2014
11.30

深まる秋と虫たち・2 (blog,134p)

Category: 村の家にて
秋も深まって村の家の周りにも様々な季節の変化が感じられるようになってきました。
夏の盛りから秋10月の初旬にかけて昆虫やその他の虫や土の上を動き回る生き物、土の中で活動する生き物、空を飛ぶ鳥や様々な生き物たちが激しく往来していた村の家の畑や庭や周辺の環境から段々とそうした生き物の数も眼で見る限りは減ってきて、この頃ではすっかり日が暮れるのも早くなって夜が長くなりました。
2014_11 04_虫たち・蝶々2 2014_11 04_虫たち・蝶々3
秋の空を茜色に染めて飛んでいた赤トンボの姿も殆ど見なくなりましたがまだ何種類かの蝶々は元気に花の上を舞っています。
上の写真・左はツマグロヒョウモンの雌、右はキタテハ(今日のブログを書くにあたって図鑑を開いて確認したら今までてっきりヒョウモン蝶だと思っていたのがタテハ蝶だったことを知った。羽の形が全く違う。ああ、ぼくは何十年も生きてるのに無知なんだなあと再自覚!)
2014_11 04_虫たち・テントウ虫 2014_11 05_虫たち・青松虫
写真上の左は七星テントウ虫、右側は青松虫です。アオマツムシは10月中頃まで毎日庭の山桃の大木の上の方でうるさいほど長時間鳴き続けていましたが、さすがにぼくたち人間の眼線以下の場所まで降りて来ていたこの個体はもうカメラを近付けても逃げたり隠れたりする力も無いようで頭の先と尾の先は青葉が枯れたように変色して、この虫の生涯も終焉に近いように感じました。
そういえばいつの間にかコオロギの音(ね)もカンタンの音も聞こえなくなりました。
2014_11 04_虫たち・カマキリ 2014_11 04_虫たち・カタツムリ
このカマキリ↑は凛と構える力が無くなってこんなにペッタンコの格好をしているのか或いはこうして獲物を待っているのか、しばらく観察して見ていたのですが動かないので判断のしようがありませんでした。写真右側は白菜の葉を食い荒らしてしまう小さいカタツムリです。(体型は小さいけれど気が付くとすべての葉が穴だらけにされてしまっているクセモノ!)

葉物野菜(特にぼくたち人間が生で食べられる種類の葉っぱ)は大体たくさんの種類の虫の好物になっていて更にはその虫を狙う鳥にもついばまれたりする場合もあって、簡単に無農薬栽培とか言うけれど、約1年間実際に自分でやってみてこれでは営農者の人たちにはとてもじゃないが無農薬だの有機栽培だのは実際には「とてもやりきれるものではない」と身を以って覚えました。
まあぼくなどは勝手に畑で遊んでいて虫や鳥に食われた野菜の葉っぱだろうが果実だろうがネズミに食い散らかされて半分しか食べられなくなったさつま芋だろうが喜んで残り物を食べているのですから今後もこの調子で続けて行くのだろうと思います。

  ( 2014・11/30 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

スポンサーサイト
Comment:0  Trackback:0
2014
11.28

深まる秋と虫たち・1 (blog,133p)

Category: 村の家にて
温暖な「ぼくたちの村の家のある地方」でも秋が段々深まって来ています。
最近では夕方になって陽が沈むと外気温がグッと下がって来るのを感じます。といっても甲信越地方や北国のような厳しい寒さはまだありません。

10月の下旬からは滞在中、部屋では石油ストーブを焚いていますが別棟になっているトイレ(昔式)の手洗い用水道の窓の内側に、去年も度々来ていましたが「蜂」が数匹入り込んで来て外の寒さから避難しているようです。
          2014_11 07_秋・蜂がいる1
今回は同じ場所に(夏場にはよく木の幹の樹液を吸っている)地味な色合いのタテハ蝶も来ていました。(上の写真の右下部分。この蝶は滞在中、観察している内に段々羽ばたく元気がなくなってきて、3日後だったかにはどこにも姿が見えなくなった)
         2014_11 07_秋・蜂がいる2
今回来ていた蜂をよく見ると、全部で数匹いたのですがその内の2匹はぴったり寄り添ってしかもこの写真の通り、右側の蜂が左側の蜂の身体をしっかり(細い長い脚で)引き寄せて抱えていたのでした。
ぼくたち人間の思うような感情的なつながりがあってのことかどうかはぼくには知れませんが何だかドラマチックな感慨に耽って見入ってしまいました。

自然の摂理に従って生きる虫たちを擬人化して描く物語は昔から古今東西多くの人々によって書かれ続けていますが(斯く言うぼく自身にも幾つか短いマンガの話がある)また一つ虫たちと自然環境をめぐる話(Fairy Tail)が頭に(心に)浮かんでメモして帰ってきました。

  ( 2014・11/28 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
11.27

しんどい日々ですが、 (blog,132p)

Category: 畑のあれこれ
また村の家へ行ってきました。11月19日から行って25日に町の家へ帰ってきました。
今までで一番しんどい思いの村の家滞在でした。
理由は二つありました。
決定的だったのは数年振りでぼくがひどい風邪をひいてしまったことです。町の家を出発する日に何かいつもと体調が違うような感じがしたのですが、理由は分かりませんでした。
「あれ?!これはもしかしたら風邪を引いたのかな?!」と気がついたのは21日になって喉が少し(痛いというほどではなかったけれど)変調を来たしてからでした。

それまであまり深刻に受け止めずに20日にはウロウロと畑を見て歩き次の野菜の栽培プランを考えながらちょっと土を移動したりしていました。ジャガイモの成長はどうやら順調のようですがまだ花が咲かないのでこんなに遅くてもいいのかなあと思いながら見ています。
      2014_11 20_畑・11月2回目の1
10月には幾つか野菜の種を蒔きましたが大根もホーレン草も今のところは割とうまく育ってくれているようです。もっともホーレン草は去年買った『紐についた種』の残りも蒔いたのですがそれは全然発芽しなくて今年の新しい種を蒔いた分だけが育っています。

