FC2ブログ
2014
07.30

畑は雑草の海原だった (blog,88p)

Category: 畑のあれこれ
前回、村の家へ行ったのは7月の9日昼出発から13日深夜帰宅までの5日間でした。
そして今回の往き来が20日から27日までの8日間でしたから間隔がちょうど一週間開いていたわけです。その一週間が梅雨の末期で高温多湿、村の畑の雑草たちにとっては勢力を伸ばすチャンスだったようです。
勿論作物の野菜たちにとっても成長のチャンスだったことは違いないのですが、人間が育てる野菜と天然自然界の住人である雑草とでは生命力も環境適応力も根伸力も全てが格段に違います。
     2014_07 20_雑草・オオアレチノギク
                (オオアレチノギク)

たとえばどこの空地や庭の中にでも生えてくるこの真っ直ぐに背丈を延ばす草は先週までに既に村の家の土のある場所のほぼ全ての区域に伸びていたのですが、今回行くと更に成長して大きいのは根方の部分がまるで木のように太く硬く色も茶色に変化してきていました。
先週はまだ動力の草刈り機が整備してなくてうまく動かず、新しい手鎌を買って来て地面すれすれに屈みこんで少しずつ手で草を刈りましたので茎が太いこの草は刈らず、立って両手でつかんで力任せに引っこ抜いていましたが家の地面のそこら中に生えている全体の百分の一も取り除くことが出来ませんでした。

しかし今回は草刈り機を農機具ディーラーへ持ち込んで整備修理してもらいましたのでぼくの野良仕事力は今までになかった急激なパワーアップをしました。
ガソリンエンジンの草刈り機を使うのは生まれて初めてでしたが慎重に駆動して1時間位は少し動かしては調子と操作方法を確認し、段々に使いなれてからこのオオアレチノギクを刈りました。
      2014_07 24_オオアレチノギク・2
何と言っても機械の威力は凄いものだと思います。約3m x 7,8m=面積にして7坪か8坪位(畳14畳~16畳程)の広さにビッシリ生えていた茎の太いオオアレチノギク草をたった30分かそこらですっかり刈り倒してしまいました。

13日から20日まで不在の一週間で作物の畝周りの雑草は殆どが作物と同じ位の丈かまたは作物より大きくなってしまっていました。その全ては6月末の滞在中に直接ぼくの手でこまめに引き抜いたり引きちぎったりしてからまだたった3週間しか経っていないものです。考えてみればぼくたち人間にとっては「たった3週間」でも草や虫にとっては一生であるような場合も多いかもしれません。
2014_07 20_サツマイモと雑草・2 2014_07 20_ニンジンと雑草
    (↑・サツマイモと雑草)          (↑・ニンジンと雑草)

2014_07 20_ナスと雑草・2 2014_07 20_ブラックベリーと雑草
      (↑・ナスと雑草)          (↑・ブラックベリーと雑草)

畑に生えている雑草の種類がどれほどあるのか数えてみてもいないので分かりませんが、姿恰好がハッキリ違うなと思えるものをざっと見回しただけでも今現在で多分20種類は下らないだろうと思います。

面白いのは雑草たちでも何となくテリトリーを主張し合ってというか奪い合ってというか繁茂に密度の濃い薄いが見られることです。それらの草が一面に伸びて畑や家の周りの空き地を埋めている風景はまるで草の海のようだと思いながら眺めていました。
といってもその草の海原の広さは全部合わせても精々300坪かそこら位のものなのですがぼくにとってはそういうふうに感じられたのでした。
     2014_07 23_草刈り機・発動
上の写真はその雑草の海を少しだけ草刈り機で刈り込み始めたところで三脚カメラをセットしてセルフタイマーで撮ったぼくの初めての草刈り機駆動中のスナップです。
やって見て分かったことですが、草を刈ったままにしてどんどん奥へ進もうとすると今刈り取った草が草刈り機先端の丸鋸の軸に絡みついてノコギリが止まってしまいます。

それで少し草を払っては刈り倒した草を熊手で集めて退かし、絶えず生え繁っている草叢にノコギリが接触して切り取れるように手順を追って作業しなければならないことを知りました。
     2014_07 23_雑草集め
そうした作業を1日2,3時間ずつ継続すること3日間でやっと大雑把ながら雑草の刈り込みが一段落しました。なぜ毎日たった2,3時間しか作業をしなかったかといえば外が暑過ぎて朝方か夕方以降でないと野良仕事はとても続けられなかったのです。

今回村の家へ行った頃に今年の梅雨明け宣言が出されたそうで、暑さは既に尋常ではありませんでした。連日35℃を超える状態で(気象庁や自治体の観測点で35℃を越えている日は)炎天下では45℃以上になっていてアスファルト敷きの地表温度は60℃前後にもなっているとラジオが伝えていました。
そんな条件下で刈り取った雑草は翌日には枯れ始めていて翌々日にはすっかり茶色く枯れてしまうのでした。
   2014_07 27_草刈り後の下畑
ぼくは出来れば将来、ここで山羊やウサギを飼えたらいいだろうなあと思っています。
草食動物がいると雑草にもより重要な存在の意義が付与されることになります。動物は雑草を主食として暮らすわけで草刈りの意味を広げてくれるばかりでなく、彼らの排泄物は文字通り堆肥、有機肥料となって畑の土を滋養に富んだ作物育成の揺籃の地にしてくれるはずです。
   2014_07 27_草刈り一段落
最近は一度行くと畑の世話や何やかやで滞在が1週間位に長くなることが多くなりました。
野良作業は結構大変なこともありますがどちらかといえば面白い楽しいことの方が多いと今の時点では感じています。
もちろんまだ本当にこの地域の住民になったわけではないし日々の糧を得られるかどうかも心配ではありますが、今までの来し方を振り返ってみればきっとこの土地でもいろいろチャレンジしながら生きて行けるだろうと思えるので大きい不安とかはありません。

問題はとにかく一日も早く古い家の改修とマンガに関連するスペースの構築を実現してこの家で生活するための基盤を整えることです。

こうして町の家へ帰っている間に暑中見舞いの準備やライブハウス通いなど幾つかやることが重なっていますが、暑さに負けず、宿題をクリアーしてまた来週には村の家へ行こうと思っています。

  ( 2014・7/30 )

--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------


スポンサーサイト
Comment:0  Trackback:0
2014
07.28

カフカ・ロードを走る (blog,87p)

