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2016
02.28

今春は畑作りが遅れています (blog,340p)

Category: 畑のあれこれ
前回の村の家往復ではあまり農作物を持ち帰ることが出来ませんでした。
この冬(正月以降)はギャラリー建屋と母屋をめぐる数々の要件に時間を奪われてしまって畑仕事がすっかり疎かになってしまっているからです。
      2016_02 08_2月初めの収穫・1
それで収穫のメインはぼくが育てたというよりも畑のあちこちで勝手に大きくなってくれたという方が正しい柑橘系が主役でした。
なんとかぼくが育てたと言えるのは青菜類ではブロッコリーが少々と春菊がたった一株、それからコマツナが2株きりでした。
2016_02 08_2月初めの収穫・2 2016_02 08_2月初めの収穫・3
そしてお正月を挟んで長期間に渡り存分に食べることが出来た2種類の大根と大根の葉も少しだけ持ち帰りました。(ちょっと炒めて食べる分だけであとは畑の堆肥場へ置いてきた)
大根菜だって食べれば立派な青菜ですがホーレン草や春菊の様には何にでも調理材料に使うというわけには行かず、この収穫物の少ない時期でも食べる物を取捨選択しているのは贅沢なことかもしれません。
        2016_02 08_2月初めの収穫・5
それから柑橘系はレモンも温州ミカンもハッサクも夏ミカンもこの畑で採れる実の多くが皮の表面が真っ黒い煤けたような状態になっていて、実際に手で触ると黒い煤のような薄皮の様なものが剥がれたりします。
        2016_02 08_2月初めの収穫・4
でも皮の表面が真っ黒くなっているからと言っても決して柑橘類の味が落ちたり変化したりはしていないようです。
この黒い皮膜というか汚れというか煤けの様なものは水洗いしてタワシで擦るとすっかりきれいになるので我家ではよく洗って普通に美味しく食べています。(友人知人にはなるべく煤けのついていないきれいな分を持って行く)
毎年一年分食べる夏ミカンやハッサクのジャムもこれで作っています。

ちょっとネットで調べてみたら植物の葉に発生する畑のカイガラムシやアブラムシやハダニなどの糞に寄生するカビの一種のようですが、やはり実には何の影響も無いようです。
ただ見た目に汚れている印象なのと一々よく洗うのが面倒なので出荷して販売するような場合には農薬で虫を殺しているようです。(ぼくは洗えば済むのなら洗えばいいので農薬はかけない)

さて次に村の家へ行ったらいよいよ春の畑作りをして先ずジャガイモの定植を始めなくちゃ!

  ( 2016・2/19,記、28,up )
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2016
02.25

母屋の改築工事、その〔5〕 (blog,339p)

Category: 村の家にて
前回の母屋改築記事の中で村の家の屋内電気配線がまだ碍子(ガイシ)を使った古い絶縁方式だと書きました。

下の写真がその極めて簡易な昔ながらの電気配線のスタイルです。ぼくが子どもの頃、昭和30年代にはぼくの故郷の実家の配線もこれと同じ方式でした。

その頃の一般家庭の電気使用契約はだいたい電流・10Aか、二階建ての大きい家でもせいぜい20Aがいいとこでした。
昔も今も供給電圧は100Vですから家の中で電灯や真空管ラジオや電気スタンドや電気炬燵なんかをフルに使うとすぐに合計1,000Wの電力量をオーバーしてしまってよく安定器のヒューズが焼けて飛びました。つまり家庭内停電です。
         2016_01 21_硝子の配線
そういう時ぼくは兄や父がヒューズ交換をするのを横から見ていて、次に同じことが起きると早速見様見真似でその作業をやったものでした。
その頃には全く電気の正しい知識も無かったのでぼくらはわざと電球ソケットの内部を手で触って100V電圧に感電して遊んだりしていましたが水場でやらなくてよかったと思います。(もしかしたら命を亡くしていたかもしれない)

また話が横道にそれました。
さて母屋改築のための解体が進むにつれて(天井や壁や床を剥がしたり崩したりして行くに従って)ぼくの今までの少ない経験では見たことが無い程の構造材のダメージが現れて来たので仰天しました。
       2016_01 21_虫食いの梁・1
上の写真も下の写真も大きい梁がすっかり虫に食われてしまってボロボロになっている光景です。よくまあこれで何十年間も屋根の重さに耐えて支えて崩壊しなかったものだとぼくは思いました。

しかし棟梁のTさんの話では建築構造材に松が使われている古い家ではこういうことは珍しくないということでした。
       2016_02 06_虫食いの梁・3
「多分最初に松の材木を切り出して使用した段階で既に虫が幹の中に入っていて長い年月をかけて木の内部も表面も食い荒らしたのだろう」ということでした。

成程と思います。その虫たちにとってはきっと松の木はおいしいのでしょうね。
けれどもその虫たちもやがてどこかに新しい活きた木を求めて出て行ったり一生が終ったりして、後には虫たちに食い尽されてすっかり痩せ細ってしまったりフェルトのようになった形だけの梁や柱が残っている。
それがこの家の今現在の姿ということになるのでしょう。
2016_02 06_虫食いの梁・4 2016_02 06_虫食いの梁・5
この家はこれまで何度も改造が施されてその時その時代の流行りに合わせたスタイル(建材と施工方法)で台所や部屋の内装や窓が付け加えられてきたことが分かります。そしてその度に少しづつ損傷個所も応急修理がされたり部材ごと交換されたりしてきたことが分かりました。

しかしもう今や手の施しようが無い状態の個所が非常に多くてとてもそれらを誤魔化して隠したりするやり方では今後ぼくたち家族がこの家で5年10年と長く暮らして行くのは危険過ぎて無理だということが一目瞭然でした。

