『日本の酋長・クレージーホース』と言う本にも書かれることになりました。
       2014_06 01_ホープ・メインロッジ正面
と言うわけで今回ホープロッジをお訪ねしたのは、この地が川村酋長一人で開拓され始めて『ホープロッジ』となってから50周年のお祝いの会が催されたから、その集いに参加したくてやって来たのでした。ただ、残念ながらこの50周年の集いの中心にいるはずの酋長は10数年前に冬場のサイロ作業中の事故が元で病気を併発して長い闘病生活の後に亡くなられてしまっていて、その牧場を残された奥様・川村瑛子さんとたくさんのスタッフ、そして現在の社長である息子さん英之氏ご夫妻が守り育てて来られたのでした。
2014_06 01_ホープの若社長ご夫妻 2014_06 01_ホープの馬場と馬房
(上写真・左=お祝いに参加した300人近い人々に感謝のあいさつをする若社長ご夫妻)
(上写真・右=初期につくられた馬房、スタッフ宿泊棟)

(下写真・左=最初期のログハウスとそれを作ったスタッフたちと酋長の奥さんと一緒に一人だけ部外者のぼくも入れてもらって記念撮影)
(下写真・右=酋長が入院時代に献身的にお世話をした当時のスタッフ・大田さんと一緒に。 酋長が一時入院していた関西の病院へぼくがお見舞いに伺った時も太田さんが付き添いをしておられた)
2014_06 01_ホープ初期のスタッフと奥さん 2014_06 01_ハセヤン、太田さんと一緒に
上の写真の左端にいる“ハセヤン”は原村で有名な『カナディアンファーム』というレストラン施設を主宰して手づくりの家や建物を作り、畑で作物を育て、料理を提供している川村酋長譲りの生き方のオーソリティーで、テレビや雑誌ではよく知られた人、昔ぼくが暮らしていた別の牧場へ彼が自分で作った石窯で焼いたゴッツい通称ハセパンを持って来てくれたことがあったのですが、途中車の中で自分の子供たちと騒いで遊びながら運転してきたのでクッション代りにお尻の下に敷いていてぼくが貰った時にはペッタンコだったことがありました。(それでも美味しかった楽しい思い出、あの頃のハセパンは今や伝説の一品です!)
右の写真、ハセヤンの右隣に立っている女性・太田さんは東京で『遥象(うたかた)』というバンドをやっているミュージシャンですが、ぼくが彼女と知り合ったのは左の写真にある草屋根のログハウスにあった喫茶コーナーでスタッフだった彼女にコーヒーを入れてもらった時でした。以来彼女とは親しい友達になれて今でも2年に一度位どこかで出遭うことが続いています。彼女はピアニストでもありますが、実は若い頃にはヨットのディンギー競技で全日本チャンピオンにもなったアスリートでした。(ぼくも若い頃にほんの少しディンギー乗り「遊び」をしていた時期があった)
    2014_06 01_野辺山へ向かう
このページの一番最初の写真、辰野市の田園風景が標高およそ700メートル位だろうと書きました。
そしてこの上の写真が八ヶ岳西麓、原村の少し上辺りで標高およそ1300~1400メートル位に位置していると思います。何となく雰囲気、空気感が違うのがお分かりでしょうか?
このどちらの雰囲気もぼくは大好きです。 若い頃から憧れて長年通った信州にはぼくの生命にとって何か分かりませんが根源的な存在の基のような脳なのか神経なのか何か仕組みというか構造というか必要な要素が隠れているように感じます。(ぼくがこう言う非弁証法的、非唯物的な言辞を発するのは変なのですが何か解明できない自分の思索に関わる秘密があるような気がしてなりません)

さて、ホープの酋長のことはまだまだ思い出すことがありますので今後も折に触れて信州の話題の中で書いて行きたいと思います。お訪ねして酋長がぼくの顔を見る度にかけてくれた優しい言葉についても次の機会に書きたいと思います。

そしてここから今回の2泊3日の信州ツアーの最後の訪問地、野辺山へ向かいます。
そこはまたぼくの信州暮らしの経験の中で最も長期間お世話になった牧場がある村なのです。
(以下、次回へ)

  ( 2014・6/5 )

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2014
06.04

番外編・信州シリーズ,1 (blog,75p)

Category: 信州のこと
えーと、突然ですが今日から数回に亘っていつもの村の家と町の家を往復する『農業見習い報告』をお休みして一年振りで訪ねた信州のことを書きたいと思います。

先ず始めは諏訪湖のある諏訪盆地を山塊一つ南西へ越えた伊那谷の北の端にある辰野市を目指して高速道路を走りました。 ぼくの住む町の家からほぼ300キロ、中央自動車道・伊北インターを降りて辰野の町中を流れる天竜川にほど近い場所にある音楽喫茶オーリアッド(OREAD)をお訪ねしました。
そのお店の噂はもう30年近く前から聞いていたのですが実際にお訪ねしたのは今回が初めてです。行ってみると実に素晴らしい環境でお店もすばらしいところでした。

