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2016
11.30

里芋掘り、開始 (blog,443p)

Category: 畑のあれこれ
前の回のブログで【冬収穫野菜や年明け、早春収穫の野菜を育ててないのが残念だ】と書きました。
そのことが本当に残念で気掛かり心残りです。
ただ、この晩秋に収穫出来る作物は少しだけあります。先ずその第一弾は『サトイモ』です。

      2016_11 10_里芋掘り・1
ちょっと幅広の長めの畝を立てて育ててきた里芋の、大きい葉っぱが少し色褪せて来て、何本かの茎が重い葉っぱを支え切れなくなって倒れ始めてきたので、ぼつぼつ掘り上げ時かなと見定めて、一番よく伸びていた一株を掘り上げて見ました。
                   ↓  ↓
         2016_11 12_里芋掘り・2
すると、もうすっかり成長した見事な親芋、子芋、孫芋がどっさりついた土塊が掘れて出てきました。
この糸根(毛細根)は全て里芋の親芋や子芋から生え出ているもので、土中で土と根と芋(球根のような感じ)が一塊の小宇宙を形成しています。
                  ↓    ↓
           2016_11 12_里芋掘り・3
写真に写る作物のスケールとボリュームがちょっと見ではなかなか分からないので、なるべく判断の基準にできる物を横に置いてみるのですが、上の写真で里芋の土塊の右側に置いたスコップの長さがちょうど30センチあります。

         2016_11 10_里芋掘り・4
                 ↑       ↑
          (一株掘り起こすと大体こんな感じの収穫だった)

この株の場合、直径10数センチの親芋に長さ8~10センチ前後の子芋がたくさんついていたことが分かります。
今回滞在中に、全部で10株か11株の里芋の内の4株を起こしてみたのですが、今年の里芋成育は順調だろうと思えます。これなら次回畑へ行って、残りの株を起こすのが楽しみです。

 ( 2016・11/30,up )
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2016
11.27

カブレの木騒動・顛末 (blog,442p)

Category: 村の家にて
ここしばらくは町の家と東京往復の話題に終始してきました。
そのご報告も一段落しましたので、また大事な村の家と畑のことを書いて行きたいと思います。
きょうは村の家で今年の夏、8月以降丸3ヶ月間に亘って非常に苦闘してきた敷地内の猛烈な『カブレの木々』大量繁殖・顛末について書き留めてみます。

先ず8月の初旬から中旬にかけて、ぼくは畑と庭周りの雑草を手と手鎌と枝切り鋏などで直接引き抜いたり切り払ったりする草刈りをしたところ、急激に両足、両手が原因不明のひどいカブレ状態になってしまいました。
重症時には身体の表面積全体の1/3か1/4程に及んだ赤い発疹と脹れの症状は鎮静化するまでに一ヶ月半以上かかり、痒くてたまらず眠れない日々が何日もあるほどのたいへんな皮膚障害でした。
     2016_11 10_かぶれの木、焼却・1
その原因がどうやらカブレの木にあるらしいと気がついたのは最初の被害を受けてから10日か2週間も経った後のことで、どうにもたまらない痒みに襲われていた時でしたが、ちょうどその頃並行して、ぼくは今後移り住む古家の改修工事に伴う母屋の梁を(何十年も積り重なった煤けや泥埃やヤニ汚れを研磨して)年代掛った美しさに生まれ変わらせる作業、労働を最優先でしている最中だったので、すぐにはカブレの木の処分に取り掛かれませんでした。

そして3週間の室内作業を終えた8月下旬から10月いっぱいまで2ヶ月以上かけてやっと敷地内に野生する大量のカブレの木全体の90%以上の根起こし除去をして、敷地内(南北2ヶ所)にそれらの根がついた幹をどんどん積み上げて行きました。
上の写真は南側の集積場で、たくさん積んだ方です。これだけで約2百数十本のカブレの木です。(11月10日の時点、だいぶ乾燥が進んでほぼ焚火で燃やせるところまで含有水分量が減ってきているだろうと素人判断した)

     2016_11 10_かぶれの木、焼却・2
それでこの日、段ボール箱、古新聞、建築廃材の中の燃えやすい松材、去年から先に枝払いしてあった庭木の枯れ枝等々、多くの薪を準備してこの大量のカブレの木を完全に焼却することにしました。

結果は大成功でした。
上下2枚の写真を見比べていただけば一目瞭然! カブレの木も他の薪も全て完全に灰と化しました。
この後まだもう30本ほど見つけたカブレの木があって、それも全て根起こししてまたこの焼却場の木灰の上へ積んで放置しておきました。
今度村の家へ行ったらそれもまた燃やします。そして木灰は土ごと畑の土壌に鋤き込みます。

それにしても今年、なんといっても残念だったのは春先から家の工事に伴う作業、労働がいろいろあったことと、今日の記事の通り『カブレの木騒動』などの徒労が重なって畑の世話(種蒔きや種苗育成や冬収穫物作物や来春収穫用作物の定植など)がほとんど何も出来ませんでした。
今度行ったら今からでも植えられる野菜などがあるかどうか探して少しだけでも畑仕事ができるといいのですが、さてどうなることでしょう。

 ( 2016・11/27,up )
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2016
11.25

東京往復〔4〕 (blog,441p)

11月15日、ぼくが現在住んでいる町から片道500キロ余り離れた東京を往復した最終目的地は新宿駅の隣り「大久保駅」近くの小さなライブ喫茶店『ひかりのうま』というお店でした。
そこでこの日の夜に催された(親しい知人が書いたマンガに関する新しい本の)出版祝賀パーティーに出席するのがこの日の最終予定だったというわけです。

             その知人の本というのはこれです。
                 ↓     ↓
             2016_11 22_高野さんの本・2
                 ↑     ↑
  『貸本マンガと戦後の風景』(高野慎三・著、2016年11月20日発行、論創社・刊)