例えばこの下の写真の部分は虫に食われたのではなくて屋根の瓦が割れたか動いて落ちたかしたまま修理がされず、長年に亘って雨水の浸入を受けた結果、梁がすっかり腐れてしまったというものでした。
2016_02 06_虫食いの梁・2
こういう部分が随所にあって結局ひどく傷んでしまっている部材を交換したり部屋割のアレンジに添って構造を新たにしたりするしか改築の方法がありません。

という状況なのでまだまだ移住へ向けての具体的な予定も立てられませんが、しかしこの3年間を通じてずっと新しい生活の準備をしていることは間違いありません。

そしてやっとというべきか既にというべきか、ともかくギャラリーと資料室は一応出来上がり(まだ厨房仕上げと外周りが完成していないが)母屋の工事も進んでいるので、ぼくは頻繁に往き来してぼくにできる作業をしながら完成を楽しみにしているというところです。

  ( 2016・2/18,記、25,up )
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2016
02.23

信州の知人たち (blog,338p)

Category: 町の家にて
先日、ぼくが信州へ出稼ぎで働きに行っていた時代の懐かしい方々が何人かぼくの暮らす町へ団体視察旅行で来られました。
今年の年賀状でその予定を知らされていたのでぼくの方も村の家からその日に間に合うように一旦町の家へ帰っていました。

事前に「団体旅行なのであまり時間が無いけれど」と聞いていました。
それでもお互いに元気でいることが分かるだけでもいいと思って彼らが宿泊するホテルまで電車に乗って会いに出掛けました。
十数人の一行の内、ぼくが直接親しくしていた方々が数人来て居られて懐かしくちょっとだけ言葉を交わして写真を撮りましたが、たまたまバッテリー切れでうまく撮れず露出光度調整が出来ないこんな写真になってしまいました。
       2016_01 31_信州の知人たちと
右端の方がぼくが約十年間お世話になった(毎年の春から夏一杯を過ごした)信州八ヶ岳の有名な観光牧場『T牧場』のオーナーのTさんで、その隣りがぼくです。ぼくの左隣りが電気工事士のK電工さん、一番左手前の方のお名前が思い出せないのですが顔見知りの方、もうお一人知り合いの方で美味しいケーキを焼いて下さる奥さまと一緒にペンションをやって居られるHさんも来ておられたのですが席を外されてしまって写真には入ってもらえませんでした。

ぼくがこの方々と知り合いになったのはもう30年近くも前のことで、まだ互いに皆かろうじて『青年』の意気が失せていない時代でした。
その頃ぼくは信州で出来れば3千坪位の山裾の林を借りるか入手できたら地面を掘ったり石を積んだりして野外ギャラリーや面白いカフェのあるマンガ農園を作りたいと思っていました。(設計スケッチもたくさん描いていた)それから20数年経って今から3年前、やっと今の村の畑までたどり着いたのでした。

人生は思い願いの通りには進みませんでしたが、夢が叶わないというわけでもなさそうです。

  ( 2016・2/17,記、23,up )
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2016
02.20

母屋の改築工事、その〔4〕 (blog,337p)

Category: 村の家にて
畳があげられて床板が剥がされると『縁の下』だった地面が現われました。
幸い今は乾燥した真冬の時期なのでジメジメしたカビ臭い状態はどこにもありませんでした。
          2016_01 21_縁の下・2
地面は『版築(はんちく)』とまでは言えませんが割合しっかりと突き固められていたようで束石代りのセメント板には大きい沈下などもなく床や畳の水平にも凸凹や狂いは生じていなかったようでした。(ぼくはこの部屋は全く使わずに終わったけれど)
       2016_01 21_縁の下・1
この建屋は多分昭和30年代頃の増築だろうと思います。屋根裏の電気配線にはまだ碍子(ガイシ)と袋打ちコードが使われているし壁は泥に藁を混ぜ込んで捏ねた昔ながらの土壁でした。

その増築建屋の床下地面に何か不思議な穴がたくさん空いているのを発見しました。
これはなんの穴でしょうか?
穴の直径は約5センチ前後、数は多い部分では1平米当り7,8個もありました。
ぼくには確実なところは分かりませんが視た限りでは「モグラ」が掘った穴とは違うようです。モグラならば土中の隧道を掘って出た土を必ず地上の穴の出入り口周りに盛り上げて捨ててありますし第一縁の下なんか掘っても食料のミミズが居ません。
       2016_01 21_縁の下・3
そこで思い当たるのが一昨年の秋にサツマ芋の収穫のところで既述したことがあった『たくさんの大きいさつま芋が何者かに食い齧られていた』被害のことです。
その時にはぼくは畑にいる野ネズミがモグラの掘った隧道を利用して土の中(地面の下)へ入りこんで食べ物を探して食い荒らしたのではなかろうか、と想像したのでしたが、もしかするとネズミは家の中でも土の中でも同じネズミが往き来して暮らしているのかもしれません。地面に穴を掘ることも自力でもやれるのかもしれません。

種類は違いますがゴキブリは家の中でも外の草の茂みや石垣の隙間や樹木の洞でもまったく同じように生きています。
ぼくたち人間だって温かい家に暮らしていてもキャンプに行ったり水遊びをしたり山歩きをしたりするわけで、村の家で暮らすことはそういう生命の交流が町の中で暮らすよりずっと濃厚になるということだろうと思います。

残念なのはぼくがファーブルやシートンのような観察力と洞察力に優れた科学的な頭脳の持ち主ではないという事実ですがそれを嘆いても詮無いことです。何かぼくに発揮できる能力でこの環境における生命の交流を楽しめればそれでいいのだと思います。

  ( 2016・2/17,記、20,up )
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2016
02.18

母屋の改築工事、その〔3〕 (blog,336p)