そのライブ喫茶オーリアッドのオーナーは大学の先生をしながらフォークソングを歌っているシンガーソングライターの三浦久氏で、ぼくは1980年代から直接彼の歌うステージを観て来ました。
知る人ぞ知る『七夕コンサート』と言うイベントがあるのですが、ぼくはかなり古くからのそのコンサートの観客の一人です。(当初はコンサートが終わると直ぐに帰る静かな客でした)その出演メンバーの中の豊田勇造というミュージシャンの方とはまた別の知人でシバというブルース・フォークシンガーのライブで楽屋へお邪魔した時に初めて話をするようになったのが1980年代の後半でしたが、歌は聴いていたのですが三浦久氏と直接話をしたのは1990年代の初めになってからでした。(それも音楽会場で、ではなくてこの後書き込む予定のある牧場でばったりお会いした時でした)
     2014_05 31_辰野市、オーリアッド全景
(昔の二つの信州往還、三州街道と伊那街道に挟まれた古い交通路の要衝だった辰野市中心部の外れにあるカントリーフィーリング溢れるウッディーなMusic Cafe・OREAD)

さて、今回ぼくがなんでその音楽喫茶オーリアッドをお訪ねしたのかというと歌を歌うためでした。と言っても誰かに頼まれたとか呼んでもらったと言うのではありません。(ぼくを呼んで歌わせてくれる人などいません(^;^)このオーリアッドでは毎週土曜日の夜、歌いたい人や演奏したい人たちが自由に参加できる Freedom Concert をオーナーの三浦氏ご夫妻が開催されていると聞いて知っていたのでいつか機会があったらぼくも参加させてもらいたいと思っていました。
そして今回、5月31日の土曜日の夜にもその集いが開催されることをホームページで確認して当日のお昼頃に2回、参加希望のお電話をかけたのですが通じなかったので取敢えず行ってみれば何とかなるかと思って出発しました。

ぼくはものすごい方向音痴で、しかも10数年乗っている古い車にはナビもつけていないのですが昔から憧れて頻繁に通っていた信州ということもあって幸い迷わずに行き着けたのでした。
       2014_05 31_三浦氏とぼく
それも何とか明るい内に到着出来たので、開店準備中の三浦氏(左側の背の高い方)と並んで記念のスナップ写真をパチリ!(奥様がシャッターを押して下さりました)
2014_05 31_オーリアド・ステージ 2014_05 31_オーリアド・店内
主としてアコースティック・ミュージックのライブには十分な環境が用意されている店内の感じです。(ぼくも『マンガのある農園』で、とてもこれほどしっかりした物にはならないでしょうが、たまにミュージシャンに来てもらって音楽の実演などもできるスペースを必ず作りたいと思い願っています)
     2014_05 31_皆でステージスナップ
そして当夜のライブが終了した後で(電車時間の都合などで先に帰った方々も有りましたが)残った演奏者と参加者みんなで記念撮影をパチリ!(これも撮影は三浦夫人でした)君はここへと言う三浦さんのご指名で晴れがましくも真ん中へ座って写りました。
ギターリフは間違うわハープ吹奏も狂うわで恥ずかしかったぼくのステージの方は持参したカメラでは写真を撮ってもらうのを忘れてしまい『三浦久』氏のホームページ・オーリアッド日記(Facebook)で紹介していただいている分だけになりました。
   2014_06 01_三浦久ご夫妻
こういう次第で突然お邪魔したのに大変ご親切にしていただき、翌日(6月1日、日曜)はわざわざ迎えに来て下さってご自宅の畑に作られた藤棚の下で美味しい朝食をご馳走になり時間が経つのも忘れていろいろ話が弾み、ぼくのその日の予定があったのでたいへん名残惜しかったのですがあっという間にお暇(いとま)する時間になってしまいました。
それでここでも話に夢中になっていて抜群のロケーションだったのに全く写真を撮るのを忘れていて、もう失礼する時になって車の中から立派なご自宅をバックに三浦氏ご夫妻を一枚だけ写させていただきました。

三浦氏のご自宅での暮らし方は何となく米国ボストン郊外辺りの大学人のような感じにお見受けしました。(行ったことが無いので想像ですが、じつは親戚の親しい人々が何人かハーバード卒のボストニアンで時々彼らが我家へ遊びに来るとよく暮らし方の話になります)
     2014_06 01_辰野(田園からの眺め)
(辰野市内の田園風景、写真中央部分山並のシルエットの上に少し白い部分が見えるのはたぶん数十km彼方の八ヶ岳の残雪だろうと思います)

未だ帰宅して最初のブログを書いているところでお礼のお便りもしていませんので、先ずこのページでご夫妻に御礼を申し上げたいと思います。
「三浦久様、奥様、本当にご親切ありがとうございました。来月にはまた恒例の【七夕コンサート】を聴きに行きます。今年は悲しい会になってしまいますが参加者全員で東野さんの歌の思い出を共有できることを願っています」
それではどうぞお元気で毎日をお過ごしください。
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なお、現在ぼくのブログでは自分の名前や顔写真を完全公開してはいません。それはまだ『マンガのある農園』が準備段階であり、基本的にプライベートなブログであるという扱いをしているためで今回も音楽家として公開活動をしておられる三浦氏だけはぼくの判断で顔写真も店名も公開させていただいております。またぼく自身のことも完全に匿名と言うわけではなくて、自分のwebアカウント以外の他所さんが公開されている分には時々登場していますがその点については殆ど全く非公開を要請することはありません。

  ( 2014・6/4 )

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