そして下の写真の斜めの畝の真ん中は春菊の種を蒔いた場所ですが、本当に温暖なこの地では春菊の芽よりも土着の雑草の方がはるかに元気良く育ちつつあって時期を見て雑草を引いてやらないと冬に春菊を食べる鍋やすき焼きを楽しむのが難しくなりそうです。
      2014_11 20_畑・11月2回目の2
その春菊は去年種を蒔いて昨冬から今年の春先までたくさん収穫して食べた分がありましたがその後どんどん茎が成長して花が咲いてきれいでした。野菜で食べて花が咲いて楽しみが2倍だったわけですが、たくさん花が咲いたので畑にたくさん種が落ちました。
その種が「野生化」して勝手に芽が出て茎葉が伸びて来てあちこちでちょうど食べ時の葉が目につくようになりました。それからやはり野生化したジャガイモらしい茎葉も見受けられます。
  (下の写真・左=春菊、右側=たぶん何年も前のジャガイモ、のそれぞれ野生化種)
2014_11 20_畑・11月2回目の3 2014_11 20_畑・11月2回目の4
町へ帰る25日の夕方近くなって雨のシトシト降る下で最初は雨合羽も着ずにびしょ濡れで、途中からは防水ジャケットを着て食べられるものを収穫しました。(下の写真)
ピーマンと青唐はぼつぼつここらでお終いの採取になりそうです。(ミカンはもう一回だけ採れそうかな?)ホーレン草(左)と大根(右)は間引き菜ですがスーパーでも八百屋さんでも十分売り物になるでしょう。それは真ん中の春菊(野生化種)も同じです。
   2014_11 25_畑・11月2回目の5
風邪の具合は段々悪くなっていました。21日にはドラッグストアで風邪薬を買って一日3回づつちゃんと服用し続けたのですが若い頃からぼくには市販の風邪薬が自分の風邪を治してくれた記憶はほとんどありません。薬を飲んでいても咳き込みはきつくなり(体温計が無くて測れなかったけれど)もしかしたら熱もかなり出ていたかもしれません。
それでも全く普段通りに畑仕事をしてきました。今年のタマネギの作付がもう期限切れが近くなっていたから頑張って二種類のタマネギの苗を14ポット分、長い2畝に定植しました。

そういうわけで体力的にしんどい滞在だったのですが、もう一つ、精神的にもしんどいことがありました。
というのは家の改造をめぐって1年以上最優先で話し合いをしてきた方々との工事についての具体的な内容で、どうしてもぼくと家人の希望である『マンガのある農園』(自宅とギャラリースペースに関する増改築)を実現してもらうことが無理だと最終判断をせざるを得なかったことがありました。

ぼくは先月末日段階でもうこれで契約するしかないのかなとも思っていましたが、家人と話し合った結果として最低でもあと2点は工事に際してクリアーしてもらいたいことがあって、それはどうしても実行してもらわなくては困ることでした。
しかしその方々ではどうしても2点ともクリアできないということでついにギリギリの決断でぼくの方から交渉に区切りをつけざるを得ませんでした。

長い交渉が実らず年月が費えたわけですが落ち込んでいる暇はありません。
今はこれからどうやって自分の望みを実現したらよいかの思案の為所、踏ん張り所です。
もう既に当初予定していた施設完成の期限を半年以上過ぎてしまってまたゼロから再出発をしなければならないわけで何がなんでもここまで遅れてしまったことを少しでも挽回し、同時に原点に戻って希望のプランの実現を図らなければなりません。

風邪は現在もまだ佳くない状態が続いています。
けれどもぼくはこれまでより積極的に動き出しています。

  ( 2014・11/27 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
11.21

畑の秋、庭の秋 (blog,131p)

Category: 畑のあれこれ
村の家がある温暖な地方にもいよいよ秋が深まりつつあります。(写真はちょうど2週間前のもの)春に苗を植えて育てて夏に少しだけ収穫出来て食べることが出来たトマト。
そのトマトの実が熟して、多分最も早い時期に土に落ちたのがまた急いで芽を出して育ったのではないかと思うのですが、秋になって元の場所から離れたところで茎を伸ばしています。
(写真・左 ↓これが今伸びているトマトの茎 )
2014_11 04_畑の秋・1 2014_11 04_畑の秋・2
そして上の写真・右側はこれはおそらく去年の晩秋から初冬にたくさん収穫出来た里芋のセレベスの穫り残しか、或いはもしかしたら茎の残りがランナーになって土中で根を張って新茎になったのでしょうか?もう少ししたら掘って見れば分かります。去年の栽培茎に比べて半分の大きさも無いので去年の様なお芋は着いていないだろうと思いますが。

その他にも前の地主さんが咲かせていたキク科のいろいろな花々がまるで野菊の様に畑と庭のそこ此処で咲いています。
もう時期が外れて写真にはうまく写っていませんが今年は真っ白いダリアの花も一頻り次々ときれいに花を咲かせて楽しませてくれました。
2014_11 04_畑の秋・3 2014_11 04_畑の秋・4
同じく前の地主さんのご主人が長年、丹精込めて育て上げてこられた見事なサツキとツツジの園にも真冬を除けば絶えず花が咲いています。
ただいずれも途切れ途切れにしか見ていられないぼくには「畑を作るので精一杯」で庭の世話ができなくて築山の花々には申し訳ないのですが、昨年来サツキ園は荒れるに任せっ放しになってしまっています。

今後ぼくたちが引っ越してきたら庭のスペースを元々の構造とはかなり大きく作りかえる予定にしています。
この家のまるで山奥の温泉旅館の庭のような見事なサツキの園は世話ができる程度まで縮めて築山も大半は崩して訪ね来る人々の誰もが歩きやすいスペースに変えて雑草ではないけれど雑多な草花が年中咲くような花壇やハーブ園にしたいと思っているのです。
そして庭の真ん中にはみんなでお茶が飲めるような小さい休憩所を建てましょう。何とか一日も早くこの計画を実現したいものです。そして今までご縁があった方々にも、これからご縁が生まれる方々にもぜひ遊びに来ていただきたいと念願しています。