Category: 村の家にて
家を改築するために先ず【最初に建てられた躯体構造】を調べてどのように造り変え、あるいは残せるのかの判断が最も大事なことになります。
そのために天井や床や壁で仕上げられた造作を一旦全部外し、剥ぎ取って家を骨組みだけにして行くのでした。
残るのは屋根と柱と梁だけというわけです。
その柱や梁も改築プラン実現のために外せる部分や、虫に食われたり腐れている部分は崩れないように応急処置をしながら全て外して行くそうです。
2016_01 21_壁崩し・1 2016_01 21_壁崩し・2
壁を崩して行くと座敷は全面泥の海、というか部屋の中が山のようになりました。
ぼくたちは外国の人々の暮らし方などで『泥土を固めた家』に住んでいたり『木や竹でできている家』に暮らしていたりする国々や地域の人々や部族民族のことを【未開文明的で遅れた暮らし方をする人々や国々】だと判断したり決めつけたりしている論調や報道に未だにちょくちょく出合いますが、冗談ではありません!!

日本社会の歴史の中で人間が住まいとして作って来た家や施設として建設してきた建物や構造物は全て泥土と石や砂と草や藁や竹や樹木で造られ、工夫が重ねられて何百年もの研鑚が積み重ねられてきたものです。
それは非常に機能的で美しくてしかも文明の最先端を行く【再生可能な生活様式】を具現している建築技術、建築様式なのです。
2016_01 21_壁崩し・3 2016_01 21_壁崩し・4
上の写真に見える通り、村の家も壁は網代(竹を縦横に編み上げて縄で縫り留めたもの)を立ち上げてそれを芯にして厚く泥で塗り固めた古風な土壁でした。(この部屋は戦後に建て増しされた部分だが従来の素晴らしい職人技で造られていた)
      2016_01 21_壁崩し・5
土壁が崩されてその構造物が取り除かれた後、今度は畳や床板が取り払われて行きました。
床板や骨材の垂木は全くしっかりした状態が保たれていましたが柱の根方や高い所に渡された梁材は虫に食われた被害がひどくて大変な状態になっていました。

  ( 2016・2/16,pm21:11' )
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2016
02.16

海の幸、冬の幸 (blog,335p)

Category: 町の家にて
村の家の改築報告はまだ工事が始まったばかりでこれから当分続きます。
それで時々話題を変えてぼくの『ダラダラ・ブログ』にちょっとだけアクセントをつけて行きたいと思います。
先ず今日は町の家で新鮮な海の幸を味わったことを書こうと思います。
          2016_02 15_大きい牡蠣・1
我家の娘が(13~14日)友達女子連で海辺へ旅行して戻り、お土産にその地方の地元の特産という大きい活きた牡蠣をバラバラと買って帰って来てくれました。娘に感謝!
こんなに大きくなるまで育った牡蠣には済まないことでしたが「なるべく早く食べるべし」というわけで今夜早速蒸し焼きにして美味しいロゼワインを飲みながらいただいてしまいました。いやー本当に美味しかったです!(家人が言うにはちょっとだけ加熱時間が長過ぎて身が少し縮んでしまったのが残念とのこと)
ギュッと果汁を絞ったレモンも今回は運良く育ってくれた自家畑の収穫物です。

娘が一緒に旅行した友達は高校時代からの気のおけない友人たちで、その中の一人が今回の旅行のプランを出しコースも選んでくれたのだそうです。
       2016_02 16_大きい牡蠣・2
決まった行く先を娘から聞かされて思わずぼくは「えっ?そこかよ!」と言ってしまいました。
彼女たちの旅行先はぼくが毎回通っている『マンガのある農園』建設中の村がある同一県内のしかも直線距離にして20数キロ程の近さの海辺の有名な観光地だったのです。

ちょうど一年前の今頃にぼくは村の家の作業を一日休みにしてその辺りまでドライブに出掛けたことがありました。
その時にあちこちの小さい漁港や入江の集落を巡ったのですが、どこでも何か魚介類を養殖している筏や生簀が湾内に浮かんでいました。
きっとこの牡蠣も去年の夏に生まれた稚貝があの海で半年以上かかってここまで大きくなったものと思います。

ぼくたちは自分が生きるために絶えず他者の生命と生存環境を食べて行かねばならない存在です。だからせめて不要な殺生や過分な贅沢、浪費に溺れるような人間であることは戒めていたいと思います。
しかし牡蠣は美味しかったです。家族一人当たり二匹づつの少量でしたが十分に季節の味わいを楽しめました。ぼくたちに食べられてしまった牡蠣には本当に済みませんでした。そしてありがとう、ご馳走様でした。

  ( 2016・2/15,pm23:49' )
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2016
02.14

母屋の改築工事、その〔2〕 (blog,334p)

Category: 村の家にて
母屋の改築(解体)は急ピッチで進んでいるようでした。
先ず始めに畳や床をそのままにして天井板や新建材の張り壁が剥がし取られて行きました。
      2016_01 20_天井剥がし・1
上の一枚目の写真で部屋全体の正面と右側のフスマ壁の上部に梯子を横に打ちつけたような構造の白っぽい角材が見えますが、その角材の上の方の高さの位置が天井の高さでした。
その天井板を剥がすとこの家の元々の屋根裏や燻し煙抜き用のムシロ(莚)天井が姿を現してきました。
      2016_01 20_天井剥がし・2
上の写真のムシロ天井の支えは丸竹と割り竹です。何十年もの使用によって竹はすっかり燻されて黒く変色し、数寄屋造りの家や京都の伝統的な茶室などを建造する際にはわざわざ古い家を崩した現場から探し出すいわゆる『スス竹』と呼ばれるものです。