Category: 村の家にて
先週の日曜日(20日)から昨夜(27日深夜)町の家へ帰宅するまで丸8日間、村の家へ行って来ました。

村の家へ往き来する経路は以前にも書いたことがありますが町の家から20分位のところにあるインターチェンジから高速道路で1時間30分ほど走って行くのが最速交通で片道約2時間位で行き着けます。急がなければインターチェンジの横を通過して古くからの一般国道や地方道を選んで走って行く方法もあります。(片道4~5時間位)

ぼくが最近最もよく往復する順路は町のインターチェンジから全行程の半分弱地点に当たる途中のインターチェンジまで高速道路を走り、そこから一般国道に降りて平安の昔から旅人に有名な「S峠」を越えて一路海のある東方へ向かって走り途中から南下して沿岸に開けた二つの大きい都市街区(T市とM市)を抜けて田園地帯にある『マンガのある農園』予定地の村の家へ到着するというものです。(片道3時間前後)
この【高速道路&一般道路】で行く方法で一般国道へ降りて10分ばかり走行すると途中で「S峠」の入口に交差している一本の道路があるのですが、以前からこの道が少しく気になっていました。気になっていたのはその道の名前なのです。
   2014_07 20_カフカロード・4
『かふかのみち』という標札がその交差地点に掲げてあるのをいつも横目で眺めて通り過ぎて来たのですが今回急に思い立ってその道へ曲がって入って行ってみました。

ゆっくりと1,2キロメートル走って行ったのですがぼくが勝手に『Road Of Kafka』かな『Kafka Road』かな、などと想像して「何かあるのではないだろうか?」と期待して行ったその道は所々に工場倉庫や民家集落が見えるごく普通の山麓線地方道路だったようです。

道路近くの木立は殆どが杉の植林木でそれも最近の山林事情のままにあまり手入れが行き届いていないようで、道沿いの杉の木には多くの蔦植物が絡み付いて成長をほしいままにしていてその形態がまるで着ぐるみのゴジラのように見えるのに気がついて何枚か写真に収めました。
   2014_07 20_カフカロード・3
(1枚目の写真の真ん中右半分の木、2枚目の写真の右側の木はそれぞれ別の場所に立っていた緑のゴジラ、または怪獣?のように見えたのですがそれはぼくだけの妄想だったかも?)

2014_07 20_カフカロード・1 2014_07 20_カフカロード・2
走っていると道路の両側そこここの急斜面に大きい石を詰めた蛇籠がピラミッドの段のように積み上げてありました。その間には斜面地の処々に削れ落ちたような土砂崩れ跡が見えたのできっと道路工事で切り通した山の斜面の土が含水保水力の弱い性質なのだと思います。

この日は20日でまだこの地方の梅雨は明けていませんでしたが気温はぐんぐん上がって普段なら平地より少しは涼しく感じるはずのS峠界隈もすごい暑さでした。暑い暑いと思いながら約4,5キロ奥まで行ってみた辺り(そこからさらに奥の方にキャンプ場があるらしい案内が見えたところ)で引き返してしまいました。
その道沿いにススキにしては背丈が高くススキより強そうな茎の穂草が一叢出ていました。
飛騨で教えられた萱(カヤ)とも違うように見えたけれど萱だったのかもしれません。(ススキやカヤは固有名詞ではなくて一般名詞または代名詞で、のようなものと言う意味が含まれていると読んだことを思い出した)
      2014_07 20_カフカロード・6
     (何だかキツネが手招きでもしているような感じのススキ?カヤ?の叢)

カフカ・ロードへの寄り道は往復約10キロ、時間にして30分程の迷走でした。
京都に『哲学の道』と言う散歩道があります。ぼくも何度か歩いたことがありますが『かふかのみち』のネーミングはあの観光客がごった返していた哲学の道(フィロソフィー・ロード)に勝るとも劣らぬ良い響きを感じます。
それだけにぼくが今回走った限りの道程にはまったく奇異な物も事も何もなかったのが残念な気分でしたがそれはこの道につけられた名前からぼくが勝手に『カフカの道』(20世紀の作家フランツ・カフカを連想した)などとこじつけて空想を膨らませただけの結果に過ぎないわけで、実態はずっと地域の歴史と実情に則ったネーミングだったのかもしれないということがじつはこの看板の字を見れば一目瞭然なのであります。
2014_07 20_カフカロード・7 2014_07 20_カフカロード・8
(写真左の広い国道を真っ直ぐ進めば「S峠」への登り口、右へ折れれば写真右の看板「鹿深の道」へと続いている)

しかし誰が名付けたのか知らないが、おそらく深く思索するところかあるいは何か瞑想するところあってこの【歴史ルート公園「鹿深の道」】の看板が掲げられたのであろうと思いたい。というのがぼくの空想的願いです。
あるいはそれほど古くない時代にもまだこの道の先は深山幽谷の趣の中にあって季節ごとに群れなす鹿の姿も度々見られたりしていたのかもしれない。とも思います。

次回、またこの道を行く時があればもう少しあちこち枝道などにも迷い込んで鹿の姿か鳴く声にでもめぐり逢えたら印象が深まることでしょう。

  ( 2014・7/28 )

--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
07.22

保存していた豆に異変が!! (blog,86p)

Category: 村の家にて
11日一杯ぼくの畑では影響が残った台風が、やっと通り過ぎてそれでもまだ空がどんよりしていた12日に、村の家の裏手の鉄骨倉庫を点検に行ったら ガガーン!!でした。
この写真の雑草に虫がバラバラいるでしょう。
なんか黒い大きいアリみたいな、へんな蜂みたいな、あちこちの池や小川にいたアメンボウみたいなのがたくさん写ってるのが分かりますか?!
        2014_07 12_ホソヘリカメムシ大発生・1
この虫、ご存知でしょうか?アリでも蜂でもバッタでもありません。(アメンボウは親類らしいけど)これはホソヘリカメムシ!という昆虫だそうです。そのホソヘリカメムシが猛烈に大発生しました!