  ( 2014・11/19記、21,UP )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:4  Trackback:0
2014
11.19

カエル君に訊いてみた (blog,130p)

Category: 畑のあれこれ
11月3日の夜遅くになって故郷の町K市からまた村の家へ戻りました。
往復が強行スケジュールにならないようにと思ってビジネスホテルに泊まったのは正解でしたが、帰路、これまた久し振りに高校時代の仲間二人に会って午後遅い時間になって昼飯を一緒に食べてゆっくりしてきたので少々くたびれて家に帰りついたのでした。

翌朝(といっても昼近くなってから)キウイの(台風以来)棚が壊れて伸び放題になっていた蔓を剪定しました。思い切って長く伸び切っていた蔓をすっかり縮めてしまいました。
するとキウイが棚の外側から良く見えてしまうようになりました。
それで異変がよく分かります。ぼくは去年まで知らなかったのですが、キウイはどうやら一つの着果箇所で3個ずつ実を生らせるようです。去年も最初はそれが普通のようでした。
2014_10 30_池村・キウイ(1) 2014_10 30_池村・キウイ(2)
それで注意して観察していたのですが、今年も実が着き始めた当初はどこの場所のキウイも大体3個ずつ育っていました。ところが段々大きくなって色付いてきて、もう少ししたら採取時期になるかなと思うようになった頃から何故だか少し数が減るのです。
初め3個着いているところから1個減り2個減り3,4週間後のこの前には1個も着いていないところや1個だけ残った所などで多分10個とか20個が減って行ったのでした。
理由は未だ分かりません。もしかしてタヌキがキウイを採って食べるでしょうかね?

などと思いながら蔓を切っていたら口に何かを食べた後の草切れだか麦藁の端切れみたいなのを咥えた秋のアマガエルくんがいましたので訊いてみました。
        2014_11 05_池村・カエル(1)
「ん?おい、きみは何を食ってんだい?」彼は無言です。
「おいおい、まさかキウイは食ってないよな!?」もちろん歯も無いカエルくんには自分の身体の4,5倍もある大きさと重さと固さのキウイなど食べられるはずがありません。
それに第一こんな人間の大人の親指の先ほどしかない小さなアマガエルくんでも一応、肉食動物(両生類)ですからいくらお腹が減ってもキウイは食べっこありません。
        2014_11 05_池村・カエル(2)
「でも君ならだれがどうやってキウイを盗って行くのか見て知ってるかもね」と思いましたが彼(彼女?)はぼくのしつこい質問がうるさかったらしくてペッタコペッタコと蔓の上を移動してカメラを近付けられない方へ行ってしまいました。

  ( 2014・11/18,記、19,UP )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
11.17

故郷のK町、往復記・3 (blog,129p)

長年に亘って帰省していなかった生まれ故郷のK町へ去年から急に中学、小学校時代の同窓会、クラス会で足を運ぶようになったことを書いてきました。その話題も今日で一区切りにしようと思います。
        2014_11 03_掛川・2の1
ぼくの郷里は温暖な半農業地帯で、ぼくの幼少年時代には学校への行き帰りにも休日に魚釣りや虫採りに行くのも住宅の並ぶ地区からほんの少し歩いたり自転車に乗ったりすれば自由に遊べる自然環境にすっぽりと包まれていて、畑や田んぼや溜池や川や山へ続く何本もの細い道があちこちへ遠くまで通じていました。
きっとそれぞれの土地に持ち主は居たでしょうがどこまで行っても殆ど立ち入り禁止の土地など無くて時には野菜の畑や果実の林へも勝手に入り込み、ほんの数回限りでしたが遊び仲間と一緒にトマトを捥いで食べたりミカンを失敬したりも経験しました。落ちていた椎の実や栗の実を拾ってその場で生で食べたりもしました。

蛇もコウモリもウサギやムササビも住んでいる野原や林でした。ウナギやアユが獲れる川では夏の子供たちはみんな裸で泳ぎました。
そういう子供の楽園に次々と工場や道路やトラックがやって来てフェンスで区切られゲートで遮られ舗装道路と信号で通行方向を決められ、自由に入り込んだり走り回ったりできる自然空間は無くなりました。
もう子供たちが連れだって昆虫を採りに行ったり魚を釣りに行った野原も小川も里山も身近な環境からはすっかり消えてしまいました。
2014_11 03_掛川・2の2 2014_11 03_掛川・2の3
ぼくが子どもの頃、大人はそれが発展だと勘違いしていました。けれどもぼくは子供の頃からそれは違うと違和感を感じて育ちました。しかし日本の社会ではやっぱり建物が立派になったり道路が広くなったり新幹線が走ったり高速道路が貫通することが発展だと相変わらず懲りもせず勘違いを続けています。

1980年代にこのK市の市長だったS村というアホな男が打ち上げた『発展計画』はそうした勘違いの頂点に至る道筋だったようです。(彼は当時人口5万人規模だったこの市の駅の周辺を一旦ブルトーザーで破壊して新たな造成地に変え、駅ビルのような建物を作ってそこを近隣市町村からも集客できる地方におけるセンター的な商業兼居住施設にしたいと望んだらしい)

その計画のメインは広大な敷地面積を有する30階建ての商業テナントとマンションの巨大ビル2棟(ツインタワー)を建設するというものだったそうです。仮に3千坪(一般住宅50~60軒分)の敷地面積のビルで30階建てとすると1棟で約1,500~1,800戸のマンションになります。それが2棟なら約3,000~3,600戸分の住宅供給ということになります。
そうすると1戸あたり平均の入居者数が3~4人だったとしても駅ビルだけで1万人から1.4万人位が暮らすメガロ居住区が出現するわけで、駅から半径が2キロメートル位のエリアの内側の家々は全て空き家になる計算です。
つまり市街地から一般住民の姿が消えてしまうというハルマゲドン映画のようなバカげたプランだったようです。
      2014_11 03_掛川・2の7
上の写真は今回の帰省を機に訪ねてみたぼくが卒業した市立中学校で、当時の木造校舎は全てコンクリート校舎に建て替わってしまっていました。
この学校が駅から大体1~2キロに位置しているので、おバカ市長が超巨大ビルを建てていたら今頃はこの校舎も廃墟になっていたかもしれません。