きれいな保存状態で一定の数が揃えば今もちゃんとした値段が付けられて売られているものですが、無論ぼくは別に売る気はありません。

でもこういうものを素材にして何かを作ってみたいとは思いますので取敢えず建築廃材で残せる分は全て残して置いてもらいます。
とはいえぼくは一般社会で言う定年世代になってもう今さら何がやれるか分からないし心許無いですが、何か楽しいものが作れたらいいなあと【昼寝の夢】でも見るつもりです。
      2016_01 20_天井剥がし・3
母屋の改築のしばらく前に裏側に当る北側に建っていた重量鉄骨の倉庫を大小2棟、解体撤去してもらったので幸い家の周りには広い空き地ができましたから古い家の改築解体に伴う古材の保管場所には困りません。
ただし雨風に野晒しにしておいては直ぐに白アリに食われたり腐れたりして再利用できなくなってしまいますからこれから春までかけて自分で簡単な雨避けを作って古材を整理して行こうと思っています。

解体はドンドン進んで行きます。

  ( 2016・2/13,pm23:56' )
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2016
02.12

母屋の改築工事、その〔1〕 (blog,333p)

Category: 村の家にて
先日のブログでも書きましたが1月17日からこの写真の様に母屋の改築工事が始まりました。

2013年の夏に、長年親しんだ町の仕事場を閉鎖(終業)して整理し手放した時に(置く場所が無くなった)大量の荷物をこの村の家へ運んで保管していました。

今回はそれらの荷物を完成近い新しいギャラリースペース(農業倉庫を改築した建物)へ取敢えずまた再移動させて母屋の中を空にしながら改築作業が始まったのです。
      2016_01 20_母屋の解体・1
荷物のいろいろで言うと、もちろんぼくが持ち込んだ町の仕事場からの荷物も相当の分量で移動するのはひと仕事でしたが、その全て以上にたいへんなのがこの家に元住んでおられた方々の大量の生活道具の処置で、既にこれまで二度に亘って倉庫一杯分の荷物を処分してもらいましたが、今度は母屋に残った荷物、大型冷蔵庫2台や幾棹ものタンスやソファー2台や幾つもの卓袱台や古い大きい重いテレビや2台のベッドなどがあり、その上衣類もあり寝具の類も10人分かあるいはもっとたくさん押入れに詰め込まれたままでした。
ぼくは1月17日(実際には19日)まで2年半近くの間、そういういわば他人の家に間借り下宿していたようなものでした。

これらの残存物は本来この家を譲渡されるまでに元の持ち主サイドが片付けておくべきものでしたが(それでは持ち主さんが引っ越すまでこの家で暮らすのに支障があるということなどを考慮して)3年前の売買契約時にぼくたちが改築工事をする段階で最終的に不要な物を全て売主さんサイドに処分してもらえば良いですとぼくたちが承諾していたので今までそのまま残っていたというわけです。
      2016_01 20_母屋の解体・2
さて【改築】とはいっても実際の作業は先ず古い建築材で造られた構造そのものをどこまで改築工事に利用できるかの確認をしなければなりません。
そのためには床や天井や壁を剥がして土台と柱と大屋根だけにしなければならないということでした。いわゆるスケルトン化(骨格調査)です。

その工程をつぶさに見物(見学)して分かったのですがこれは殆ど『解体工事そのもの』のような光景でした。
      2016_01 20_母屋の解体・3
それはもの凄い技術と体力と注意力が必要な仕事だと知りました。今日辺りでその改築(解体)工事が始まって約3週間になる計算ですが、ぼくはその内の1月17日から23日までと今月2月の5日から8日までの合計11日分を自分の目で確認して写真で記録して来ました。

これから数日間に亘ってその模様をご報告したいと思います。すごい迫力です!
ぼくはTVを観ないのですが写真を見た家人によればこの光景はまるで『ビフォーアフター』番組みたいだそうです。
まだアフターになるまでには当分かかるわけですが今までのこともこれからのこともきっとぼくにとってはTV番組よりすごい実体験になるのだろうと思います。

  ( 2016・2/10~11 )
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2016
02.10

夏ミカン系がたくさん (blog,332p)

Category: 村の家にて
温州ミカンは去年の冬の初め頃にはすっかり収穫が終って、冬が本格化すると今度は大きい柑橘類が充実して来ました。

でも昨年末に5,6個採って町の家へ持ち帰った夏ミカンと八朔ミカンはまだちょっと食べるには早いかなという感じの味わいでしたが今回、小正月も過ぎて1月下旬にさしかかった頃に村の家で八朔と夏ミカンを一つづつ食べて見たところすっかり美味しくなっていました。それで町の家へ帰る前に写真を撮ってから収穫を始めました。
       2016_01 22_かんきつ系・1
この「絵に描いたような樹形の木」は八朔ミカンです。↑ ハッサクの果実は夏ミカンより少しだけ食べ頃になるのが早いかなという感じですが、たまに行く限りでは同じ日に両方を収穫して食べて見てもその差が厳密に分かるわけではありません。
ただ、食べ頃になったかなと思うミカンを手にしてもぎ取る時、成熟したミカンは力を入れて引っぱらなくてもポクリと枝から離れるので「ああ、これはやっぱり熟しているな」と分かるのです。
その反応がどうも十日か二週間か、正確には測れないので分かりませんが去年も今年も八朔の方が夏ミカンより早いように感じます。
       2016_01 22_かんきつ系・2
こちらは二本ある夏ミカンの木の片方です。↑ 八朔は冬を迎えても葉っぱがまだ青々として元気な印象ですが、夏ミカンの方は寒さが続くと段々葉っぱが干乾び加減になって白っぽい色になって来たような感じがします。
もしかして栄養が不足しているのかなとちょっと心配になりますがしかしこれだけの大きいミカンをたくさん生らせてくれているところを見ると栄養が足りなくて枯れそうな感じがしてきたわけではなくてたぶんそういう樹木の性質なのだろうとも思えます。