11月15日のパーティーは一般書店の販売日より5日も早かったからか、続々参集した著者の友人知人に本が手渡されたのは開場受付から少し経って出版社の方が段ボール箱で運んで来てくれた後でした。(こういう段取りのギリギリ感がまた楽しい)

           2016_11 21_高野さん・2
本の内容についてはぼくは(今日の記事を書く段階で)まだちょうど半分までしか読んでいないので全体を通じた読後感想を書くことはできませんが、もとより著者の高野慎三氏とは同じ職場で机を並べたぼくの社会人出発時点以来のお付き合いで、一時は毎日マンガや社会状況について論談を交わしていた間柄ですから(ここまで読んでいて)大方の記述と意見について「ああ、そうでしたね」「うん、そうだよね」という感じが90%と「ああ、そうでしたか」「う、、ん、そうかなあ」という感じが10%位という心持で読み進んでいます。

          2016_11 15_高野さん・3
                       ↑
当夜、会場となった小さいお店には全員着席は出来ないほどの人数が参加して開会時点で司会者が「立食パーティー」形式にしましょうと言わざるを得ない盛況となりました。
上の写真はご自分の著作について「内容的にまだもっと論じること、書くことがある」と語る高野氏。(立っている人の右から2人目)

そしてこちらは高野氏の新著についてというよりはご自分が高野氏と出会った当時の漫画世界と社会状況についてマイク片手に「ダラダラ」と【熱く語る】マンガ家、アニメーション作家で今では画家としても名を成した林静一(はやしせいいち)氏(写真右端、サングラスの人)
                         ↓
            2016_11 15_高野さん・4
                      ↑
林氏の後ろで会の進行を司りながら和やかな雰囲気を醸成するのは我らが名司会者・十松弘樹(とまつひろき)氏、(十松氏は東京国立市で『ギャラリー・ビブリオ』を主宰しているオーナーであり、マンガ及び漫画家に関わり深い様々なイベントを開催している)同じ画面の左端に写っているのはシンガーソングライターでイラストレーターでもある原マスミ氏です。

さらにこちら下の写真は前列ソファが著者の高野氏とお隣にマンガ家のうらたじゅん女史。その後ろがぼく自身(右側のロン毛赤シャツ)と高野氏の盟友で映画評論家の山根貞男氏(後ろの左側)です。
                  ↓     ↓
            2016_11 15_高野さん・5
ぼくは東京を離れてからはこういう方々と顔を合わすことも言葉を交わすこともほとんどありませんので、数年に一度こうして案内を貰うと喜んで出掛けて行くという状態ですが、そこで親しくお会いして話をする方々の数も今では段々減っています。

そしてお互いにという関係でもあるのですが、お付き合いが5年10年なら短い方で、もう30年40年を超えた方々ばかりになってきました。

             2016_11 15_高野さん・7
                  ↑     ↑
上の写真の林静一氏はやはりぼくが10代の頃からの知り合いで会うたびに面白く挨拶を交わし、おかしな話で盛り上がります。この写真は写す間際にカメラに向かってぼくの鼻の下に指髭を作るイタズラでしょうか、彼はこういう遊びをよくやる人です。

本日のブログのエンディングを飾る写真はこれまたぼくの大好きな貸本マンガについての考察にかけては剛の者といわねばならぬお二方とご一緒のスナップです。
真ん中が貸本マンガ史研究会の会誌『貸本マンガ史研究』の論者で友人のデザイナー三宅秀典氏、その左側に写っているのが論客揃いの会員中、早くから大量の資料を保持してしかもリアルタイムで貸本マンガに接してきた体験を活かして緻密な論を展開するちだきよし氏(ぼくは会員ではなくて時々駄文を寄せているだけのただの読者)
                 ↓   ↓
             2016_11 15_高野さん・6
というような次第で、今回の東京往復トンボ返り(十数時間滞在)のご報告全てが終了しました。(今回の東京往復シリーズ4回に掲載した写真はすべて、いつもよりスケールを縮小し、素子数も減圧して必要以上に個人の肖像が流用・流布されることの無いように処置している)

さて、ぼくは長年こういう人々のエネルギッシュな活動を時には近く、時には遠くから注視して暮らしてきました。
そして機会がある毎に、ぼくの興味と照らし合わせてできる限りご案内いただいた集まりには参加させて貰ってきましたが、これからはぼつぼつ、ぼく自身がマンガをめぐる諸々の思いと試行の発信者となって、若い時から夢見ていながら果たせなかったマンガを画きながら畑で作物を育てる【苔丸的生き方】を実践できそうです。

じつは今までぼくは高校時代に小冊子の個人詩集を出版したことがあっただけでその後は一切自分の本を作ったことがありませんでしたが、来年の春頃を目途に自分で編集する本(冊子)の出版を開始して行く予定です。
創刊号の内容と表紙デザインは10年以上前から徐々に準備してきました。
それについては今後、更に詳しい情報をこのブログかまたは新たなHPかSNSを起動してご報告して行きます。
どうぞお楽しみに、今しばらくお待ちください。

 ( 2016・11/25,up )
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2016
11.23

東京往復〔3〕 (blog,440p)

詩人の鈴木志郎康氏をお訪ねした後、戸田氏ご夫妻と新宿駅の地下でお別れして、ぼくは少し歩いて紀伊国屋書店で暫く懐かしい雰囲気を味わい、エレベーターでビルの中を上り下りして地上へ出て、何十年振りかで新宿3丁目から5丁目辺りをうろついてきました。