アホなツインタワー計画は大まじめに検討されて東京の何とかコンサルタントの偉い先生や行政機構やら大学の教授やらに諮問したら「もうちょっと日本社会の経済発展の行く末を慎重に判断できるまで10年間位実施を見合わせた方がよかろう」という結論になり、そうこうしている内に【バブル経済が破綻】して、それからS村市長は落選したのか引退したのか死んだのか、市長が変わって計画はご破算で終ったという話を、この里帰りで(元市役所職員OBの)O沢君からお聞きしたのでした。メデタシメデタシ!
      2014_11 03_掛川・2の4
        ( ↑ ↑ 今でも幾分かは残っている線路沿いの茶畑や林)
本当にツインタワーなんかが出来ていたらこの空に不似合いな巨大ビルがニョキニョキと並んで立っていたかもしれない。
ああ、愚かな発展計画が頓挫してくれてよかったよかった!

  ( 2014・11/17 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
11.16

故郷のK町、往復記・2 (blog,128p)

昨日の続きから書き始めます。
ぼくの故郷のK町(K市)はかつての旧東海道の宿場町で江戸と京の都のほぼ中間に位置した平地と穏かな段丘地からなる農業主体の城下町でした。
ぼくの幼少年時代、町のシンボルは市街化区域の南側境に東西に通う国鉄(現JR)東海道線のK駅でした。その駅はまた同じく国鉄のローカル路線(当時は二俣線と呼ぶ路線だった)の始発、終着駅でもありました。(現在は第三セクター方式の運営に変わっている)
下の写真は旧の駅舎の雰囲気を踏襲しながら2倍以上の規模に建て替えられた現在のK駅です。
    2014_11 03_掛川・1
駅前には昔、今より一回り小型のバスやタクシーが5,6台駐車すれば一杯になる小さいスペースがありましたが今ではすっかり拡張されて駅前ロータリーになっています。
       2014_11 03_掛川・3
1960年代には駅の周辺で一番背の高い建物でもせいぜい3階建て程度でしたがこの頃では鉄筋コンクリートの敷地面積も相当広い5階建て6階建てはおろか、昨日も書いた通りぼくがこの町で高校を卒業するまでは全く鉄筋コンクリートの建物など無かった駅と線路の南側一帯には8階10階と空に伸びるビルが幾つも建っています。
      2014_11 03_掛川・2
そして今回の帰省でぼくが最も驚いたのは市役所の在り様(変わり様)でした。
ぼくの知っている市役所は(それが前記の「町で一番大きい鉄筋コンクリートの建造物」だった)駅から真北へ4,5百メートルばかり歩いた場所にあったはずでしたが近年、郊外というか農村部の茶畑と自然林の里山を切り開き再開発したらしい造成地へ移転してまるで大都市の美術館か何かのような無駄な空間をガラスで囲い獲ったみたいなビルが出現していました。
              ↓            ↓
         2014_11 03_掛川・5
ビル本体は西側から見ると6階建てでしょうか、円筒形のタワーのような部分は8階かもっとあったかもしれません。そしてこの建物は相当大きいのですが傾斜地に建ててあって、反対側から見るともう1階高い建物ということになるようです。
         2014_11 03_掛川・4
建物の大きさにも驚きましたが市役所エリア全体の大きさにも驚きました。
まるで公園としか形容しようがない広い小高い丘と森とを擁したリゾートエリアとさえいえる環境整備なのです。これで市役所職員が果たして市民目線の行政委任者(公僕)たる自覚を持って市民の生活や健康や権利を護って働くことができるのだろうかとぼくは不安と疑念を持たざるを得ませんでした。
         2014_11 03_掛川・6
10年位前の小泉政権時に悪名高い「平成の大合併騒動」が日本中、津々浦々の小さくても美しい地方の村や町を呑み込み合わせて、それぞれに特色があった自治的な行政単位を嵐のように吹き飛ばしてしまいました。
少しでも大きい町になることだけが自治体として生き残る唯一の方法とされた時、きっとぼくの故郷のK市も周辺の幾つかの町や村を飲み込んで(吸収合併)格好だけは少しばかり大きい町へと変容したのに違いありません。
そして、あんな小泉政権の口先だけの「グローバルビジョン」には中身が全くありませんから行政区域が広くなり、人口規模が増えたからと市役所の建て替えに走ったのでしょう。
         2014_11 03_掛川・7
多分その工事は東京かどこか大都市の大手ゼネコンが元請けになり、数十億円規模の予算を大企業の利潤に提供したのだろうと思います。この町には生活や健康を損ねて助けが必要な個人や家族がたくさんいるはずですが、そういう人々への保護や扶助はちゃんと実施されているのかどうか、やはりぼくは心配を拭えませんでした。

それからいくら元の森や林を整備して緑の自然環境を残したといってもそこで暮らしていた動物たちの生態系は壊滅しただろうと思います。
         2014_11 03_掛川・12
現代では東京と関西を結ぶ複数の高速道路が縦貫し、各駅停車クラスながら新幹線の駅もあり
土地も比較的安価で自由に取引きでき、地形的にも造成し易い上に労働力も集めやすいK市ということでしょう。
ぼくが上京した何年後かから次々に東京、大阪に本社を置く大企業が工場進出をし始めて、今では近隣に本拠地を置く全国規模の企業と合わせるとおそらく十指に余る大企業の工場や研究所がこの町には集中しています。