5月頃から段々増えて来ていたのを放っておいたのですが、それがまずかった、、、のでした。
この虫の大好物は豆類です。裏の鉄骨倉庫の出入り口の屋根の下にぼくは去年の秋に収穫した大量の大豆と黒豆を茎に莢(さや)がついたままの状態で乾燥保存しておいたのですが、それが全て被害にあったのです。やはり豆を莢から外してなにか容器に入れて保管することが最低限必要なことでした。(もう遅い!100%虫の餌になってしまった)
こうして失敗を繰り返しながら人間の暮らしは続いてきたんだなと思います。(泣き笑い)
    2014_07 12_ホソヘリカメムシ大発生・2
上の写真はフレームの左右幅が約6,7cmで上下高さが約4,5cmなのでこの虫の体長は1.5cmからせいぜい2cm未満というところです。よく見るとアリのような体形をした虫と蜂のような感じがする虫と2種類見えると思います。
これがじつは同じ虫で、アリのように見えるのは幼齢虫で蜂かバッタのように見える翅のあるのが成虫でした。
おもしろいのはアリのような体形の幼齢虫はほんとうにアリのように歩いて動き回り、蜂のように見える成虫の方は飛び方がハチによく似ていてしかも近付くとこちらを威嚇でもするかのようにブンブンと音を出してかなり素早く飛び回ります。

ぼくは学究の徒でもないしシートンやファーブルのような観察者で表現者な訳でもありませんがこの虫の生態がアリのようでもありハチのようでもあるのはきっとそのようにして種の生息域を確保しようとする生命の逞しさなんだなあと感心します。
   2014_07 12_ホソヘリカメムシ大発生・3
去年の畑にはそれまでの地主さんだったスーパー・キヨコバアチャンが置き土産に種を蒔いて行ってくれた大豆、黒豆、小豆、枝豆、といくつもの種類の豆が見事に育っていました。
今思い返せば去年の秋の収穫前から畑の豆類にはたくさんの種類のカメムシが次々やって来ていて、この虫も結構来ていることは知っていたのですがこれ程の大発生となるとやはり絶句する感じです。

子どもの頃から知っていることですがカメムシでもウンカでもバッタでもテントウムシでも殆どの虫たちは、人間が近付くと警戒してぼくらの眼から視えない花や葉っぱや茎の反対側へ移動して姿を隠します。それも見事な生き残るための忍術の心得だなあと思います。(上の写真には虫の数が10匹ほどしか写っていないけれど、シャッターを押す2,3秒前には100匹位は見えていた。カメラのレンズを近付けたらあっと言う間に全部豆や茎の裏、束の奥へ隠れたり飛び散ってしまった)

自然界の生物たちは虫でも鳥でも木や草でも魚や獣でも、みんなそうして地球上(水中、土中、空中も含めて)で生きて暮らして来てるんだなあと思うことしきりでした。

  ( 2014・7/19、記 7/22、公開 )

--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
07.20

昔のマンガ本のこと (blog,85p)

久し振りでマンガのことを少しだけ書こうと思います。

ぼくが生まれて育った日本列島中部地域の小さい市では、戦後の第一世代だったぼくたちの幼年期から少年期にかけて(昭和30年代前半から後期にかけて)やっとテレビが一般家庭に普及してきた時代でした。
ぼくの家は親の現金収入が少ない家だったので世間のいわゆるサラリーマン家庭に比べると洗濯機や冷蔵庫やテレビなどの『電化製品』を購入するのはいつも向こう三軒両隣の家々の中ではいちばん遅い方でした。
しかし当時は、いち早くテレビを買った近所の家へ子どもたちが何人も押し掛けて夜の6時半位から8時過ぎ位まで子供向けや家族向けの番組をを観せてもらったものでした。

ぼくは『月光仮面』や『事件記者』でハラハラドキドキして『やりくりアパート』や『あんみつ姫』や『ジェスチャー』で大笑いをしていました。
テレビが無かった我家ではぼくの楽しみはもっぱら東京に就職していた長兄が送ってくれた月遅れの少年漫画雑誌を集めて何度も何度も読み返し、時には主人公の画や場面の模写をして、漠然と将来は自分も漫画家になりたいと思っていました。

その頃の世間一般のマンガに対する評価は
【マンガは学校の勉強の邪魔】【マンガは子供の情操にとって害悪】【マンガは子供の頭脳のおやつ】【悪いマンガ】は読ませてはいけない。【良いマンガ】とは内容が道徳的で教養に資するもの。という、いつの時代でも教育委員会やPTAが口角泡を飛ばす空虚な建前論ばかりで、ぼくはまだ10歳にもならぬ子供でしたが「そんなマンガは面白くないに決まっている!」としっかり反発する心根を抱いていました。
童心ながら自分では一人前に世間のことや自然のことに関心を持っていると思っていたのです。
ぼくが8歳か9歳の頃でした。ある日お隣りの家へ遊びに行くと(その家にはぼくより1歳から9歳位年上の3人の子供が居た)座敷に見慣れないゴツイ本があって、何となく手にとって中身を見るのが警戒を要するような雰囲気の暗い表紙の2,3冊の本でした。それが多分ぼくの記憶にある最初の『貸本漫画冊子』との遭遇だったように思います。
それでも興味に駆られておそる恐る中身をパラパラっと覗いてみたその本が戦記物だったか時代劇だったか怪談のようなものだったかどうしてもハッキリとは思い出せません。何かそういうものだったとは憶えているのですが。

それからも隣家で遊ばせてもらう時には時々貸本漫画に目が触れていました。ただ、その段階ではまだそれらのマンガ本が『貸本』というものだとは認識していませんでした。(それが貸本漫画だったことは更にその1,2年後1960年になってあるきっかけで知ってそれから自分でも時々貸本屋さんに出入りするようになった)

さて、まだうまく貸本漫画のことを説明できていませんがその『貸本漫画』が出版されてきた時代相と作品内容に関する論評考察を通じてぼくたち戦後世代が何者なのか、戦後社会とは何だったのかという自問自答をしている少数の人々がいます。
        IMG_0004 『貸本マンガ史研究』23号・1
その人たちがかつて『貸本マンガ史研究』という冊子を発行して次々に戦後の日本社会における貸本マンガの位相を掘り起こす論陣を張っていました。
しかし経済的には殆ど潤う事が無い出版活動を続けて行くのは並大抵ではありません。他にも理由はあったのかもしれませんが、元々訥々と出されてきたこの冊子はあの2011・3・11、の
東日本大地震・大津波・福島原発放射能拡散事件の直前に発行された第22号を最後に事実上の休刊状態が続き、復刊・活動再開が待たれていました。