さてこちら(下の写真)は『レモン』です。檸檬、と漢字で書くと途端に文学的な香りがするのは今から90年も前に梶井基次郎が【京都寺町二条角にあった八百屋の店先から檸檬を一個だけ買って握りしめ、丸善書店(兼、文具装身具店)の書架から引き出した豪華美術本の上に爆弾と化したそのレモンを置いて逃げ去り、かつて自分が興味と興奮を覚えた画集本や文房具もろとも書店を爆発させるという「妄想」をする】アナーキーな散文詩のような掌編小説『檸檬』を書いたからに違いありません。
          2016_01 22_かんきつ系・3
2年8か月前にこの村の家と畑を元の持ち主さんから譲り受けて以来、温州ミカンも栗も柿もキウイフルーツもイチジクも夏ミカンも八朔ミカンもたくさん収穫しましたがなぜかレモンだけは去年の冬も一昨年も不作でした。

それが今年は嬉しい作柄になりました。
去年夏頃から樹幹の小枝の先に緑色の実が二つ、三つと育ち始め、10月,11月になると急に大きくなって来て年末頃には独特のレモンイエロー色がつき、年明けて先日行った時にはちょっとお店で売られている物の横において自慢したい程の見事なレモンになっていました。
        2016_01 22_かんきつ系・収穫
梶井の小説『檸檬』で主人公が自分のうっ屈を自身の肉体(病身)と思考から追放したくて自分自身が身を置く世界を破壊しようとした時、妄想の爆弾と化したレモンは米国カリフォルニア産の「ハイカラでエキゾチックな香り」を放つ異文化の小さな象徴でした。
だからこそ小説『檸檬』においてレモンは日本的な文化の所在を(そのしがらみを脱することがままならない主人公の感性を)暴力的に解放しようとする道具(武器)の役割りを負うことが出来たのだと思います。

それから90年後の現在、レモンにはもう舶来品の目新しさはなく日本中のスーパーにありふれたごく普通の商品になって異文化の香りもしません。
輸入された品物にエキゾチックを感じる(そういう感覚が理解できる)世代は第二次世界大戦後どんどん減ってとくに高度経済成長時代(1960年代)以降に生まれ育った人々にとっては衣食全般あるいは娯楽や住環境に至るまで舶来の品や文化は在って当たり前「千葉県」に『東京ディズニーランド』が営業を始め、社会にパソコンや携帯電話ツールが蔓延して以後ではもう外国製品と日本列島内の生産品を区別峻別することにほとんど意味が無い時代になってしまいました。

それで典型的な日本の田舎の様な村の家の畑の脇に植えられて既に十年か二十年も経つかと思われるキウイフルーツやレモンの木が伸びて実を生らせていることにぼく自身も左程の違和感を感じずに環境として受け入れてしまっているというわけです。
町の家へ持ち帰って早速味わってみた村の家のレモンはなんだか昔からずっとそこで栽培されていた温州ミカンや夏ミカンと同じような伝統的産物の柑橘類の一種に過ぎないかのような自然な味わいでした。

  ( 2016・2/9 )
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2016
02.07

野菜の食べられない部分 (blog,331p)

Category: 畑のあれこれ
先日、畑でたった一個だけ育てた紫キャベツの収穫をしました。(苗の名前シールには『赤キャベツ』と書いてあったような気もする)
キャベツや白菜やレタスのような「玉になる野菜」はたくさんの葉が出てその中の内側に育つ葉っぱだけが段々丸まって行って芯を作るわけですが、何枚もの葉っぱが重なり合って丸まった部分だけをぼくたちは『キャベツ』や『白菜』や『レタス』と呼んで食料・食材にしています。
       2016_01 22_食べられない部分・2
野菜を育てるようになって改めてちゃんと知った(認識した)のですがそれらの野菜は外側の何枚かの葉っぱを食べない物(食べられない葉っぱ)として捨てています。

その食べられない部分として捨てる分量が『キャベツ』でいうとだいたい食べる分量と同じほどあるのでした。
これはぼくにとっては驚きの事実でした。つまり極論すればぼくが10個のキャベツを栽培するのはその半分の5個を捨てるために育てていると言うこともできるわけです。
これはすごいことです。けれどもぼくたちが生きて行くということはじつはそういうことなのなのかもしれませんね。

もっともぼくの畑では捨てるといってもゴミ収集車に持って行ってもらうわけではなくて収穫後の畑に次の作物を育て始めるまで放置するかあるいは不要な葉や茎を集めて畑の隅に作った堆肥場へ運んで台所の生ゴミなどと同化させて放置するだけです。(それらの不要物は微生物の働きによって分子崩壊して土に環り土中の菌を増やして土を元気にしてくれるので無駄は無い)
        2016_01 22_食べられない部分・1
ところでこの不要な部分を捨てる時、いつもぼくはそれらの作物の「クズ」をよくよく眺めます。そして何ともいえずそれらの物の形や色合いや感触がいいなあ、きれいだなあと思っています。
近い内に敷地内のどこかに自分で物置スペースを用意したら画材を整理して油絵やアクリル画やエッチングなどの画作を再開する予定です。そうしたらきっとこういう畑の諸々もぼくの絵の主要なモチーフになるだろうと思います。
        2016_01 22_食べられる部分
今日の写真3枚は全部一つの紫キャベツ(赤キャベツ?)を撮ったものです。
一番上は畑の畝で鎌で丸い玉になったキャベツを切り採った後に残った外側の葉っぱと根に近い茎の部分。
真ん中の写真は収穫したキャベツの丸まった葉っぱの外側から8枚位、食べるには硬過ぎると思われる分を剥がしたもの。
そして三枚目の下の写真が家へ持ち帰った分ですがこの写真に写っている手前に広がる大きい葉っぱと上部と左横に見える葉っぱ(計3枚)も切り落としましたので今回の場合、結局町の家で家族みんなで食べられた部分は一株のキャベツの約3分の1位まで小さくなってしまいました。