そこはぼくが東京で過ごした7年間の内の、前半数年間の記憶にしみついた場所です。
行けたら2ヶ所行ってみたい場所がありました。
片方は上京後すぐの時期から毎週のように通ったあるビルの地下にあった小さい喫茶店でした。
そこはぼくにとっては今でも忘れられない人々と、マンガのことや映画のことやデモのことや世界のことや音楽のことを長時間語り合った20席もない幅の狭い長めな奥行きの喫茶店で、いつもコーヒー一杯で1時間か2時間を過ごした思い出の場所でした。
でもその喫茶店はもうありませんでした。

無理もありません。今や新宿の土地は土一升金一升を超えるほどの高価な不動産ですから、コーヒー一杯で1時間も2時間も居座る客を迎える仕事はできないのでしょう。

その後ぼくが行って見た場所は新宿5丁目の靖国通りに面したあるビルでした。

            2016_11 15_椿近代画廊・1
あれから40数年が経過しているので、もうあのビルは無いだろうなあと思いながら行って見ると、なんと建物は昔のままそこに建っていました!

上の写真の真ん中に写っているシワ枯れ色のそのビルがぼくには懐かしい建物です。
19歳前後のたった1年数カ月間、ぼくはこのビルの3階、4階、5階にあった『東京美術学園』というデッサンと油絵を教える専門学校(実態はほぼ予備校化した洋画研究所だった)に通いました。
ぼくはそこで当時、東京芸大や武蔵野美大の洋画科の助手(ポスドク)だった3人の講師に習ってクロッキーとデッサンと油絵の描法を覚えたのでした。

このビルは1階正面から入ってフロア前半部分の階段を上がった中二階付きの、ある程度広いスペースが『椿近代画廊』という洋画のギャラリーで、1階のフロント部分は上階の美術学校学生用、あるいはギャラリーで個展をやったりする画家たちのための画材売り場になっていました。
        2016_11 15_椿近代画廊・2
今では正面にあったギャラリーの看板もなく、入口の擦りガラスの向こう(内部)がどうなっているのか分かりませんでした。(もちろん東京美術学園の看板も見えなかった)
どう見てもギャラリーは営業していないようですが5階の部屋には電気が灯っているようで、更に眼を上げるとビルの屋上の看板だけはまだそのままあってちゃんと椿近代画廊と読み取ることができました。

このギャラリーと美術学校のことについては来年、ぼくが村の家で始める自費出版のマンガ本の中で何度か記述をすることになると思います。

そうこうしてブラついている内に、この日の上京のメイン目的だった(これまた50年近い付き合いになる)親しい知人の新しい本の出版祝賀パーティーの会場へ行く時間が近付いてきました。(次回へ続く)

 ( 2016・11/23,up )
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2016
11.21

東京往復〔2〕 (blog,439p)

11月15日の朝からお昼まで東京上野の国立科学博物館で『ラスコーの壁画展』を見物して、その後で軽い食事を摂り、それから電車を乗り換えて親しい詩人の鈴木志郎康氏(ご夫妻)をたいへんお久し振りでお訪ねしました。

鈴木氏(写真手前・左)は数年以前から何度も異なる病を経験されながら、その都度、手術とリハビリ療養で対処しつつ全てをご自分の日常生活として受け入れ、その日常を独特の創造的文言で『極私的な詩』に書き表す作業を続けておられる方です。
そうした独特の文体を持つ詩は彼が青年時代から撮り続けてきた映像作品と対をなしているように思われます。(そういえばぼくも20歳頃に彼の映写機を借りてちょっとだけ何かを撮影したことがあった。でもあとで現像してみたらPANが速過ぎて使いものにならなかったよと氏から聞かされたんだったなあ)
            2016_11 15_鈴木さん戸田さん
この日、ご一緒に鈴木氏をお訪ねすることになったのが先日ぼくのブログで著作本『東京モノクローム』について、感想とも言えない感想を載せさせていただいた東京在住のもう一組のたいへん親しい知人で、鈴木氏とは(ぼくなんかよりずっとお付き合いも長く)互いに親友である戸田桂太氏(写真手前・右)ご夫妻でした。

鈴木志郎康氏も戸田桂太氏も、テレビカメラマンから大学の教授を経て現在の物書き生活までそれぞれに勤務年数は違いますがよく似た経歴を重ねてこられました。(お二人は出身大学も同じ)

療養中の鈴木氏の体調に無理がゆかないようにぼくは1時間ほどで失礼するお約束でしたが、本当に久しぶりの歓談が楽しくて2時間も過ごしてしまいました。
そして失礼する際に今年の夏に出版されたばかりの新著詩集『化石詩人は御免だぜ、でも言葉だけは。』(生きるから詩を書く。「極私詩」27編。ホイチャッポ、チャッポリ。)をいただきました。
            2016_11 20_鈴木さん・2
                 ↑       ↑
(鈴木志郎康・最新詩集『化石詩人は御免だぜ、でも言葉だけは。』2016・8・28初版、書肆山田・発行)

鈴木さん(ここからは鈴木さんと書かせていただく)と初めてお会いした時はまだぼくが10代のある日でした。
ぼくは田舎の高校生の頃に『現代詩手帖』という雑誌で無茶苦茶な意味不明の言葉が暴れ回る詩を読んでブッ飛んだのが鈴木さんの詩との出会いでしたが、まさかその2,3年後にあの詩人に直接お会いできるなどとは想像もしていませんでした。

でもじつは高校生の時に生れて初めての薄い詩集(ぼくの詩は鈴木さんの詩よりもずっと古風だった)を自費出版していたぼくは、本物の詩人に会えてなんだか自分自身が新しい世界にまたちょっと近付いたような興奮というか緊張というかそんな感覚を抱いたのでした。

        2016_11 20_鈴木さん・3
                ↑        ↑
        (ホイチャッポ、チャッポリのフレーズが出てくるページ)