その『貸本マンガ史研究』誌の待望の最新23号(第2期、1号)が発行されて、今月の初めにぼくの手元にも届けられました。その冊子の表紙がこの上に載せた写真です。
今号に掲載されている論考や随想の原稿の多くが2年以前には編集室に届いていたものだったと後記にありますので研究会の継続や出版活動の大変さがしのばれます。
しかし冊子は復刊され最新号として発行され、今後も活動を続けて行くと決意表明がなされています。ぼくも時代を共有する者の一人として貸本マンガ史研究会の活動には刮目し続けて行きたいと思っています。
     IMG_0001 『貸本マンガ史研究』23号・2
今年ももうすぐにヒロシマ、ナガサキの傷深く癒されることのない人々の苦しみと嘆きと怨みを忘れてはならない夏が巡ってきます。復刊第一号(通巻23号)『貸本マンガ史研究』誌の最新号・巻頭論評は『子供マンガに原爆はどう描かれたか』(貸本マンガを中心に)というもので筆者は会誌の事務局を担い編集者でもある三宅秀典氏です。

同誌は通常は論評を中心に掲載していてマンガ作品を掲載することはありません。今号ではたまたまなのだそうですが論評中に採り上げられている作品『影』(20頁)を若い日に発表した作者の影丸穣也(譲也)氏が一昨年に逝去されて、所縁の方々からも追悼の随想が寄せられていたことと合わせての作品復刻掲載で影丸氏を追悼する小特集になったのだそうです。
   IMG_0003 『貸本マンガ史研究』23号・3
短いミステリー調の話の展開の中に当時19歳か20歳位の若者であった作者の影丸氏が社会に何を見ていたかが伝わって来るような作品で(とは言え作中の原爆も原爆ドームもあくまでストーリーの構成要素にされているだけではありますが)もしぼくが中学生か高校生の時に読んでいたら影丸氏の印象は違っていたかもしれない。と思いながら読ませてもらいました。
     IMG_0002 『貸本マンガ史研究』23号・4
ところで実はぼくもこの号に短い随想を載せてもらっているのですが、それもやはり影丸氏が亡くなられた後に編集の三宅氏から何か影丸氏に関して書いてみてくれないかと言われて貸本時代の彼の読者であった記憶から極めて個人的な感想をかかせてもらったもので、貸本に関する論ではありません。

そういうことで今日のブログページは全て『貸本マンガ史研究』誌についての話題になりました。
先日も三宅氏と電話で話したのですが、ぼくは日常のことでも自分の考えでもダラダラと日記や思い出話のように書き続けることはできるのですが、それでは『論』にはなりません。論にするには記述内容を徹底的に客観視できる冷徹さと自らの思索を体系付けて普遍化する資質と努力と実行力が必要です。
残念ながらぼくにはそういう力が不足しています。それでこれからも時折ご縁がある時に感想や随想だけならば寄稿投稿させていただくことをお約束しました。

今日のブログ記事の最後になりましたが『貸本マンガ史研究』(貸本マンガ史研究会・会誌)に興味をお持ちになられた方々はどうぞこちらが復刊に合わせて発足した新しいブログです。
(ぼく自身は会員ではありませんが会員には親しい方々が居られます)
            ↓        ↓
       http://blog.goo.ne.jp/kashihonmanga
         【 貸本マンガ史研究会ブログ 】
  

      ( 2014・7/19、記 7/20、公開 )

--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------
Comment:0  Trackback:0
2014
07.18

隣り村の花火  (blog,84p)

Category: 村の家にて
台風は過ぎて行きましたが畑で倒れた作物の立て直しや少しの収穫や草引き作業で一日の活動時間の半分以上を費やした12日土曜日、野良仕事に終りはないのでついつい暗くなるまで畑に居ることになります。

その日は月が綺麗でした。
家と畑から眺める月は近所にある郊外ゴルフ練習場の背の高いフェンスとネットを照らす夜間照明の、まるで大きい野外ステージの舞台装置のような地上施設の上に昇って来る地形になっているので、残念ですが『いささか無粋な観月』になってしまいます。
  2014_07 12_池村の山の上の月
それで観月のポイントを移してちょっと角度を変えて家から数分、150メートルかもう少し田んぼの農道へ歩くと風景はこの写真のようになります。(この日は車だったので1分!)
正面の山の稜線一番左端のちらちら見える明かりの後ろの山の向こう側に(山の一部も含んで)ぼくの『マンガのある農園』開設予定地・村の家があります。

なんとか出来るだけ野菜の立ち直りを助けようと蚊の大群に襲われながら昼飯も抜きで奮闘していたのですが、作業は幾らも進まず体力は消耗してぼつぼつ日も暮れかかってきた夜7時頃になって、突然すぐ近くで花火の爆発音が聞こえました。
鍬や鎌を片付けながら周りを見渡したのですがこの家や畑からは何も見えません。音は少しの間隔を置いて繰り返し聴こえて来ます。
それで家の裏山の竹林の方へ注意を向けていたところ、なんかちょっと光が見えたような感じがしましたので急いで農舎(農業倉庫)へ農具をしまって汗を拭き、シャツを着替えて車で田んぼの方へ向かってみました。(上の写真の風景の見える辺りまで)

すると見えました!
本当にすぐ近くで点火発射音が聞こえ、続いて爆発音とともに夜空に大輪の花が咲きます。
2014_07 12_上村(隣村)の花火・1 2014_07 12_上村(隣村)の花火・2
   (ドーン!パチパチパチ、、、)         (ドドーンンン、、、)

2014_07 12_上村(隣村)の花火・3 2014_07 12_上村(隣村)の花火・4
        (ダン!!)          (ドン、ドン、ドドーン、、、)

しばらくすぐ近くの暗い空に咲く花火の華に見惚れていてフト気がつくと自分の車のフロントウインドウにもボンネット部分にも空に爆ぜる大きな光の花が反射して映っています。
2014_07 12_上村(隣村)の花火・5 2014_07 12_上村(隣村)の花火・6
これがまた何ともいえず美しい造形的な感覚表現に出遭った印象でした。それで写真に撮っておこうと思ったのですが、夜の空に一瞬光る花火とその爆発の閃光を光源にして手前の車に反射する光の輪を距離感を無視して捉えるのは自動操作のカメラでは非常に難しいことでした。どうやってもこういう物理空間を同一ファインダーで捉えきれません。
まあ「面白い眺めだったよ!」 という雰囲気だけでも伝わってくれたらと思ってここに載せました。

ぼく自身、町の家へ帰って14日になってデジカメからパソコンに画像データを移してディスプレイ拡大してみるまでは判らなかったことですが、このたくさんの花火を打ち上げている発射場はぼくが立って観ている田んぼの中の農道のたった200~300メートルばかり先のやはり田んぼの中の農道かまたは空き地に設営されていたようです。(それでも字は隣りのU村なのだと近くで観ていた人が教えてくれた)
   2014_07 12_上村(隣村)の花火・7
(まさかこんなに近くだったとは驚き! 若い頃よりだいぶ視力が衰えて来ているぼくの眼では見物中、地表は空と区別がつかない真っ暗な空間にしか見えなかったし遠近感も掴めていなかった)