ここから下の写真はそうした世界的ファッション企業の一つが持つ研究所の広い敷地内に建てられている美術館です。(この辺り一帯もぼくが子どもの頃には茶畑や野菜畑が広がり、森には秋になると柿や栗や椎の実がたくさん生っていた農村だった)
2014_11 03_掛川・8 2014_11 03_掛川・9
この美術館の噂は以前から聞いていたけれどファッション関連企業のメセナということでこれまでは気が進まず行ってみたのは初めてでした。
見物しての印象は余分な装飾や虚飾はひけらかさず規模もどちらかと言えば小じんまりしていて比較的質実を尊んで地味に運営されていて先入観で抱いていたところより好印象を持ちました。(市役所の方がずっと派手に見栄を張っている印象だった)
      2014_11 03_掛川・10
(建物へ続くアプローチも一人か二人の人がゆっくり歩みを進めるのに良い程度の細い簡易舗装の道だった)

催しものは『小村雪岱展』でした。
小村雪岱という人は明治時代の末年から昭和の10年代まで相当に名の知られた日本の小説の挿絵画家であり舞台装置美術家(デザイナー)だった人です。大正時代の一時期、この美術館の持ち主である企業のデザイン宣伝部門に請われて在籍していたそうです。
       2014_11 03_掛川・11
ぼくは東京で暮らしていた40年ほど昔、埼玉県の川越?だったかにある小村雪岱美術館?でたくさんの作品を観覧したことがあって以来の見物になりました。確かな作画技量と小説作品への理解力と時代考証の正確さが随所に観える、俗な言い方ですが本当に心豊かになる挿絵鑑賞でした。

、、、と、ここまで書いて来てしまって昨日のブログの最後に今日書きますと言った【このK市最大のバカげた市長案、市街化再開発事業の発案と頓挫の顛末】を書いている余裕が無くなってしまいました。済みません。明日以降に手短に書き込みます。

  ( 2014・11/16 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
11.15

故郷のK町、往復記・1 (blog,127p)

去年、40数年振りに中学三年生時の同窓会というのがあって参加したところから俄然、故郷の町で小学校、中学校時代のクラスメイトや先生にお会いすることが増えました。
と言っても小学、中学それぞれに去年1回ずつ、今年も1回ずつの合計4回ですがともかく今まで何十年もの間、郷里を遠く離れて暮らしてきたぼくは殆ど幼馴染と親しく懇談する機会もありませんでしたので懐かしい帰省をしています。

今回は村の家へ滞在中にクラス会の日程がダブってしまったので二百数十キロ離れた故郷の町まで車を運転して往復しました。
途中に日本有数の工業地帯「四日市コンビナート」があります。
小学校の社会科の授業で(ぼくたちの時代には)『工業国日本』の代表の様に教えられた京浜工業地帯と並ぶ中京工業地帯の中心地域です。

小学校6年生の時、その四日市市から一人の女子生徒がぼくらのクラスへ転校して来ました。
Y田みえこさんというその生徒は学業優秀で朗らかで(テストや成績の良し悪しで他人を差別するような傲慢な性格を全く持たない)優しい穏かな人でした。
その人が住んでいた四日市の町が「人間が暮らす環境として非常に危険で深刻な大気や水の汚染」に曝されていて健康にも重大な被害を及ぼす【公害】を絶え間なく発生している恐るべき毒物放散エリアであることを知ったのは中学生か高校生になってからでした。
田舎の『村のような町』で生まれて育ったぼくはそんな大規模な工業地帯を実際には見たこともなく、東京でスモッグ、公害問題が騒がれるようになるまで大気汚染や水質汚濁のことを意識出来ませんでした。(劇映画やニュースで見聞きしていたので『核実験』『放射能汚染(被曝)』についての恐怖心は幼少年時から抱いていたけれど)
   2014_11 02_はなぐみ同窓会・1
北海道から九州まで各地の工業地帯や工場で争われた裁判や住民運動を通じて(日本で水質汚濁規制や大気汚濁規制のいわゆる【公害防止法】が出来て)これなら従前のままの大気汚染や水質汚染から少しはましな住民の暮らしが営めると判定される結果が得られるようになったのは1950年代末から90年代に至る40年以上に及ぶ地域住民や学問的研究や法律家による粘り強い運動と闘争があったからでした。
2014_11 02_はなぐみ同窓会・2 2014_11 02_はなぐみ同窓会・3
とは言え例えば各種の公害防止法や条例で空気や水の汚濁、汚染が厳しく規制されているはずのこの四日市市が今の現在、幼い子供や老人が安心して生涯を過ごせる町であるかどうかを考察してみて、ぼくにはとてもそうは思えません。
じつはぼくの相棒(カミサン)も少女時代の数年間を山口県の軍事基地とコンビナートの町、岩国市で過ごし、モクモクと上がる工場のばい煙の下を小学校に通学したのだそうです。

今回は全行程の八割方を国道23号線で走りました。この中京工業地帯には国道1号線も通っていてそちらを走ることもありますがこの町のたくさんの工場群や燃料タンクの並ぶ光景を見ながらいつもこの地域に暮らす人々の大変さを思い、この町から転校してきたY田さんのことを思い出します。

ぼくたちが現代を生きているということは数え切れない人為的な危機と矛盾と理不尽、不条理を抱えて吐き出しながら日々をやり過ごしているのだと自省せずにはいられません。

それから更に走ること数時間、途中の海に近い道の駅で昼食を食べ、大きいリンゴを買って、5時間以上掛かって故郷の町K市に着きました。(高速道路を行けば村の家からぼくの実家のある町まで2時間半で行ける。でもぼくは一般道を走るのが好きなので国道を走った)

実家からほど近い街中のホテルの宴会場が今夜のクラス会場でした。それぞれが近況を伝え合い、歓談してまた来年の再会を約し、散会前にぼくの普通のデジカメで記念撮影をしました。
全員の目元だけPC加工でフェイントしてありますが参加者相互には一目でどれが誰か分かります。(ちなみに前列3人の真ん中の小柄な方がN山暁子先生。その後ろの青いTシャツがぼく)
    2014_11 02_はなぐみ同窓会・4
集いの場は実家の近くでしたが家に連絡はせず訪ねることもせずに駅近くのビジネスホテルに泊まりました。家を継いだ長兄は今のぼくより若い時に亡くなっていてその家には直接の肉親が居ないので夜遅く突然お訪ねしたり泊めてもらうのが気が引けるからです。