何とぼくの畑の労働の3分の2までは消耗ということになりました。けれどもこれは決して「徒労」ではないのだと思います。
徒労というのはこのキャベツが育たなかった、枯れてしまった、あるいは全て残らず虫や獣に食べられてしまったという事態になった時のことだと思います。だから「3分の1食べられりゃ上等!」と思うことにします。
そして次回は何とか食べられる部分の少しでも多い作物栽培と収穫を目指そうと思います。

  ( 2016・2/3,pm23:19' ) 
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2016
02.05

寒の梅と椿 (blog,330p)

Category: 町の家にて
前回までのブログ『アンゼルム・キーファー』と『ウィリアム・ケントリッジ』の展覧会の感想がそれぞれ大変長い書き込みになってしまったので今日はちょっと美術関連の記事は控えて短いブログにします。

もう2月3日の節分になって暦の上では冬が終ってしまいましたが、実際の日本列島ではまだまだ春は遠いというところが多いですよね。
2016_01 28_寒の梅と椿・1  2016_01 29_寒の梅と椿・2
この前に村の家から帰る時、畑の周囲に植えられてある樹木の内『春を呼ぶ梅』と『寒の椿』を何本か枝切りして持ち帰りました。

それは1月23日でしたがその時には梅はまだ完全な蕾でした。
帰宅した夜から翌24日、更に25日まで雪も降って外気温がグンと下がって家人がガラスの大きい花瓶に挿して庭へ出しておいた梅の枝の花瓶の底まで水が氷に変わってしまいました。
土に根を張っている樹木なら大丈夫でしょうが枝切りしてきた梅なのでもしかしたら枝の中の水分も凍ってしまって蕾が凍え死んでしまったかも知れないと心配しました。
でも梅の枝も蕾も一晩や二晩の寒波で萎れるような生命ではありませんでした。
家の中で幾つかの花瓶に小分けにして活けておくと段々にきれいな花を咲かせ始めてくれました。村の畑から町の家へ春を運んできてくれたという感じです。

椿は畑の周りにも植えられてあり、母屋の真正面の庭園(サツキの園)の中にも大木が立っていてたくさんの大きな花を咲かせています。
村の家の玄関前の椿は1本の大木だと思うのですが毎年たくさんの花が咲いて花びらの大きさと色が文字通りイロイロなのが面白いです。
        2016_01 24_寒の梅と椿・5
椿の花のシーズンはかなり長いので花も咲き始めの頃と盛りの頃とぼつぼつ終るのかなと思う頃では花の色にも形にも変化が表れているように見えます。でもしっかり観察してはいないので実態がどうなっているのか分かりません。
2016_01 24_寒の梅と椿・4  2016_01 24_寒の梅と椿・3
ただこうして写真にも写っている通り花の大きさと色合いは1本の椿の木の枝でこれだけ違いがあることは一目瞭然です。

花屋さんの店先にきれいに並んだたくさんの活花を眺めて選んで買って来て飾る楽しさは(ぼくは滅多にしたことがないけれど)すごい贅沢なことをしたという気持ちになりましたが、今では家人から花や蕾のついている木の枝を見つけたら少し枝を切って持ち帰ってと言われているので忘れないようにだいたい町へ帰る当日に花の木を探します。
といっても今の季節はやはり花は多くありません。それで村へ引っ越したら自分で庭を模様替えして一年中何かしら花を楽しめるような花壇や生け垣を作ろうと思っています。

  ( 2016・2/3,am2:32' )
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2016
02.03

ウイリアム・ケントリッジ〔後篇〕 (blog,329p)

美術家ウイリアム・ケントリッジについて感じたことを書いています。(前回のブログが〔前篇〕で今日の書き込みが〔後篇〕)

彼はたぶん美術家としてこの世界で美しいものとはいったい何なのか?(美しいものは存在するのか?)という問いを発していたのではないかと思います。

例えばぼくたち自身の生命の依り所である肉体=人体は美しい時もあり醜い時もあり、しかも絶えず変化を余儀なくされていてやがて必ず滅びるものであること、人間が人間であろうとする時、人間は悩み戸惑い間違いを犯す存在でもあること。
服を着たり飾ったり武装して身体表面(外面)を変化させても悩みや問題の前には一切の虚飾は無力であり本質的な営為たり得ないこと。等々が彼の作品には描かれていたようにぼくは感じました。
     2016_01 29_ケントリッジ、10
ケントリッジは自らの姿、身体を露出させて客観化、作品化しながら個人的な表象の向こう側に現代の人間が抱えたり対峙したりせざるを得ない現実的でかつ普遍的な問題を浮かび上がらせ、抽象的な概念としてではなく、かといって即物的な形象や主張にもよらず(しかしかなり具体的に)掲示しているのではないかと思いました。
       2016_02 02_ケントリッジ・2の3
ただぼくはどうも彼が外側へ向かって自分の問いを発していたのではないような感じも受けました。
       2016_02 02_ケントリッジ・2の4
彼の作品制作におけるスタンスは自分の外側に広がる世界に手を広げてその手を自分の内面へ丸めて抱え寄せて一旦自分の心の内側に取り込んだカオスを遠心分離したり洗い流したりして残ったマテリアルを繋ぎ合せたりさらに細かく裁断したりする行為を繰り返しながら何が美しいと呼べるものなのかを探し「水の中から素手で掬い揚げるような営み」をしているように感じました。(でも彼が【美】を掬い揚げられたのかどうかはぼくには分からなかった)