暗い光景で使う自動カメラでは相当注意深く撮影しないと直ぐに手ブレ写真になってしまってせっかく撮った画像を後で見ても自分でも何を写したのか思い出せないことがよくあります。
これなんかもきっとやがてはそういう記憶の谷へ埋まって行くに違いない一枚でしょうが、今なら上の写真にある花火をわざと効果を狙って「ゲイジツテキヒョーゲン」を試みた一枚の写真。と言って楽しむこともできそうです。(ぼくは「芸術」という言葉も概念も商品を差別化する詐称に過ぎないと思っているから嫌いだが「ゲイジツ」「ゲージツ」の方は文字通り芸術を揶揄する遊び要素を内包する自由な表現で「有り!」と思っている)
         2014_07 12_上村(隣村)の花火・8
この画像を見ていたら、そういえばもう30年以上昔に京都の鞍馬山で観た『火祭り』の勇壮、荘厳な松明(たいまつ)行列集団を思い出しました。(そうだ、その火祭りで大勢の半裸の男衆に混じって威勢良い囃子の大太鼓を叩き「サイリョ・エー・サイリョー!」と気勢を上げていたのは当時親しくしていた仕事場近くの青年の叔母さんだったなあ)

7時頃から音が聴こえ始めた花火は段々空の暗さが増すに従って華やかさと見物人の数が増して来ていつもは昼間でもそれほど自動車が走らない家のすぐ近くの農道に近郷近在の人方の車がいっぱいに停車しています。
ぼくは経験もないのですが、どこかの「ドライブイン・シアター」と言うのはこんな感じかなあなどと思っていたら、パトカーがやって来てマイクで「ここは駐車禁止です。農道に駐車している車は通行の邪魔になりますので直ちに移動して下さい。この農道は駐車禁止です」と言って過ぎて行きました。(時代劇なら“ウム、お役目ご苦労”というところだろうか)

田舎の田園地帯の夜の9時、普段ならば(まだ夜中とは言わないにしても)すっかり夜の闇の中です。 ちょうど9時頃になって今まで花火を打ち上げていた地点から北へ50メートル位離れた辺りから誰かがマイクも使わず大声で周辺の見物客大衆に向かって(つまり多分ぼくが見て居た方に向かって)「それではただ今から最後の連続花火を行います」と呼び掛けてくれる声が聞こえました。
         2014_07 12_上村(隣村)の花火・9
その声を合図に少し小振りでそれまでの高さより低い空で爆ぜて開花するなかなか味わい深い古風な感じの花火が10発20発と途切れなく続けられてこの夜の美しい爽やかな催しは終了しました。

これが隣り村の花火大会であることを教えてくれた見物人母子が『この地方には今夜の花火大会を最初として来週末19日には海辺の町「オイズ」と言うところで開催され、その次の週末には「ミヤカワ花火大会」というかなり大規模な催しに繋がって行き、その後もあちこちで花火大会が開催されて夏の楽しみになっている』と話してくれてどこかへ帰って行かれました。

その夜まで、ぼくは誰からも地域情報を聞いていませんでしたのでなんだか旅先で思わぬ地元のお祭りに出くわしたようなそこはかとない楽しさを味わいました。 もしまた次に村の家に滞在する日程と地元の催しが重なる時にはぜひ見物したいものです。
台風で痛めつけられた畑のことで体力も思考も疲れてしまっていたぼくにはいい夜になってくれました。それから家(村の田んぼの花火大会・特等自由席から車で1分、歩いて5分!)へ帰って、昨日のブログに載せたような素朴な夕食を摂ってまたいつものように長いメモを書いて夜更かしになったことは言うまでもありません。

では次回はやっと久し振りにマンガの事を書こうと思います。

  ( 2014・7/17、記 7/18、公開 )

--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
07.16

村の家は台風の通路になって (blog,83p)

Category: 畑のあれこれ
町の家へ帰っていた間の一週間は社会の動きに敏感に自分の意思を表したいと思って街頭デモや憲法9条勉強会に出掛け、知人がマンガ関連の冊子を送ってくれたことに思いを寄せ、幾つかの音楽イベントにも参加してまた聴きにも行き、昨年末から放っておいたらこの頃急に痛み出した虫歯の治療にも通い、忙しい日々と時間を過ごしていました。

そうこうしている内に日本列島南西海上から台風が来るらしいと報じられて、ほとんど無防備な村の野良の野菜たちのことが気にかかって9日に村へと走りました。
往路の途中で何度か強い雨降り状況に出遭い、高速道路をやや低速で、ワイパーだけは全速で走り、着いてみると村の家のエリアにはまだそれほどの気象変化はやって来ていませんでした。
2014_07 09_キューリが瓜になっていた 2014_07 09_キューリの大きさ比較
直ぐに畑を見に行くと一週間のブランクで先ずキューリがものすごく肥大化していたことに仰天しました。
これはもうキューリと呼ぶよりむしろ「瓜」その物と呼ぶべき急成長の仕方で、太さは500mlのペットボトルかもっと太いぐらいあって長さは1.5~2リットルのペットボトルよりずっと長い、そんな大きさになっていたのです。
(上の写真・右側の上方に並べた2本がスーパーなどで売られている普通の大きさ。一番大きいのはぼくの腕の肘から指の先までと同じ長さ太さがあった)
しかもその巨大キューリの数20数本!! そんなキューリをどうやって食べられるのだろうかと思いながらともかく収穫しました。その中に3本ほど傷んでいるのがあって重さで垂れ下がって土に埋まり加減の個体が傷みが激しいのでした。
傷んだキューリは真っ白い泡を吹いたような感じになっていて、ちょうど林の中の池の縁の木の枝にある「モリアオガエルの産卵個所」のように見えます。 しかしよく見て分かったことですがキューリに発生していた泡のようなものはどうやら土中にある菌糸が忽ち増殖した物らしくて、洗い流して見ると本当に泡か綿菓子のように流すことが出来てキューリに傷が付いている部分以外は食べられそうだったのですがその場で食べて見るのは止めておきました。

