2017
08.30

森の古本市 (blog,532p)

Category: 町の家にて
最近では町の家へ帰ってきて過ごす日程と村の家へ行って過ごす日程が半々か、もしかすると村の家で過ごす日々の方が少し多いかもしれない状態になってきましたが、今のところぼくはやはり町の家で暮らして馴染んできた様々な催しや商店や場所をめぐる楽しみ(それは大げさにいうとぼくの大事な生き方)を簡単には捨てられません。

       糺の森の古本市・1
毎年、夏になると長年暮らしてきた町の家の近くの神社の森で大規模な古本市が始まります。
今年も8月11日から16日まで『森の古本市』は開催され、それに間に合うように村の家から帰ってきて後半の2日間リュックを背負って数時間づつ会場になっている神社の森を歩き回り自分の興味ある本を探しました。

       糺の森の古本市・2
広い会場いっぱいに複数の府県から約40店舗の古本屋さんが出店して展示される本の総数がおよそ88万冊と聞いていますが、2日間ではもちろんそのすべてどころか三分の一も五分の一も見て回ることはできません。
それでも家から歩いて4,5分の距離にある会場で、ほぼ毎年団扇を片手にパタパタ扇ぎながら気に入った古本を探し、思わぬ著作に巡り合う楽しみは新刊書店を見て歩くのとは違う心情と熱情を味わうことができる体験、期間になってきました。

      糺の森の古本市・3
ぼくより10倍ぐらい読書が好きで読む本が多くて読む速度が速い家人ももちろん何度も会場に足を運びます。
そして別々に歩き別々に購入してきたそれらの本を、一緒に並べて「お、これはぼくも観た」とか「あ、これは私もどうしようかなと迷ったんだ」とか話し合いながら成果を喜び合うのが毎年の恒例になってきました。
そのようにして探し出した本が、今年はぼくが34冊、家人が32冊の合計66冊ありました。

      糺の森の古本市・4
この町は昔から学生が大変多く暮らしていて(つまり大学が非常に多い)伝統的に新刊の本屋さんも古本屋さんもたくさんあり、図書館も相当充実していていわゆる【本好き】には恵まれた環境なのですが、最近ではこの町でもすっかり新本屋さんの数が減り、古本屋さんの数も減少一途の様相です。

だから今ではこうした古本市はぼくらにとってさらに有意義な催しになっています。
しかも嬉しいことに同じ古本業者さんたちが主催する大規模な古本市がじつは春、夏、秋と三回、市内のあちこちに場所を移しながらもう何十年間も開催され続けているのです。

ぼくはもう少ししたら村の家へ引っ越しますが、きっとこの古本市には家人と二人で自分たちが元気に行き来することができる限り通い続けるだろうと思います。

( 2017・8/30 )
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2017
08.26

先生たち来訪 (blog,531p)

Category: 村の家にて
台風5号の影響を受けた村の家へ行ったのが今月8月の11日でした。
そして翌日の8月12日、予定通りぼくの郷里から小学校時代の担任だった先生とクラスメートの中の3人の合計4名がその中の一人が運転するワゴン車に同乗して我が『マンガのある農園』(準備中)の村の家に来訪してくれました。

       先生一行来訪・1
これがぼくがこの施設を造る計画を発表して以来初めての遠来のお客人方々ということになりました。

ぼくとしては本当に【ようこそ!大歓迎!】という気持だったのですが、実態は前日に台風の被害を受けていた大きいステンレスの食器棚を少しだけ動かして、ほんのちょっとだけ空けたギャラリーの庇屋根の下のスペースに古い机を出して、その周囲に簡易の折り畳み椅子を置いただけというなんとも情けない素朴過ぎる歓迎テーブルになってしまいました。

       先生一行来訪・2
しかも現在まだまともに冷蔵庫も利用できない状態で、遠路長時間自動車の旅をされてきた方々に冷たいお茶も果物も何にもお出しできない本当に失礼な応対しかできず申し訳ない思いでした。
ただそんな状態ではありましたが、先生にも級友たちにもぼくの計画がもうじき実現できそうな姿は感じ取っていただけたようで、建物の内外ご覧になれるところは隈なく見て回ってもらって一定の理解と安心はしてもらえたようでぼくも嬉しく思いました。

       先生一行来訪・3
級友の中のNくんの「ここまで来たのだからみんなでI神宮へ参詣しよう」という提案で、ぼくも一緒に車に乗せてもらってここからほんの十数キロ先にある有名な神社へ行くことになりました。(上の写真。右端がNくん、その左隣の女性がぼくたちが小学校3,4年生の時の担任のN先生、その左隣が級友のOさんでその左少し後ろでこちらの3人を見ている腰に手を当てて帽子をかぶっている男性がご自分のワゴン車で長旅の運転を引き受けてくれた級友のOくん)

        先生一行来訪・4
                 ↑     ↑
神社を後にして今度はOくんが「この地方の名物は『Iうどん』なんだからぜひ食べて行こう!」というのでみんなでうどん屋さんへ入ってぼくが注文したのがこの『冷やしIうどん』です。