この度の鈴木さんの新作は去年の春から一年少々、今年2016年4月までの詩作品が集められているのですが、いただいたその日の内に数十ページを読みました。(かなりハードな時間割の一日だったけれど、電車移動や小休止の時間で読む本も楽しい)

その表現はやっぱり鈴木さんらしく、個性的で赤裸々で、半世紀前の【プアプア時代】ほど文言が飛び跳ねてはいないけれど、でもやはりそこ此処に私事を客観化して言語を用いた絵画やオブジェを作るような作業の成果が溢れています。

もう20数年前になりますが、ぼくは鈴木さんの詩『口内出火』という作品を(もちろん鈴木さんの了承を得て)漫画化した短い作品を描いて、これまた親しい東京の知人が出版していたマンガ誌『夜行』(19号)に掲載してもらったことがあります。
この日、鈴木さんの詩を読みながら「またどれか漫画化できたらいいなあ」と思いながら、次の目的場所へ足を運びました。(次回へ続く)

 ( 2016・11/21 )
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2016
11.19

東京往復〔1〕 (blog,438p)

11月15日の夜に知人の新しい本の出版を祝して友人たちが世話人になって催されたパーティーに出席するために、とんぼ返りで東京を往復してきました。(片道約500km余り)

普段は夜型のライフサイクルで暮らしているぼくにしては珍しく、朝から東京の街にいることになったので、数時間の余裕を有効に楽しみたくて、先ず『東京国立科学博物館』へ行きました。
        2016_11 15_東京国立科学博物館・1
上野の森、不忍池界隈を訪れたのは40年振り以上になるだろうと思います。
6歳年上の兄と二人でぼくが初めて東京見物に行ったのは今から50数年前の小学生時代の正月でした。
当時結婚したばかりの長姉と義兄夫婦に数日間お世話になったのですがその時、上野の食堂『聚楽』で食事をご馳走になったことを今この記事を書きながら思い出しました。

        2016_11 15_東京国立科学博物館・2
                ↑        ↑
      今回の上野訪問の目的はこれ! 特別展『ラスコーの壁画展』でした。
                ↓        ↓
         2016_11 15_東京国立科学博物館・3
展覧会やコンサートは日本では多くが【写真撮影禁止!】というイケズな運営方針で不自由な思いをさせられることが殆どですが、今回は特別に規制している展示物以外の会場内及び展示品目については「フラッシュ撮影をしないこと」が条件でしたが割合広い範囲で撮影が自由でした。(その方針は大事だと思う)

        2016_11 15_東京国立科学博物館・4
                ↑        ↑
この石膏細工のオブジェか彫刻のような物体は、1940年に地元の少年たちによって偶然発見されたフランス・ラスコーの洞窟全体の内部形状を表わしているミニチュアー・モデルです。

        2016_11 15_東京国立科学博物館・5
メインの展示会場はコンピュータースキャニングによる複写データ精密度(誤差1ミリ以下)で復元されたレプリカが壁画が描かれているパーツごとに設置されていて、本当のラスコー洞窟を知らないぼくにとっては「あー、こうなっているのか」と想像したり納得したりできるような構成がされています。

        2016_11 15_東京国立科学博物館・6
それにしても今からおよそ2万年の昔に、現在のヨーロッパ地域に現われた『新人類』クロマニヨン人(ホモサピエンス)が、前後左右に150メートルから2百メートルも続く錯綜した真っ暗な洞窟内で、現在のろうそく程度の明かり(獣脂ランプ)しか灯せなかった中でこれほど生命力溢れた動物や記号のような大量の絵画などを描きだし続けていたというのは驚嘆しますね。

        2016_11 15_東京国立科学博物館・7
この人々が何のために、あるいは何故にこうした絵画を描きだしたのか?画き遺したのか?という謎は、発見から76年を経た今も完璧で決定的な結論を得てはいないようです。

それについて、今回の展覧会を観てのぼくの感想ですが、今までにも読んだり聞いたりしたことがある確定度の高い理由付け【描くために描いた】つまり、現代の共通概念でいえばまさにそれは【芸術創作活動】だった。という見解には説得力があるとぼくも思います。

なんでこの真っ暗な洞窟の中の壁面に彼らが絵を描いたのか? といえば、それは極めて具体的、物理的な理由で、ぼくはそこが彼らにとって絵を画くために最も適した【キャンバス】だったから! としか思えないのです。

        2016_11 15_東京国立科学博物館・8
なんだかぼくたち人間の生きていることの本質的な部分には2万年の昔だろうが文明叙述史上の21世紀の今、現在だろうがちっとも変りないのだろうなあ、と思いながら博物館を出て、不忍池を半周し、上野駅へ戻って電車に乗りました。
そして昼からお訪ねしたのは最初にお会いしてからもう40数年来のお付き合いになる親しい詩人の方の家でした。(次回へ続く)

 ( 2016・11/19 )
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2016
11.17

松茸ご飯 (blog,437p)

Category: 町の家にて
もう二週間前の夕食ですが、今年初めての松茸ご飯を食べました。
今ではもう地物の有名なマツタケはとても手が出ないほど高価になってしまってぼくたちの家族が食べる機会は全くありません。
     2016_11 05_松茸・1
これはカナダ産のマツタケがスーパーで安く出ていたからと家人が買ってきて土瓶蒸しと一緒に調理してくれた我家の『松茸コース』でした。