それにしても故郷の町の変容にはたまに帰省するたびにただただ驚くばかりです。
2014_11 03_はなぐみ同窓会・5 2014_11 03_はなぐみ同窓会・6
(写真左はぼくが泊ったビジネスホテルの中、右側はホテル3階から駅の方面を写した光景)
ぼくが子どもの頃、これらのビルも舗装道路もここには何もなくて、ただ茶畑や野菜畑や椎の木やタブの木や栗や柿やミカンや杉や松の林の合間に数軒の農家が点在する長閑(のどか)な田舎の村でした。
高校生になった頃でもまだその風景はあまり変わらず、駅にごく近い道沿いにだけ僅かに国鉄(現JR)職員の官舎の長屋か木造モルタル二階建てのアパートがあった位のものでした。

なまじ田舎の村や町ほど(急激な開発の計画に巻き込まれると)抗う論理も運動も許されない内に凄まじい環境や景観の変貌、破壊に晒されてしまうことはぼくなどのささやかな旅行経験に照らしただけでも実例の枚挙に暇はありません。

このK市の市街地の大型再開発をめぐってもかつて非常識としか言えない(信じ難い)スチューピッドプランが存在したのだと、今回の同窓会で市役所職員OBのO沢くんから聞かされてみんなで失笑した話があります。明日のブログはその話から書き始めましょう。

  ( 2014・11/15 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------


Comment:0  Trackback:0
2014
11.13

さつま芋の収穫  (blog,126p)

Category: 畑のあれこれ
前回10月中旬に今年最初のさつま芋堀りをしました。お芋はたくさん収穫できる予定だったので東京に暮らす息子や友人知人に少しずつ送りました。それでもたっぷり余った分は町の家へ持ち帰りました。
そして今回、月末からまた村の家へ行って滞在中の11月4日に残りのお芋を掘り起こしました。幸い育ち具合は良い様でしたが大きな問題がありました。
      2014_11 04_さつま芋収穫・1
その問題とはこの下の写真の出来事です。
よく育って丸々太ったお芋の半数位が写真の通り何者かに食われてしまっていたのです。
食べ跡にはたくさんの細い歯で櫛削った痕がついているので多分「野鼠」が食べたのだろうと思います。ぼくは未だこの畑で野鼠の姿を確認してはいませんがその被害はぼくの見習い農業過程にとっては甚大です。
2014_11 04_さつま芋収穫・2 2014_11 04_さつま芋収穫・3
土の中を走り回るのは普通モグラというところが相場でしょう。
でもモグラは肉食でミミズは食べてもお芋は食べないだろうし、タヌキが居ることは姿も見たので知っていますがタヌキならばきっと畑の畝に手足や口を突っ込んでお芋を掘りだし1本丸ごと食べ尽してしまうに違いないだろうと思います。
これを見るとちょっと食べては次の芋を食べに行くというなんともぜいたくな食い散らかし方で、しかも大きい芋が土中に立って埋っている形の上部ばかり食べ散らかしてあるのも基本的に地上を走り廻っていて食べ物があればどこへでも潜り込んで何でも食べてしまうネズミに違いないように思えます。
        2014_11 04_さつま芋収穫・4
                 ↑      ↑
そう思っていたらちょうど食べ過ぎて肥満になったネズミのような形のお芋が出て来たのでちょっと落書きで遊んで見ました。

ここまで書き込んでからネットで見ていたらやはりどうやらこの芋畑の食い荒らしが野鼠の仕業だと推理したのが当りのようだと分かりました。
野ネズミは土の中に掘られたモグラのトンネル通路に勝手に入り込んであちこち走り廻って餌を探したりしているらしいのです。
なるほどそれでさつま芋の畝の表面にほとんど出入りした穴や土崩れなどの形跡がなかったのも合点が行きました。一応現段階ではこの『さつま芋食い逃げ事件』の犯人は「畑の野鼠」それもおそらく単独犯ではなくてきっと複数犯に違いないと結論付けておきたいと思います。
     2014_11 04_さつま芋収穫・5
さつま芋畑を作るのに先立っては耕運機で何度か土を砕き、手鍬でよく耕してコナレの良い土にしてたっぷりと有機肥料も入れてミミズが育つ土の環境にした上で比較的ゆったりとした幅広の畝を立てて40数本のお芋の苗(紅あずま)を定植したので、モグラにとってはトンネル掘りが容易だったでしょうしモグラのトンネルが増えれば増えるほど野ネズミはお芋が育っている土中に潜り込むのが容易だったのだろうと思います。
ぼくにとっては厄介なことですがやがてここに暮らすようになったらモグラや野ネズミやタヌキやカラスなどとは何かと対峙しなければならなくなるのでしょう。

  ( 2014・11/13 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
11.12

ポートフォリオ・2  (blog,125p)

30年位かもっと前だったか、まだ「できることなら現役のプロ漫画家にもう一度戻りたい」という希望を持っていた頃に、なかなか作品が描けないジレンマの中で繰り返しマンガの下画きをしたりマンガのような油絵を画いてみたりしていました。

元々ぼくがマンガを描きたかった動機の一つは自分の幼年、少年時代を通じて体験的に享受、感得したささやかな思索や思想を物語化して表現したいというものでした。(他の想像創作分野、例えば映画や小説を創り描き出したい人々とさほどの違いはないと思う)そこには当然ぼく個人を越えた人間存在と社会や歴史(時代、情況)との関りが現れてくるはずでした。