それから下に位置する畑を見に行くとピーマン、子供ピーマン、しし唐、ナス、トマトが少しずつ収穫できる時期になって来ていました。(ただしトマトとナスはどうもうまく育っていない感じでトマトはみんな割れているしナスはボコボコでゴッチゴチに傷つき触るとえらく硬い。これじゃ食べられないかもしれないと思いながら捥いだ)
トマトと巨大キューリはよく洗って食べてみるとかなり美味しい味で食べられることが分かったけれど、ゴツゴツのナスは食べてみませんでした。
     2014_07 09_野菜がいろいろ穫れ始めたが、
他に蔓無しインゲン豆も収穫できたのですが茎が低くて(それはぼくが栽培方法に無知で茎が小さい内から支柱を立てて上へ誘導してやらなかったため)やはり地面に触れてしまうものが多くてそうするとみんな虫に食われたり菌にやられて腐食したり傷んでしまうらしいです。

収穫物の傷んだものは取敢えず自分で食べることにしました。下の写真は傷んだ部分を折り取って綺麗な部分だけを塩茹でにした蔓無しインゲン豆で、町の家から家人がタッパーいっぱいに持たせてくれたご飯をレンジでチンして地元産の美味しい卵!と納豆をかけて食べたらこの「独り者のシンプルな食事」がなかなかいい感じの夕餉でありました。(写真の他に上のトマトとキューリも食べてヘルシーな食事。今回の滞在4日間中3日間はほぼ同じ主食メニューで、バリエーションで冷奴豆腐を附けたり果物を食べたりメンチカツや鯵のフライを買ってきて附け足したりして飽きなかった)
         2014_07 10_質素な夕ご飯
10日になっていよいよ台風がやってきました。当初、沖縄地方をゆっくり進んできた台風は風速が25m/sとそれほど強い感じではないようでしたが九州、四国、本州と東・北方向に上がって来るに従って雨風が広い範囲で強まり、台風から遠い信州でも土石流が発生して亡くなる人が出ると言う被害状況になってきました。(この被災地、南木曽を先月初めにぼくは信州からの帰路、車で走ったばかりだった)
村の家でも一晩中、翌朝になってもなお強い風と時折大降りの雨が続き、その界隈で最大風速が29m/sを記録したとラジオの台風情報が伝えていました。
この調子ではきっと畑の作物に影響が出ているだろうと思いながら朝の内暫くは家の中でおとなしくしていましたが、段々じっとして居られなくなってついに合羽を着て外へ出て見ると案の定、キューリも豆類もトウモロコシもニンジンも作物の大半が強い風雨になぎ倒されて茎物は根が地上に露出する危機的状態に立ち至っていました。
2014_07 11_台風の後のキューリ 2014_07 11_台風の後の豆類とトウモロコシ
(写真・左は蔓の上部が折れて垂れ下がってしまったキューリ、右は小さい畝のトウモロコシと豆類。一言で言えばズタズタで放置したら全滅する状態)

2014_07 11_台風の後のニンジン 2014_07 11_台風の後のトウモロコシ
(写真・左、すっかり露出してしまったニンジン)(写真・右側、大きい畝の方の16本のトウモロコシも全部倒されて根が地上に露出してしまった)

トウモロコシも豆類も、しし唐やピーマンも台風が去った後の二日掛かりで支柱を立て直し、誘導し直し、露出してしまった根には畝を中耕して土寄せをして植物の生命力に復活を期しました。
        2014_07 11_台風の後のサツマイモと雑草びっしり
 (サツマイモと雑草の混在の様子。雨が降ろうが風が吹こうが何でも自分が成長して縄張りを拡げる糧にして伸び続ける生き様こそが【雑草】の真骨頂だなあと分かる)

ぼくは幼少時から変わらず雑草が好きで野辺に自生する蔓も葉っぱも花も実も非常に親しみを感じて接してきました。遊び道具でもあり遊び相手でもありました。しかし博物学的知識は乏しいままなので時々突然皮膚がかぶれたりするのもそんな雑草趣味と何か関係があるのかもしれないと思いますが真相は分からないままです。

ビニールの合羽を着て、しかし雨よりも自分の汗で全身びしょ濡れになりながら支柱を立て直して何とか再びしっかり育ってほしいと願ったトウモロコシの2本の畝の小さい方が、12日の朝になって何者かに襲われて(うまく行けば次回、村へ来て少しは収穫できるかもしれないと期待したばかりの実が入り始めた本体が)片っ端から折り落とされて食い荒らされてしまっているのを発見しました。
被害の大きさとしては7,8本のトウモロコシの実が奪われただけで、まだ大きい方の畝のトウモロコシ15,6本の茎はほぼ無傷で残っていたけれど、何ともいえずショックを受けてしまって一気に徒労感に襲われてしまいました。
2014_07 13_何者かに食い荒らされたトウモロコシ 2014_07 13_トウモロコシ被害状況・多分カラス
(辛うじて茎についている実も散々に啄ばまれてコガネムシやカナブンやハエが集まっている。多分犯人はカラスだろうと推察した。ここまでの労働と忍耐は無に帰した)

カラスのコロニーについては前にもこのブログで記載した通り、この家の裏横手の山が一大集団(おそらく1千羽単位)の塒(ねぐら)になっているのです。
まあ、ぼくの方から望んでこの暮らしを始めようとしているわけなので自然界では当たり前の現象とその結果に一々落ち込んでいても仕方が無いのですがぼくはどちらかと言うと感傷的な人間なのでよく凹んでいます。

一日も早くここへ引っ越して来て毎日畑に親しんでいれば農作物の成長に伴う病害虫や鳥獣被害からはきっとずいぶん護り救う事が出来るでしょう。そのためには何がなんでも予算内で家の改修工事、竣工が切迫した課題です。
元気を出して目標に向かうしかありません。

今回は14日月曜日には歯医者さんの受診が決まっていたので13日中には一旦町の家へ帰らなければならなりませんでした。(帰宅は深夜になった)
収穫野菜は、先般の収穫物ジャガイモやタマネギと一緒に東京に暮らしている息子とマンガ関連の知人になるべくうまそうなところを選んで宅配便で送り、訪ねて来た方にも巨大キューリを受け取ってもらいました。
ゴチゴチナスは棄てるに忍びなく家へ持ち帰りましたら家人が昨夕食のおかずの一品にそのナスの煮付けを作ってくれました。巨大キューリはぼくは生で齧っていましたが家ではたくさんの漬物に変身中です。(浅漬け、キューちゃん漬け、ピクルス等)
それでは以下、次回へ。

  ( 2014・7/16、記 )

--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
07.08

第42回 『七夕コンサート』  (blog,82p)