ぼくが国産マツタケを食べたのはもう17,18年昔に、信州で(当時ぼくは年間3ヶ月前後、信州で暮らしていた)知人の写真家の山の家へ遊びに行って、その写真家と彼の写真集を出した出版社の編集担当者たちが八ヶ岳のアカマツ林で採集してきたばかりの小振りな松茸を数本、囲炉裏で焼いて食べさせてもらったのが一番最近の記憶ですからもう味も覚えていません。
     2016_11 05_松茸・2
でも『国産マツタケ』とか『どこそこブランドマツタケ』といわれて晩餐一回分の松茸を買うのに我家の3日分も4日分もの食費総経費に相当する予算を費やす位なら、多少風味や口当たりが違っても外国産のマツタケでも十分なので安くて楽しい食事ができる方が嬉しいです。
(たとえばマグロの寿司なんて、日本料理の代表の一つみたいに思われていても、8割方の鮪が外国の海域で漁獲されていることを考えれば、もはや「日本!日本!」と言い張ること自体が無意味な主張でしかないだろう)

今年はこの晩秋になって白菜やいろいろの野菜が高騰していて大変です。
ぼくは本当に残念なのですが、今年は春からせっかく畑に(近所の牧場の牛舎から)乾燥牛糞を2トンダンプカー一杯運んでもらって土に鋤き込んで準備しただけで、夏蒔き野菜も秋収穫や冬収穫野菜の苗植えも出来ませんでした。
それで白菜も大根もキャベツもニンジンも全く自分で育てたものが食べられません。

この次に村の家へ行ったらサツマイモと里芋を全部収穫した後で、何かこれからでも種や苗で正月明けから早春収穫が間に合う野菜を考えて、ぜひ土起しから始めて作付け準備が出来るといいなあと思っています。

 ( 2016・11/17 )
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2016
11.14

知人の本〔3〕 (blog,436p)

Category: 町の家にて
ぼくが最近読んだ3冊の知人の本について書いてきましたが、今日はその第3冊目(最終回)の『野辺は無く』(三橋乙揶・著)です。

     2016_11 04_知人の本
             (3冊を並べるとこういう感じ)
写真左=『野辺は無く』 中=『東京モノクローム』 右=『レフトオーバー・スクラップ』

えーと、この本は前回、前々回の本と違って文章本ではありません。じつはマンガ本です。
前の2冊の表紙カバー構成と偶然ですがよく似たトーンのカバーなので、一見しただけでこの本がマンガ本だと分かる人は少ないだろうと思います。

           2016_11 05_知人の本・3
ですが下の写真をご覧になれば分かる通り、中身はびっしりマンガ作品が詰まっています。

ぼくはかつてこのマンガ家、三橋乙揶さんのある時期のマンガがかなり好きでその時期の作品が載っていた厚い本を大事に持っていました。
ところが10余年前に今住んでいる町の家を改築した際、タチの良くない工事関係者(複数?)に相当数、分量の本、各種の道具類、趣味の収集物、写真とネガ、などを持ち去られてしまってかなりショックだった(工事が完了して1年後位になるまで被害に気付かず泣き寝入りになった)ことがあって、その盗まれたものの一つに三橋作品のマンガ本も含まれていたらしく、今では家中捜しても見当たりません。

      2016_11 06_知人の本・3の1
今回読んだこの本『野辺は無く』(1985年1月初版本)は、最近あるお寺の境内で開催された古書展で購入したものです。

文章作家の作品でも年代や個々の作品によって、その作家が他の作家や作品から受けた影響が濃厚に作風の変化に現われることがあるようですが、マンガではそうした影響は非常に大きく表れることが多いと思います。
この本に載せられた数々の三橋作品にも(ぼくが観るところ)ぼくも大好きな何人かのマンガ作家たちの影響がたいへん強く感じられました。
      2016_11 06_知人の本・3の2
その作家たちとは「つげ義春」「つげ忠男」「鈴木翁二」「林静一」というマンガ家たちです。
その影響は絵柄にも、科白回しにも、コマ割りにも、構成にも本当に大きく被さって匂い立つ感じを受けます。
しかし全体としてはやはり紛れもなく三橋乙揶という異能のマンガ家の才能あふれたオリジナル・マンガ作品であることは言うまでもありません。

このマンガ作家が高い創作能力、マンガ表現力を有していることは下の写真に揚げた雑誌投稿作品(デビュー作)を見れば誰でも分かると思います。
   2016_11 06_知人の本・3の3   2016_11 06_知人の本・3の4
それは彼(三橋さん)がまだ高校一年生だった1965年夏に画かれた『ある日若者は旅だった。』(本名のみつはしまこと名義で発表)という30ページのマンガでした。
ぼくは田舎の高校生で、このマンガ雑誌『ガロ』に載った彼の作品をまさか自分と同じ歳の高校生が描いたとは知らず「ああ、ぼくもいつかこうして雑誌に投稿して作品を発表できるようになれたらなあ、、」とリアルタイムに憧れて読んでいたのでした。

この時期の彼はマンガ家・永島慎二の影響を強く受けていたように思われる絵柄でした。(その数年後、三橋さんは実際に永島慎二のアシスタントとして働くことになった)
ぼくも丁度その頃に永島氏の仕事場へ原稿取りとして出入りしていたけれど、そこでは三橋さんと直接知り合うことはなかったと、ずっと後の1980年代になって彼と言葉を交わすようになってから知ったのでした。
       2016_11 06_知人の本・3の5
たまたまですが先日、街中のライブハウスへ東京から歌いに来たシンガーソングライター「シバ」という人の演奏を聴くために観に行ったことをぼくは自分のフェイスブックの方に書きました。(その時、数年振りに会ったシバさんにぼくは顔を忘れられてしまっていたのだった)

そのフォークブルース・シンガー「シバさん」がじつはこの本の著作者、マンガ家・三橋乙揶さんなのです。(彼は現在は陶芸作家でもある。羨ましいほどの多才!)