しかし、ぼくの筆力と生活力は自分で想像するマンガ作品を具現化して完成まで描き切る事ができない非力、微力なものでしかありませんでした。
それで結局今日まで世間に公開できた作品はほんの僅かな点数しか無くて、しかも発表出来た作品全体の半数近くは自分の手元に原稿も残らず、一部はタイトルや内容等の作品の印刷物記録もないという残念な現状になっています。
   2012_02 13_少年時代(描きかけの油絵)
上の絵はそんなぼくの幼年時代の記憶をマンガの一コマのように画いてみようとした30年以上前の画きかけ(未完成)の油絵の一枚です。1960年頃のぼくが幼年、少年時代を過ごした故郷の田舎の思い出の風景です。
この絵の中にはぼく自身と幼馴染とそれからぼくの父と母を画いてあります。
ぼくたち田舎の子供の毎日はこんな感じでした。橋の上をバタバタ自転車に乗って来るのがぼくの父親です。その向こうからリヤカーを引いて来るのが母親です。

しかし実際にはこういう風景も光景もぼくが高校を卒業して上京した頃から河川改修工事や農地の住宅地化が進んでどんどん変貌して、この絵を描いた頃には完全に自然環境は無くなり野原や川筋で遊ぶ子供たちの姿も消えてしまっていました。
絵の中には両親の姿を画きましたが父は40年以上昔ぼくが上京して2年目に亡くなっていたし、まだ生きていた母も今は既に居ません。

次に下のイラストは上の絵より10数年後になって縁有って飛騨の白川郷へ5年間位毎月2回か3回通うようになった頃に親しくしていただいた明善寺という(白川郷で初めて観光客を生活家屋の中へ迎え入れることを始められた)真宗大谷派の合掌造り萱葺きの古刹を山手側からイラスト化したアクリル画です。今からもう10何年か前の絵になります。
         少年時代・蝉採り(アクリル画)
14,15年前、故あって長年通っていた信州の自分で作ったミニギャラリーでの夏の出張仕事を断念して(生活に困窮して)どこかで再び暮らしのための仕事場を探さなくてはと彷徨い歩き訪ね歩いていて飛騨の白川郷で親切なご夫婦とご縁ができました。
その方々のご厚意で日本最大規模の歴史的建造物、生活家屋群『合掌造り民家』のお土産物屋さんの店先にぼくの作った物を展示販売する臨時コーナーを開設させてもらえたのでした。
(ぼくはそこで約5年間働き家族の暮らしを助けられた)

その合掌造り民家の観光土産店のオーナーから『白川郷を画いたオリジナル観光絵葉書』を作ってほしいと依頼を受けて仕事に通う合間に1年近くかけてマンガの背景のような筆絵で8枚組の絵葉書原画(墨描色紙)を画きました。その絵葉書原画も今度ブログに載せましょう。

元々子供の眼と技量程度の素朴な描写力、筆力しか持ち合わせのないぼくですが、それでも絵を画くことは多分物心つく以前からの自分の「ささやかな能力を発揮できる領分」だろうとずっと思ってきましたし今も思っています。そしてそれほど膨大な種類や分量ではありませんが本物の絵画やマンガの原画などにも触れて来ました。
そうした作品から絶えずたくさんの影響も受けて来ました。それでその都度自分が描く絵やマンガの表現スタイルも変化します。

ぼくの記憶では自分の画心と表現方法に最初に影響を受けた絵描きさんは「ファン・ゴッホ」と「山下 清」でした。(絵本画家や漫画家を除く)これからはそういう人たちのことも書いて行こうと思います。

  ( 2014・11/12 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
11.11

吊し柿、失敗! (blog,124p)

Category: 畑を味わう
村の家へ通い始めておよそ1年半、畑を耕しだして1年2ヶ月ばかりになりました。
自称『勝手に農業見習い』のぼくは今まであちこちで目にしてきたことや誰かから聞いたことや読んだことなどで「いつかあんなことをやってみたい」と思っていたことを少しずつ実行してみているのですが、なにせ全くのど素人で今は未だこの村の正式な住人でもないし体験的に教えてもらえる環境でもないので何となく見様見真似で大抵のことはチャレンジしています。
2014_11 01_吊し柿・失敗(2) 2014_11 01_吊し柿・失敗(1)
だからというのかどうなのか、何をやっても失敗がつきものということになります。
この度の失敗は『吊し柿』を作ろうとした結果でした。

先月10月の中旬に(敷地内に何本か生えている渋柿の内)最も大きい実が生る柿を64個採取して丁寧に皮を剥き蔕(ヘタ)を順繰りに紐で結ぶ作業を終えたのが町の家へ帰る直前でした。
その柿を吊るしておく場所ですが次に来るまで留守の間の一週間なりを外へ吊るしておくのは動物の食害とか強い雨風が吹き降ったりしたらとちょっと心配だったので、もう暑さもそう厳しくはなかろうと思って家の中へあちこち吊るして置いたのです。それが失敗の原因でした。

そもそも吊し柿(干し柿)の製造工程の基本は晩秋(東北では既に初冬)の自然の寒風に渋柿の皮をむいた実を晒して果実の水分を絞り乾燥させて分子レベルで化学変化を促し「渋みを甘味に変える」わけなので風が通らない家の座敷の鴨居なんかにぶら下げておいては「わざわざカビを生やす実験をしていたようなもの」でした。そしてみごとにカビだらけになりました。
  2014_11 02_吊し柿・失敗(3)   2014_11 02_吊し柿・失敗(4)
水分もほとんど減らないままだったようで一週間後の29日に行ってみてびっくりしました。(カビが生えるかもしれないとは想像していた)なんと座敷の上に20個以上の柿がすっかり熟してヘタから外れ、または溶け落ちてベチャベチャに畳の床に汚れが広がっていたのでした。64個全ての柿がカビてしまい、畳に染み込んだ熟して発酵しつつある水分(蜜)とベチャベチャの柿の実を全部取り除き雑巾掛けして拭き取るのに1時間近く掛ってやっとまた家の中を自由に歩けるようになりましたが何とも心身の消耗する徒労でした。(大体この64個の渋柿を皮剥きして吊るすのに前回の滞在時に一晩徹夜をしていたことも無駄になった)
       2014_11 02_吊し柿・失敗(5)
それで家の中でまだ紐にぶら下がって残っていたカビだらけの柿30数個をタタキの横通路へ持ち出して吊るして置いたのですが、もう既に一旦構造が変わってしまった物体は次々に崩れ落ちてしまうだけでした。