Category: 町の家にて
一昨日の土曜日に「ぎっくり腰」になってしまいました。
歯医者さんに行こうとしてちょっと自転車を動かした時に倒れそうになったので咄嗟にその自転車を左足で支えようとした瞬間、全く思いもよらず腰に小さなツッパリ感と痛みがあって「あっ!?」と思ったのですが、時既に遅しでした。
時間が経つほどに痛みが増して来て今も治っていません。参ったです。

梅雨時も末期を迎えてやっと、というかいよいよというか連日雨を見る状態が続いています。一週間前に村の家から町の家へ戻って昨夜までの期間は政府のデタラメな憲法解釈(壊憲)で日本を戦争する国にするという最悪な強権政治に対して抗議の力になるかならぬか分かりませんが、地元の町で行われた小規模なデモへ参加したり(憲法の存在と為政者の無脳な存在とのシュールなまでの乖離感に唖然としながらも)やはり自分の生き方として理不尽、不条理に対しては物理的に抵抗の意思を表したいという思いで法学者の講演会を聴きに行ったりしています。

それから自分自身でライブハウスへ飛び入りで歌いに行ったり知り合いの方々のライブを観に(聴きに)行ったりと忙しく過ごしてきました。
以下の写真と記事は「ぎっくり腰」を押して7月5日6日(土、日)の2日間、よく行くライブハウスで毎年開催されている『七夕ライブコンサート』に行ったレポです。
先ずは出演者のご紹介です。5日土曜日のライブ出演順に写真の下にお名前を入れました。
2014_07 05_七夕コンサート・古川豪 2014_07 05_七夕コンサート・三浦久
      (古川 豪さん)               (三浦 久さん)

2014_07 05_七夕コンサート・中山ラビ 2014_07 05_七夕コンサート・豊田勇造
      (中山 ラビさん)             (豊田 勇造さん)

そして本来ならばこのコンサートにはもう一人出演メンバーが居るはずなのですが、ついこの5月に亡くなられてしまって歌いに来られなかった人がいます。
その人の名前は「ひがしのひとし」と言います。『七夕ライブ』はことしで42回目になるイベントなので全員揃わないことはよくありましたがもう会えない、もうライブが見られないという事態になったのはひがしのさんが最初です。(ぼくはひがしのさんの最近のライブは昨年の七夕ライブの後、別のお店で彼のソロライブを見ていましたがそこではお客さんの人数がぼくを入れて5,6人ばかりでした)

ひがしのさんが活躍した'70年代のその当時('80年代半ばまでぼくは日本語のフォークソングとかに殆ど興味を失っていた時期があったので)すれ違っていたのですが、彼は日本のシンガーソングライターでは草分けの一人でシンガーとしてもレコーディング・ディレクター、プロデューサーとしても活躍の経歴は長く、かつては大きい会場で歌う事も多かった人だそうです。
ぼくが改めて日本語フォークなども聴くようになった'80年代後期以降のライブ、とくに2000年代に入ってからのひがしのさんは実に淡々としていてお客さんの数など多かろうと少なかろうと誰か自分の歌を聴きたいと言う人さえそこにいれば人数は問題じゃないという姿勢で歌ってくれる人でした。(第一ひがしのさんはお客より先に酔っぱらってからライブで歌った。晩年のステージでは居眠り状態のようなこともあった)

ここ数年、ぼくはライブ会場で「酒酔い人・ひがしのさん」と会話することが多くなっていて、3年程前に(彼がライブの折に語る若かったころに外国を放浪の旅をした話の一部をマンガに描く了解をもらっていて)ぜひ早く実現して見せてくれと言われていたのに突然亡くなられてしまったのでお約束が果たせませんでした。
しかしぼくは遅くなっても必ずそのマンガは仕上げて彼の名を冠した作品にしたいと心に決めています。
       2014_07 05_ひがしのさん写真パネル
(今回のライブ2日間ステージの奥壁には、盟友・古川豪さんが撮影した写真2枚がパネルになって飾られ、仲間のステージのフィナーレまで共演していました)
      ------------------------------------------------------------
       ひがしのひとしの歌『マクシム』のライブ音源(youtubeより)
               ↓          ↓
        http://www.youtube.com/watch?v=C4CBkO8GyOc
      ------------------------------------------------------------
        2014_07 05_ひがしのさんLP『マクシム』
             ↑             ↑
(この夏CD化再発売になるひがしのひとし最初のLPレコード『マクシム』のジャケット)
彼がよく七夕コンサート・フィナーレで指一本で弾いて笑っていたステージのピアノの上に飾られていた。(このLPが出た時代、若者の間にマンガの話題や影響が多くこのジャケット写真も、つげ義春のマンガ『ねじ式』の中の画と似ていると言われたりしたという)

     2014_07 05_七夕コンサート・5日フィナーレ・1
(5日・土曜の夜のフィナーレ、出演メンバーの他にもひがしのさんに縁のあった4人の演奏者やシンガーがステージに上って彼を偲びながら一曲目は定番の『ホーボーの子守唄・Hobo's Lullaby』)⇒http://www.youtube.com/watch?v=J72hq9kLyUQ&feature=kp
     2014_07 05_七夕コンサート・5日フィナーレ・2
(2曲目は1960年代アメリカのプロテストソング『 We Shall Overcome 』 この曲の作曲者ピート・シーガーも今年1月に99歳という高齢で亡くなられたのですが、最晩年まで歌を唄う事で民衆の自由と抵抗と連帯を訴えることをし続け世界中の働く人々や若者たちに勇気と励ましを贈り届け続けた人でした)
     2014_07 05_七夕コンサート・5日・客席・1
アフターステージのライブハウス店内。ライブの余韻を楽しむ人々がまだ30人近く残って飲み物を片手に談笑しています。やがて楽屋で一休みした演奏者たちもやってきて和やかに夜中までお酒と会話が続きます。(こういう雰囲気まで楽しめるのはライブハウスならではです)