さらにたまたまが続きます。
来週、東京で(旧知の親しい先輩がマンガ関連の著作本を出版したので)友人たちがその祝賀会をするという知らせをもらいました。
ぼくもトンボ返りですが出席する予定です。
そこできっとまた三橋さんとお会いすることになるだろうと思います。

  ( 2016・11/14,up )
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2016
11.11

知人の本〔2〕 (blog,435p)

Category: 町の家にて
きょうは〔知人の出した本シリーズ、その2〕を書きます。

本のタイトルは『レフトオーバー・スクラップ』(ぼくはこの意味を知らないので Leftover scraps で検索してみたところ「残り物、ゴミ」布などならば「端切れ、ボロ屑」食べ物ならば「ジャンクフード、残飯」というような感じだろうかな、と勝手に解釈した)
多分近い内にきっとどこかで会うだろうと思うので次に著者に会ったらお訊ねしてみようと思います。
           2016_11 05_知人の本・2
作家の名は東賢次郎(ひがしけんじろう)氏、1966年生れで、何とおそろしい東京大学法学部卒業のエリート(だったはずの)レールを意識的にか無意識でか “どこかで踏み外して” ぼくたち庶民の世界へ落ちこぼれてきて、現在は京都市郊外の途在るしもた屋で半分隠遁者のように暮らしている変わった人であります。

先ずこの本の印象ですが「小説?」ではない(とぼくは思う)、、、「ショートショート?」でもない(とぼくは思う)、、、「詩文?」ではない(とぼくは思う)、、、「覚え書き?」でもない(とぼくは思う)
う、、、ん、ジャンル分けが必要な著作ではない、というか敢えて言えば【夢日記】かなあ、と思う。
        2016_11 06_知人の本・2の1
                (同書の目次ページ)

先日、彼のブログのコメント欄で(彼は以前時々、ご自身のブログに彼が直近に見た夢を記載していて、ぼくはそれらの記事が好きだったので「この頃夢の記事が無いですね」と書き込んだところ)「今もよく夢は観ていて、自分ではメモもしている。以前書いた本もそういうものが素材にしてあった」という返事があったので、それじゃその本を読んでみようとネットで例の悪名高き A書店 に注文して購入して読んだというわけです。
(じつは注文後にたまたま彼と別の要件で会った時、彼は自著をぼくに贈呈してくれようとしたのだったが、それは他日どこかで誰かに売ることができたらぼくの他にも読者と売上が増えることになるからと持ち帰ってもらった)

それからすぐにぼくはまた村の家へ行って一週間、かぶれの木を焼却処分するための作業に従事して帰ってくると、本が手元に届いていました。

本書はスタイルとしてはショートショートよりは少し文章の多い、ほとんど散文詩のようだけれど詩よりは饒舌でない、短編小説ほど物語ではない、やはり【夢日記】(創作)というのがいいかなあと思われる内容でした。
あたかも一編の話の中のたくさんのセンテンス(文節)のような感じで並ぶ多くのタイトルごとの作品をスッスッと読んで行きながら、ぼくがもしも魚だとしたらこの針餌を引いてみるかな、と思ったのが「ことのはじまり」「占領軍の夜」「刑務所」「アレの話」などでした。(じつはぼく自身も「刑務所」の話に通じる、も少し政治的な内容の妄想短編マンガを1985年に描いて1986年に漫画雑誌『ガロ』に発表したことがある)

さて、読了してみて、この度の東作品の数々はどうも具体的に文言を採り上げて転載するような作品とは違うし(下手に書き写すとネタバレになる恐れもあるし)もとよりぼくは人様の書いた作品を論評するような本読みではないし文筆の才もないので「うまく感想を書く」ことも出来そうにありません。
それでいささかこじつけっぽいのですが、この本を読んで関連して頭に浮かべた手持ちの2冊の本を以下に載せておきたいと思います。(どちらも文庫本。初期の上製本は入手困難だし、見つかってもかなり高い)

先ず一冊は写真・左側に見える『えろす福音書』(高橋 鐵・著)で、文字通り「性」をめぐる様々な知見(著者の主観)が記述集積された雑記雑念の奇観の書です。(決していい加減でふまじめな書物ではない。しかしぼくは若い頃にはこうした本はとても書店で手に採れなかったし読まなかった)
        2016_11 06_知人の本・2の2
そして写真・右側の本は、これまでにも何冊か読んできた澁澤龍彦の著作『ドラコニア綺譚集』です。(軽いエッセー集だが後半に東作品から連想した記述が幾つか載っている)
澁澤龍彦や寺山修司のような人たちは、自分のすぐ近くに居て、自分とはまるでかけ離れたものを観たり考えたりして生きていて、いつの間にか自分たちとは別の世界へ抜け出して行ってしまう(ぼくにとっての非日常を日常にして生きる)マロウド(マレビト)のような人間だったなぁ、と読むたびに思います。

おそらく東氏は澁澤龍彦や寺山修司ほど近くて遠い人ではないと思うし、ぼくは庶民なので身近な日常生活者でいて非日常を紡ぎ出す創作、表現の中に面白さと哲学がある方がいいような気がします。(まあ時々ちょっと飛んでみるのもいいかもしれないが、と言っても澁澤の場合は数少ない小説においてしか寺山風異形譚は全面展開しないが、)

今回、東氏の本『レフトオーバー・スクラップ』(2009年12月初版本)を読んで感じたのは【人間の誰もが日常の中に内包している非日常性】を糸としてズルズルと引き出しながら紡ぐ作者の試行というか、営為というような世界でした。
内容が濃厚に彼の個人的体験である【夢】に関わりがあるものだったことから、読みながら当然のように連想がユング派とフロイト派の精神分析的【夢のことあれこれ】に思い及びましたが、創作作品を精神分析の対象にする読み方は読書の邪道(無益無用)だと考えて上記2冊(写真)の本についてだけメモって今日の書き込みを了えることにしましょう。

あ、最後に、もしかしたらこの素材をそっくりつぎ込んで散文詩に近いもう一つ別の表現、たとえば自由律の詩(集)にしてみたらどうだろうかと思ったことも追記しておきます。

東さん、新作!頑張って出版して下さい!