去年は小さい実が生る方の渋柿の木から収穫した柿を100個少々裏の鉄骨倉庫で吊るして干して大変美味しいものができたので今年も鉄骨倉庫内で吊るせばよかったのですが、いくつか理由があって取敢えず家の中へ吊るして街の家へ帰っていたのが失敗でした。
しかし無論こんなこと位でヘコタレルぼくではありません。既に次のチャレンジは敢行しました。詳しくはまた後日ご報告します。

  ( 2014・11/11 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
2014
11.10

僅かながら収穫有り (blog,123p)

Category: 畑のあれこれ
村の家には今のところネット環境がありませんのでブログ更新が10日振りになりました。
今回の村の家行きは当初の計画とは大幅に予定が狂ってしまい2,3日だけ行って来るはずだったのが結局10日間も過ごしてしまって昨夜遅くなってやっと町の家へ帰宅しました。

今回もいろいろあって忙しく日々の移ろいに追われていました。全てを一時に書き込むには時間もスペースもとても足りませんので今日から毎日少しずつ記してみたいと思います。
2014_10 30_収穫・しょうが(1) 2014_10 30_収穫・しょうが(2)
先ず収穫のことから書こうと思います。収穫といってもこれはほんの僅かな分量なのですが『生姜と落花生』を収穫?しました。最初は『生姜』です。(上の写真・左右)
夏前だったかと思います。家人の友達からいただいた立派な種生姜(根)を20数個、既に時節を遅れた頃に植え付けたのですが地上に芽が出てくれたのはたったの10本足らずでした。
それでぼくは家人に「植え付けしないで種生姜を直接食べる方が苦労が無いような気がする」と冗談交りで報告していました。
その伸びてくれた茎を全て掘り起こしてみて自分のあの発言があながち冗談というわけでもなかった(つまり実態に即していた)と知りました。結果的には掘り上げた生姜全部と植え付けた時の種生姜の全量とがだいたい同じ位だったような気がします。
まあそれでも一応ぼくの野良作業を通じて土の中で再生した食物を獲得できたということでそれなりに楽しみを味わえたことは喜びたいと思います。
2014_10 30_収穫・落花生(1) 2014_10 30_収穫・落花生(2)
そして次はピーナッツ・落花生です。(上下の写真3枚)
農業屋さんで落花生の苗を購入する時に何種類かあった苗の中で一番世話のし易い種類を選びました。もちろん夏の雑草引きと追肥だけはしましたがあまり手がかからない作物でした。
ただし先の生姜と同じでやはり収穫量は多くありませんでした。
一定の大きさまで育成された食物の苗は結構値段が高いのでこの落花生も6株ほどしか植えませんでしたが収穫量と照らし合わせてみると苗を買った値段分だけ市販の落花生を買った方がたくさん食べられたかもしれません。
    2014_10 30_収穫・落花生(3)
深夜、帰宅した町の家でこれらの収穫物を車から降ろし、滞在中のあれこれを家人に話し、写真のメモリーをパソコンに記録し、溜まっていたメールの整理をして息子たちが東京、新宿のとあるギャラリーでやっていたグループ展の様子を見たり滞っていたオークションの遣り取りをしたりしていて朝になって家族が起きてくるのと入れ替わりに昼過ぎまで4時間ばかり寝床に就いて、起きてみると早速落花生が食べられる状態にしてくれてありました。

先ず今回の収穫量全部(上の写真の通り少量だが)の殻に付着した泥をよく洗い落して寸胴鍋で塩茹でにします。
そして殻を剥きフライパンでしばらく炒ればそのまま薄皮も取らずに美味しく食べられるのでした。味は市販品のピーナッツとはかなり違う感じです。例えて言えば子どもの頃に故郷の里山で遊びながら拾って直接生で食べた「椎(しい)」の実のような感触です。
2014_11 10_収穫・落花生(4) 2014_11 10_収穫・落花生(5)
茹で上げた後、殻のままでフライパンで炒ったのも充分美味しく食べられます。ぼくは中の実だけを電子レンジで加熱してみたのですが思ったほど水分を乾燥させることができず、落花生の味わいと旨味が消えてしまうような気がしました。理論的、物理的な理由は分かりませんが多分高分子レベルでの化学変化による結果なのでしょう。
どうやら畑の落花生は素朴に塩茹でにしてフライパンで炒って食べるのが現時点では文字通り【ハー“ベスト”】のようです。
     2014_11 10_収穫・落花生(6)
それにしても自分で畑で育てる作物は本当に大きさ、形、色など一つの種類とは思えないいろいろな出来栄えになって面白く眺められるのが楽しいです。
それで世間で一般に流通している色も形も大きさも全て統一されているような印象の多くの農作物はどうしてあんな揃った出来上がりになっているのかが却って不思議に思えて来ます。

でも考えてみるとなんだか学校を優秀な成績で卒業した企業の管理職や政庁の官吏、役人たちがみんな揃って人間性を抑制された人格の薄いロボットのような社会構成員になって行くことと同じ「技術的なコントロール」が行われていると思えば合点がゆくことなのかとも思われます。

そういう生産性追求の高度管理化社会に背を向けて反抗を気取るわけではありませんが、ぼくはこれから村の家で非常に生産性の低い手仕事を基本にした「来る年毎に決して同じ結果が出ない」管理能力の低い(つまり自由度の高い)日々の暮らしを楽しんで行こうと思っています。

  ( 2014・11/10 )
--------------------------------------------------------------------------------------
きょうも『マンガのある農園』ブログへお訪ね下さりありがとうございました。 (^-^)/
◎最近は楽しみにしている皆さまからの〔田舎暮らし〕チェックが減って来たのが残念です。

よろしければ足跡代りに下の〔田舎暮らし〕か〔ライフスタイル〕の ロゴマークをポチっと押していただけると嬉しいです。
 ↓  ↓

にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村
( ロゴマークをクリックして下さると現在のブログランキングをご覧いただけます。)
--------------------------------------------------------------------------------------

Comment:0  Trackback:0
back-to-top