ここからの写真は翌6日のコンサート・フィナーレの模様です。(この日も各出演者は昨日同様、ひがしのさんの人となりについて思い出を交えながらそれぞれに歌い演奏してくれました。何曲かひがしのソングも歌ってくれました)
2014_07 06_七夕コンサート・6日フィナーレ・1 2014_07 06_七夕コンサート・6日フィナーレ
(出演者・左から豊田勇造、古川豪、ひがしのひとしの写真、中山ラビ、三浦久のみなさん)
この夜のステージは前日と違ってステージ上に出演者4人と2枚の写真パネルで歌い微笑むひがしのひとしさんが揃ってのフィナーレでした。
一昨年の40回目の七夕コンサートの時、古川さんが「この40回を期に、もう七夕コンサートの幕を引こうかとも思った」と言っておられたことを思い出しながら今年の会場の模様を手持ちのデジカメで撮影し(今まではライブ全体をレポートしたことが無かったのですが)今回初めて自分のブログでこういう人々の活動と軌跡をお伝えしておきたいと思いました。
    2014_07 06_七夕コンサート・6日フィナーレ・2
ライブハウスのステージと客席には殆ど距離感はありません。
それでも普通は演奏者の邪魔や妨害をするような無粋なお客は居ません。手の届く場所で演奏者や歌い手が生き生きと動きまわり、ぼくたちは銘々が自由に聴き、眺め、一緒に歌い、手拍子をとって楽しみ、ステージの演者に拍手を送って彼らの研鑽とパフォーマンスを讃えることでその音楽時間を共有するのです。

この『七夕コンサート』が毎年開催されてきた会場は京都市内にある『拾得(じっとく、と読みます)』と言うライブハウスで、この『拾得(じっとく)』は日本で “ライブハウス” という名前を使って音楽の発信者となった最初のお店と言われています。
(最初期の『七夕コンサート』数回は別の場所で開催されたと聞いています。それから自慢じゃないがぼくはこのお店の最古参のお客の一人!)

というわけで音楽三昧の一週間があっという間に過ぎてしまいました。
今日8日の夜が明けてやるべきことと時間割によるのですが、今夜か明日の早朝までにはまた村の家へ行って野菜たちの世話と農業機器(耕運機と草刈り機が動かない状態、ピンチ!)の点検整備をしたいと思います。機械の方は業者さんに任せるしかないかもしれません、出費が怖いです。

それから久しぶりにマンガに関する話題も書きたいと思います。昨日突然、知人たちが作っているマンガ評論誌の最新刊が届けられましたのでその冊子のこともお知らせしたいし、東京で個人でマンガの出版活動をしている人が届けてくれた別の冊子についてや他にもマンガの事を少々書きたいと思います。
それではまた、村の家の畑のご報告などとともにぼくの気ままなブログは続きます。

  ( 2014・7/7~8 )

--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
07.02

畑は雑草の天下です。 (blog,81p)

Category: 畑のあれこれ
ジャガイモの収穫をしながらも、隣に畝を立てたサツマ芋の方が既に雑草にびっしりはびこられて気になっていたのですが滞在時間(日数)と体力との兼ね合いで(両方一遍に作業することはとても無理なので)先ずジャガイモやタマネギの収穫を優先して育成中の作物の雑草引きは後回しにしたのでその間にも雑草たちはさらに力強く勢力を伸ばしていました。
2014_06 19_サツマ芋畑の雑草・1 2014_06 19_サツマ芋畑の雑草・2
そしてやっと頑張ってサツマ芋の畝の雑草を引き、追肥をしました。(正味4日間掛った)今回はあまりの体力消耗に作業工程の一々を写真で記録することが出来ませんでした。それで上の2枚の写真の畝を草引き途中で撮った下の写真との対比が一応ビフォー、アフターの説明ということになります。
苗の植え付け段階でマルチ(苗の伸びるスペース以外を覆う黒や白の農業用ビニールシート)も使わず、除草剤も草刈り機(刈払い機という)も使わず、ただひたすら軍手をはめた自分の手、指だけで引き抜いて行く除草作業なので嫌になるほど時間が掛って体力の消耗も激しいのです。
     2014_06 29_サツマ芋畑・雑草引き
このサツマ芋の雑草引きを始めた日の午後に突然左足の土踏まずの部分が引き攣ってしまってコムラ返りを起こしました。ずっと2時間位休憩もせずに屈みこんで腰をねじった格好で草を引いていて無理な姿勢で引き攣ってしまったのかなと思って立ち上がり、足を動かしてリラックスさせ、ひどくならずに済んだと思ってまた作業を始めたら少し経って再び同じ状態になり、また慌てて足を揉んだり腰をひねったりして何とかその日の作業を続け午後7時過ぎになって家へ上がりました。

家の座敷には元の地主さんが使っていたのでしょう、コタツテーブルや座敷テーブルの低さに合わせた低い座敷椅子があるのですがそれに座ってお茶を一服しようとした時にもまた足が引き攣って、さすがにこれは何かおかしい、体調の変化かな? と思いましたがお腹も空いているし疲れも出てきてしまうから食事前にゆっくり休んでいるわけにはゆきません。

それで収穫したばかりの3品種のジャガイモをよく洗い、皮をむいて粗塩で茹で上げて買い置きの荒挽きソーセージを並べてバターやマヨネーズで「主食・ジャガイモ」の食事をしましたが、これが本当に美味しい食べ物でした。
2014_06 22_ジャガイモ・洗って 2014_06 22_ジャガイモ・茹でて
ぼくは二人の画家「ヴァン・ゴッホ」と「パブロ・ピカソ」を気取ってジャガイモを食べました。ゴッホやピカソの時代の深刻さはないですが独りでジャガイモを食べるだけの食事をしながら19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパの絵画事情に思いを馳せるのはなかなかいい気分でした。
     2014_06 22_じゃがバター、荒引きソーセージ
ぼくはあまりお酒が飲めません。20数年前までは殆ど全く飲みませんでした。
しかしいろいろあって今では少しは飲むようになりました。といっても350mlの缶1本が独りでは簡単に飲み干せないのです。それでこの写真の場合にも飲み残し1/3程は夜中になって本を読んだり記録を書き込んだりしながらお茶代わりに気の抜けた酒(苦い水)を口にするという具合でした。

そうそう、足がコムラ返りを起こして引き攣った件ですが、たまたま深夜ラジオでその晩『熱中症の症状』についての話題があってその話を聞くとどうやらぼくの昼間の足の引きつり(体もちょっとふ~らりふ~らりしていた)は熱中症の症状に当てはまるようだぞと解釈できました。
それで翌日からはちょっと作業をしては直ぐに家へ戻って飲み物を補給して過労と脱水症状にならないように心掛け、その後は町の家へ帰宅するまで同じ状態にはなりませんでした。

ところで草引きをしていたらキューリもナスもインゲン豆もトマトもピーマンもまだ少しですがそれぞれみんな食べられそうな大きさ、色合いになってきていることに気が付きました。
そのご報告はまた明日。

  ( 2014・7/2 )

--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
back-to-top