  ( 2016・11/11,up )
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2016
11.08

知人の本〔1〕 (blog,434p)

Category: 町の家にて
最近、続けざまに新旧3冊の、知人が出した本を読みました。それぞれに中身の違う本で、それぞれに興味深い本でした。
今日と次回のブログでは、その3冊の本について書いてみたいと思います。

   先ず最初の本は『東京モノクローム』(2016年5月初版、文生書院・発行)です。
                  ↓    ↓
           2016_11 05_知人の本・1
著者は戸田桂太氏、元NHKのテレビカメラマンで国内外で多くの記録映像を撮影し続け、退職後に数年間大学で教え、今度「ご自分の父親が大正末年から昭和初期に、青春時代を美術界のムーブメントの中で過ごした記録とその界隈(環境)における社会と人間のかかわり」について書かれた本です。
内容は父親を敬愛しながらも務めて客観的に(資料を駆使して)生き生きとした人間群像を浮き彫りにしたレリーフのような記述のセミドキュメンタリーになっています。

さすが戸田氏はカメラマンです。
この本は彼がカメラをペンに持ち替えて写し出した時代の光景と人間たちの生きざまの映像描写なのだと思いました。
とてもこれが戸田氏の初めての公式な著作本(デビュー作!)とは思えません。
ドキュメンタリー風な人物評伝であって小説ではありませんが完成度の高い物語、読み物にもなっていると思います。
とくに最初の章『関東大震災』に遭遇した著者の父親・タツオの「経験」を、当時の記録やタツオ自身の書き遺した文面と著者の想像を交えて再現して行くところはまるで推理小説の導入部のような感じで引き込まれ、読み進んで行きました。

所々のページにかつて児童書や図鑑など出版世界で画家、イラストレーター、絵本作家として活動したタツオの絵本の一部やイラスト、また現在でいうグラフィックデザイナーの走りだった(当時1920~30年代では広告宣伝美術の図案家)タツオが身をおいた美術、表現グループ『マヴォ』時代に発表した版画作品などが掲載されています。

 2016_11 06_知人の本・1の1  2016_11 06_知人の本・1の2
   (大正13年=1924年、タツオが参加した『マヴォ』創刊号からの作品の一部)

そして仕事場の先輩だったという大手拓次や河目悌二、マヴォの活動を通じて知己を得た村山知義、柳瀬正夢、尾形亀之助らとの親交の模様などが、タツオの息子である戸田桂太氏によって温かく(しかし決して肉親の情過多に流れることなく)抑制の利いた筆致で見事に記述、論評されています。(竹久夢二と出会う夜店のエピソードも面白い)

          2016_11 06_知人の本・1の3
  (同じ年1924年、一方でタツオは児童雑誌『子供之友』に童画作品を発表している)

普段は一冊の本を何日もかかって読む遅読なぼくですが、この本は楽しく一晩中読み続け、朝までかかって一気に読了しました。
この著作は現在売り切れ中のようですが、次にはこの本が書かれる基になったタツオ(戸田達雄氏)の自伝『私の過去帳』が新編集(復刻)刊行されるそうで、戸田桂太氏は目下そのための作業中だと、先日お会いした折にお聞きしました。

じつは戸田桂太氏ご夫妻はぼくたちにとっては青春時代からの大恩人で、いつでも年長の兄や姉のように優しく親切に応対していただいてもう最初の出会いから45年以上になりますが、いまだに昔と同じように気さくに優しく交際して下さる感謝に堪えない方々です。
もうじき村の家の改修工事が完成して引っ越して暮らすようになったらぜひおいでいただきたいと思っています。

  ( 2016・11/08 )
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        ↑        ↑
【上記本文中の記述の一部を以下の通り訂正、追記します】
        ↓        ↓
上記原稿の記述中に『この著作は現在売り切れ中のようですが、』と書きましたが、ぼくが村の家へ行っている間に著者からご指摘がありました。
そこには「売り切れ中ではありませんよ、アマゾンで検索してみて下さい」と書かれてあったので先程ネットで検索したところ、確かに現在市販中でした。
(そして驚きの発見をした。何とこの本、新本は定価で売られているのだが、中古本価格は軒並み2倍以上、高いのは4倍近い値がつけられているのだった。すごいプレミアム!)

というわけで、指摘を受けて記述を書き直すのがいいか、それとも訂正文を追記する方がいいか思案したのですが(既に本文をブログにUPしてから6日間も経過してしまっているので)こちらに訂正文を書き込むことにしました。以上です。
( 2016・11/14 )
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2016
11.05

カブレの木の林 (blog,433p)

Category: 村の家にて
これまでのブログで時々書きこんできた通り、村の家では今『かぶれの木騒動』(主役はかぶれの木、脇役はぼく自身)が続いています。

去年も数本だけ「これはたぶんカブレの木ではないか?」と思って処分した小株が有るにはあったのですが、今年は去年までとは比べ物にならないもの凄い本数のカブレの木の増殖成育にただただ驚き、恐れを抱いて過ごしています。
      2016_10 18_『かぶれの木』対処・1
(上の写真で手前に見える根を起こした株のように、画面いたるところに数本の幹が束になった『かぶれの木』が生えている。サツキの園は今年、カブレの林に変わってしまった。)