ともかく彼がそうした【表現】の手段として選んだ『アニメーション』(または映写動画コンプレックス)という方法は映画技術の原点に内包されていた人間自身の心理的欲求、または欲望と見事に合致していて、その事実によってぼくは展覧会場で彼の作品とパフォーマンスを強く印象付けられたのだと思います。(映写、映画技術の原点には生命の活動や自然環境の動的変化などを転写、再現、創造したいという欲求があったに違いないとぼくは思うから)
   2016_02 02_ケントリッジ・2の6
さてもう一つ彼の作品がもつ特徴を挙げると彼の作品はどれも非常に『演劇的』で『劇場的』な効果を持っていると言えると思います。
ここで〔前篇〕の最初の方で書いた『だまし絵』の作品が象徴する世界に繋がってきます。
       2016_02 01_ケントリッジ、2の1
              『回転する情況、回転する空間』

美術館の広い会場で上映されるとはいえ映し出されるアニメーションは壁で仕切られた部屋の中でエンドレスロールのような状態で映写され続け、最初から終りまでが例えば10分の作品ならば1時間に6回の割合で繰り返し映し出されるわけです。
この『繰り返し』はまさに円盤状に一定の歪みを以て描かれた画面の中央に鏡の筒を置いて(その鏡の筒に転写された絵の方を本来の在るべき画像として)眺める『だまし絵』の構造と効果をフィルムに焼き付けて時間的、空間的に長く伸ばした状態であると言えます。
         2016_02 01_ケントリッジ、2の2
また、そうした予め仕組まれた動くもの(あるいは動かないもの)を限られた空間、地平で作品側(製作者側)の管理(または思慮、配慮)に従って観賞者に提示して見せる遣り方と『劇場または野外の空間で自分(たち)が縄張りする次元の中へ観客を封じ込めて、演ずる芝居なり音楽なりあるいは即興の身体表現なりに立ち会わせる』ことで【意識の共有、解体や再構築】を図る営み(企て)との間にはかなりの共通性があるように思われました。

うまく言えませんが敢えて弁証法的に記述すればそうした演劇的、劇場的な作品が表わすものは『有限の空間における無限の繋がりを生みだすモノ』と言えば良いでしょうか。仕切られた時間、空間(たとえば人間の生涯と言い換えることもできる)にあってその限界や制約を突き抜けて永遠無限に繋がるモノ、それが【美】の本質なのかもしれません。(だとすれば『美』と『思想』の関係にぼくの思いは至る)

彼の作品には水、海、波、血液、などの不定形な液体がたくさん描かれていました。
ぼくにはそれが人間の内側に在っては悩み、途惑い、絶望、間違いなどの象徴であり、外界に在っては人間の思索や人体の持つ力では抗し難い自然の変化する力(現象)の象徴のように受けとめられたのです。

あるいは『欲望からの脱出方法としての水の効能』ということなのかもしれません。
人間自身の身体から流れ出た水が人間の創り出した物質文明や虚飾や政治状況や経済格差を呑みこみ、どこかへ流し去り、地上を一旦人為から解放して自然の姿に戻すという期待を籠めて絶えず洪水や水漏れが描かれているのかもしれません。
     2016_01 29_ケントリッジ、11
ぼくが家人と一緒にウイリアム・ケントリッジ展覧会を観に行ったのは2009年の秋でした。

それからちょうど1年半後の 2011年の3月に東日本大震災と呼ばれる巨大な地震と大津波の自然災害が日本列島の東北沿海地方を襲い、福島県では東京電力福島第一原子力発電所の原子炉や建屋が損傷して核燃料がメルトダウンを起し四基も原子炉建屋が爆発して世界中に放射能を吐き出し撒き散らす人類の歴史上かつて無かった大事件(日本政府と東京電力による犯罪行為)となりました。
5年後の現在も全く放射能拡散・大規模地球汚染は塞ぎ止めることができず、溶融したウラン核燃料デブリが原発施設内外のどこにどうなっているのかを確認すらできない危機状況が継続中であることをぼくたちは一生忘れてはならない事態になっています。

ケントリッジが背負っていた「南アフリカ共和国で白人に生まれたこと」による【原罪】はおそらくその不条理、罪悪感を内包した社会的優位性の中で様々に彼の表現(作品創作)に影響を与えてきたことでしょう。
そこで彼が人間として贖罪を託した物が「水」だったようにも思われます。
そうした想像、空想の領域で彼の作品には十分リアリティーが確保されていたと思います。(しかし現実にはどれだけ有効な表現足り得ているかはやはりぼくには分からないが)

ただ言えることは東日本大震災を引き金として起してしまった原発・核、放射能拡散事件を【原罪】として背負ったというのに、ぼくたち日本民族はあまりにも無自覚で無責任で無関心で愚かで卑怯な社会論理にドップリ浸かりきったどうしようもない劣悪な人間集団であり、世界的にも類を見ないほど情けない「感情が鈍い社会の住人」でしかないという事実です。

せめて現在の日本社会に生きるぼくたちの中で美術や技芸や創造的な仕事を志す人たちにはあのドイツ出身で『ヒットラーの出現を許してしまった民族の後裔としてナチスの犯した罪を記憶』して自らの作品制作のバックグラウンドと出発地点に据えたアンゼルム・キーファーや、人間社会に優位下位の人種差別を持つ不条理から創作を通じて脱出しようと試みたウイリアム・ケントリッジのような表現者たちが次々に現れるべきではないかと怒りと疑問をもって観ているのですが、本当に恥ずかしいことに数えるほどにしかそういう人の動きや作品に触れることが出来ません。

今年『マンガのある農園』が完成したらそこで『マンガ・漫画・まんが』に限らず人間の情感に触れて人間性の解放を志向する人たちの表現を確認したり生み出したりすることが出来ればいいなあと思っています。
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以上、またまたとても長い書き込みになってしまいましたので途中で面倒になって読むのを止められた方もお在りかと思います。
自分でも展覧会の印象を書き込むだけだったはずなのにこんな長文になってしまって呆れています。