去年までは元の地主さんたちが育てたサツキの庭だった築山の、あっちにもこっちにも気がつかない内に大量のカブレの木が育ってきていたことに、この夏以降気がついて8月から少しづつ根起こしをして焼却処分するために一ケ所にまとめて乾燥させていました。
2016_10 18_『かぶれの木』対処・2 2016_10 18_『かぶれの木』対処・3
ところが先月になって建築廃材の整理片付けをする作業員さんが来るようになって、その人が勝手に庭の栗や夏ミカンやハッサクミカンなどの樹木の枝をどんどん切ってしまって、気がついたらカブレの木をまとめておいた焼却場がたくさんの切断された果樹の枝ですっかり満杯にされてしまっていました。
その結果、もはや焼却場へ新たにカブレの木を積み上げるのが難しい状況になってしまったので、それ以後に根起こしした分は已む無く焼却場から離れた畑の端っこに積み上げて乾燥させることにしました。
          2016_10 18_『かぶれの木』対処・4
カブレの木の根は大体必ず一本の木の根に1,2本、非常に長い主根?が延びていて、たとえばこの上の写真の右下の根から左上の空間へ伸びている主根は幹の長さ凡そ2メートル位に対して1メートル位伸びていました。(ツルハシで掘りながら引っ張って末端の部分を土中に残して切れてしまったが、全部掘り上げていたならばきっと1,3メートルから1,5メートル位の長さがあっただろうと思う)
       2016_10 29_『かぶれの木』対処・5
とにかくそんな幹と根っこが掘り起こしても掘り起こしても次から次へと見つかって、前回の滞在中と今回の滞在中で根起こしができた分を積み重ねてひとまとめにした分がこの上下2枚の写真です。
       2016_10 29_『かぶれの木』対処・6
(写真に見えるカブレの木の塊の下側半分、葉っぱが茶色く乾燥しているのが前回滞在中に根を起こした分。そして上側に見えるまだ緑色の葉っぱのついたほぼ半分が今回滞在中に根起こしした分)
正確ではありませんが太い幹の木も細い幹の木もみんな一本づつとして数えた感じでは、約150本を下らない数量でした。(200本近い?)
先に掘り起こして焼却場に置いた分が40,50本あって、その他にまだ庭と畑の周りに残っている分も40,50本はあるだろうと思いますので、最終的に少なくとも合計2百数十本は生えていたことになります。
次回、村の家へ行ったら必ずこの『かぶれの木騒動』に一区切りつけたいと思っています。

  ( 2016・11/05 )
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2016
11.02

四日市断想 (blog,432p)

3年ほど前から年に一回、小学校時代の先生を囲んで懐かしい幼馴染のクラスメートと夕餉のひと時を過ごす『同窓会』に参加するようになりました。

先週、村の家へ行く前に今年の同窓会に行って、郷里の駅前のビジネスホテルに泊まり、翌朝、両親や長兄が眠る実家の墓参をしてそこから村の家へ向かいました。
       2014_11 02_四日市・1
途中に日本有数の臨海工業地帯、四日市コンビナートがあります。
そこはぼくたちの小学生時代(昭和30年代)から【四日市ぜんそく】と呼ばれる深刻な【公害病】が表面化して社会問題となった環境汚染の元凶工場群密集地でした。
       2014_11 02_四日市・2
今現在も四日市地域では公害も環境汚染も完全に解消されてはいません。そればかりか最近では更に新しい悪質な環境汚染問題『フェロシルト事件』(石原産業の産業廃棄物不法投棄犯罪)なども起きているし、表面化しないまま続いていたり進行している危険な現象がきっとほかにもあるに違いありません。
       2014_11 02_四日市・3
ぼくが小学校5年生の時、その四日市市からY・Mさんという一人の女子転校生がやってきました。その人は学校の勉強が良くできる人でした。(ぼくは勉強ができないのでよくできる人に憧れるところがある)
彼女は気さくな人柄で朗らかな人だったしぼくは元々いつも転校生と仲良くなる性格で、その転校生Y・Mさんともすぐに親しくいろいろな話ができる友達になりました。
       2014_11 02_四日市・4
ちょうどその頃学校の社会科の授業で『日本の四大工業地帯』(京浜、中京、阪神、北九州)を勉強して、海に面した先進的な大工場密集地から膨大な工業製品や化学製品が生み出されて世界中へ輸出されて日本の経済が日々に発展を遂げつつあるのだと聞かされていました。

でも自分が生まれ育ったのは古い宿場町で、郊外には当時まだのどかな田園風景が広がり、毎日漫画雑誌を読み耽ったり魚釣りや虫採りに明け暮れる無知な少年だったぼくには臨海工業地帯も化学産業も具体的には何も実感できず、イメージも貧弱なものでした。
       2014_11 02_四日市・5
けれども転校生Y・Mさんが現れたことによってぼくの知識に四日市コンビナートのイメージが形成され、同時に彼女がその地域を覆う深刻な環境汚染から逃れて空気のいいぼくたちの田舎町へ移り住んできたようなドラマを想像したことを覚えています。(実際にはただの親の転勤とかだったのかもしれない)
       2016_10 26_四日市・6
小学校を卒業すると、その人とは通学区域の違いから別々の中学校へ通うことになってもう会うことが無くなりました。

その後偶然再会したのは3年後、高校へ入学してすぐの頃のことでした。
ぼくたちの町には中学の成績が良い生徒たちだけが行く県立の進学高校がありましたが、ぼくは成績も悪く、家の経済状態も厳しかったので同じ県立でもBクラスの高校へ入学しました。卒業したらすぐに就職するコースです。
       2016_10 26_四日市・7
中学時代に親しかった友人たち、女子のI・Yさんと男子のS・A君を訪ねてぼくは時々勝手にその進学校の教室へ押しかけて遊びに行っていましたが、ある日そこで「あ、I君(ぼくのこと)久し振り!元気だった?」と声をかけてくれたのが小学校時代と変わらない明るい笑顔のY・Mさんでした。
それが一度きりの再開で、彼女とはそれきり遭遇することはありませんでした。

あれから半世紀、、、時々四日市を通過するのですが、いつもあの気さくなY・Mさんの笑顔を思い出しながら走り抜けています。

  ( 2016・11/02 )
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