全部をお読み下さった方が居られたとしたらすっかりお時間をとらせてしまって済みませんでした。
ぼくのダラダラ文のあとですがケントリッジ本人の作品URLを貼り付けておきますので興味のある方はまたhttps全部をコピペしてyoutube検索で動画をぜひご覧ください。

     〔ぼくのブログみたいに理屈っぽくありませんから楽しく観られます。〕
              ↓            ↓
      【 https://www.youtube.com/watch?v=hXMC3b_gFXM 】
    (ウイリアム・ケントリッジのアニメーション『'Five Themes' in SF』)


  ( 2016・1/31~2/2 )
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2016
02.01

ウイリアム・ケントリッジ〔前篇〕 (blog,328p)

一つ前のブログでドイツ出身の美術作家アンゼルム・キーファーのことを書きました。
今回は南アフリカ出身の美術作家ウイリアム・ケントリッジという人のことをちょっとだけ書きたいと思います。ちょっとだけ、というのはぼくの知識が足りなくて多くのことは書けないからです。
     2016_01 29_ケントリッジ、1
体験的に言えば2009年に展覧会を見ました。
会場で展示されていた作品は映写機撮影の駒撮りアニメーションを表現の手段に用いたいわゆるドローイング(デッサン的に描かれた画)でした。それからアニメ製作上の舞台作り用に小道具として作られ撮影されたオブジェも同時に展示されていました。

昔からぼくも子ども雑誌の付録やおもちゃとして親しんだことがある丸い絵の真ん中に鏡の筒を置くとその筒に映った絵がちゃんと形になって見えるという絵(これはアニメではないが視覚を眩ますという意味で『だまし絵』と呼ばれている絵の一種)もありました。
このだまし絵は彼の作品全体を理解する上で非常に根源的な『キーワード』になっていたと思います。(そのことについては後述)
2016_01 29_ケントリッジ、4  2016_01 29_ケントリッジ、3
展示(上映)されていたアニメーションの特徴の一つは作家自身がほぼ等身大の写真やドローイングになってスクリーンに登場していることでした。
それは作品にリアルな思考作用を付帯させる効果があって映し出される動画の中で作者の思想が動きと絵によって提示され、観賞者と対峙するという【普通の絵画や写真や造形物が展示された展覧会とは違う観賞の仕方】を要求されるもので、その分作品との接触感が濃厚に感じられる展覧会でした。
         2016_01 29_ケントリッジ、8
この展覧会の作品の内容を読み取るためには作者のケントリッジが南アフリカ出身の白人(ヨーロッパ人種)美術家であるということが決定的に重要なことであると思いました。

南アフリカは今からほんの二十数年前まで世界最悪の人種差別国であり、人口のわずか十数%の白人種が国土の80%以上と政治権力及び経済権益の90%以上(つまり殆ど全部)を独占して国内の20種族以上に及ぶ非白人民族に対し(白人との古い混血人種やごく一部のアジア人種を除いては)教育も受けさせず職業選択の自由も居住地を移動する権利も何も与えない悪名高い黒人種隔離政策『数々のアパルトヘイト法制』を強制し続けていた国です。

そのため1994年に黒人のネルソン・マンデラが初代「全人種国家・南アフリカ共和国」大統領になり1996年に新憲法が作られるまで南アフリカ国内の黒人の人々は【事実上無権利に等しい奴隷状態】におかれて長い呻吟の時代を送らざるを得なかったとぼくらは当時のニュースで知っています。
     2016_01 29_ケントリッジ、9
そうした社会構造が強固に敷衍された国で生まれ育った「白人」のウイリアム・ケントリッジは「自分の作品ではもう単に美しい花や心休まる景色や進んだ文明都市を素晴らしいものとして描くことはできない」と告白に近い発言をしている人でした。(文言は正確ではない)

つまり過去の絵描きや芸術家と呼ばれた人々の到達した表現世界とそれらの人々が獲得した『美的成果』は最早ケンドリッジの時代感覚(環境から形成された思想)によれば【同じ価値のあるものとして受け入れ難い】ものになってしまっていたということになります。要するに彼の認識は本質において「リアリスト」なのです。
2016_01 29_ケントリッジ、5 2016_01 29_ケントリッジ、7 2016_01 29_ケントリッジ、6
彼はおそらく美術家として(美術家であるが故に)この世界で本当に美しいものとはいったい何なのか?という問題に早くから立ち至っていたのだろうと思います。
もっとハッキリ言えば【この世界に何の疑問も持たずただ美しいということができるものなど存在し得るのか?!】という心情にあったのではないでしょうか。

現代の南アフリカに生まれ育った「白人」だということが彼に【美術家として自分の立ち位置はどこにあるのか】を問い続けさせたに違いありません。人間の存在を階層的に捉えて「優位」と「下位」でその営みに価値を違えるような社会を当然と受け入れ、そうした非合理的な社会で美しいとされるものを追求することの不条理(堕落)を甘受するのか否か(それはじつは全世界における欧米白人優位の世界観そのものへの疑問でもある)ケントリッジは【白人であるという限界を内包しながらも】その地平に立っている人なのではないかと思えます。

そしてきれいな花や果物や風景や都市ではない美しいものがどこにあるのかを探した結果(と、ぼくは勝手に想像したのだが)それが人間の社会を動かす力や身体の動きそのものや物語の中に存在することを確信したのではないかと思います。
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〔以上、今日はここまでで、続きは次回のブログ(後篇)に載せたいと思います。〕

この作家についての感想は「ちょっとだけしか書けない」と思って書き始めました。
実際に内容的にはたくさん書くことは無いのですが、文言を多く費やしてしまって文章が長引いてしまうことになりましたので、自分でも疲れて2回に分けることにしました。
長々と読みづらい記述になってしまって済みませんが続きもどうぞよろしくご覧下さい。

  ( 2016・1/30~31 )
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