夕方になってぼくの村の家まで戻ってきてぼく独りを降ろしてくれた後、みんなは休む間もなく帰路に着くために出発して行きました。
ぼくは秋になったらまた郷里の町で同窓会で再開することを約してみんなとお別れしました。
                 ↓     ↓
       先生一行来訪・5
車の運転をしてくれた級友のOくんは、郷里の町でずっと定年まで市役所に努めて最近は自分の家の畑でいろいろ野菜を育てているという話でした。(元々彼の実家は農家だったと思うけれど、今回聞いたところでは現在水田は作っていないということだった)
それにしても彼がごく当たり前のように庭木の名前や雑草の種類や畑の作物の特徴や気象や土地柄についての博識を生活知識として口にするのでぼくは感心しました。
彼のような人たちがきっと今でも日本列島津々浦々にたくさん暮らしているに違いないと思うと、何とかそういう日常の中で知識した博物的世界がもっと広がってぼくたちの暮らしを本当の意味で豊かにする基礎になってくれないものだろうかと考えてしまいました。

ところでそのOくんが訪問に際してぼくに自分で育てたスイカを一つお土産に持ってきてくれました。
むろんその大きいスイカを村の家でぼく独りで食べることなど無理なことです。

             お土産スイカ・2
                 ↑     ↑
そこで翌日の13日に彼らが無事に郷里の家まで帰り着いたかどうか、電話をかけて確認したついでに改めてスイカのお礼を伝えるとともに「この立派なスイカは町の家へ持ち帰って家族みんなでいただきます」と話し、14日に町の家へ帰って、17日に自転車で25分ほど離れた町中に住んでいる息子の家族が遊びに来た時に彼らと一緒に涼を楽しませてもらいました。

( 2017・8/19記、8/26,up )
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2017
08.23

台風の後の村の家 (blog,530p)

Category: 村の家にて
前回ブログの続きです。
東京で友人の本の出版祝賀パーティーを夜10時過ぎにお暇して、新宿の長距離バスターミナル『バスタ』から深夜高速バスで翌8日早朝に自分の住んでいる町へ帰り着き、帰宅してその日はゆっくり休んで9日10日と少しだけ用事や買い物を済ませて10日の深夜(日付変わって11日)に町の家を出発して台風の通過した村の家へ行きました。

村の家へ着いてみると心配していた今回の大型台風5号の影響がぼくたちの村の家に目に見える形で表れていました。

      池村、台風の後・1
一目見て「ああ、相当強い雨風だったんだろうな」と思える【吹き晒された自然】と【ぼくが置いた物の位置の変化】がハッキリと目に映りました。ぼくらはほぼ永遠の宇宙的次元の中でごく限られた時間を与えられて人間として生きているだけなんだと改めて感じます。

        池村、台風の後・2
裏山の隣家との境界斜面に立っていた古い大きい枯れ木が一本、長年月の間に根元から腐れていたらしくて倒れていました。(上の写真の真ん中に見えるのがその倒木)

      池村、台風の後・3
               ↑          ↑
まだ誰も住んでいない今の内の出来事でよかったと思いながら写真を撮りましたが、枯れ木の倒木とは言えとてもぼくの力では簡単に退かすことはできない大きさ重さなので後日ゆっくり片付けることにします。

       池村、台風の後・5
                ↑        ↑
そしてこれが今回村の家へ到着して最初のショックだったのですが『ギャラリー喫茶の厨房用のステンレス製食器棚』(下の支え台部分と上の食器棚部分が二段になっている)が風に煽られて上段の食器棚部分が置台から外れて倒れてしまっていました。
               ↓          ↓
       池村、台風の後・6
今回大急ぎで村の家へ行ったのは前回記述の通り12日に【小学校時代の担任の先生だった方と級友たちの内の何人かが二百数十キロも離れたぼくの郷里の町から村の家『マンガのある農園』(準備中)をはるばる訪ねて来られる】ことになっていたからでした。

それで未だ母屋の改修改築工事もマンガギャラリーとカフェもどれも完成してはいないのですが、ともかく先生たちを楽しくお迎えして一休みしてお茶を飲めるイスとテーブルだけでも準備しておかなくてはと思って行ったわけですが、まさかこんな力仕事を台風がぼくに置いて行っていたことは知りませんでした。
(ステンレスの大型食器棚は重かった。とても簡単には動かせなかったけれど、何とか応急的に『梃子の原理』を応用してこの危険な状態を脱して再び倒れることがないように置き直すことができた)

( 2017・8/19記、8/23,up )
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2017
08.21

東京往復〔その6〕 (blog,529p)

9ヵ月振りの上京のレポを書いてきましたが今日の書き込みで一区切りとするつもりです。

今回の上京に際しては昼間の時間の過ごし方について考えた結果、何十年も前にぼくが暮らしていた場所と環境を訪ね歩いてその現在のありようを自分の記憶と照らし合わせてみようと意識して出発しました。
その結果、ぼくはちょうど物語の中の浦島太郎になったような気分を少し味わってきたのでした。

それが8月7日のことで東京は大変蒸し暑い日でした。
この日の夕方からの催しで旧知の人々に会うためにぼくとしては「お洒落」のつもりで新しいTシャツを着て行ったのに、昼間のあちこちを探訪する徒歩の旅を通じて二度も三度もすっかり大汗をかいてしまい、エアコンが効いたスペースで一休みしてやっとTシャツが乾いたら黒地のシャツ一面に汗の塩分が浮き出ておかしな模様になってしまいました。
それでもやっと夕方になって、人々が集まっている友人の出版祝賀パーティー会場へ到着しました。

 〔今日のブログページの会場写真は加工して全ての人物の鮮明度をボカシてあります〕
三宅さん・1 三宅さん・2
既に参集されていた人々の間にぼくも入れてもらって知人とは挨拶を交わし、本を出した友人には祝福を伝え、やがて開会時間になって乾杯をした後は数人の方々から出版を祝す言葉が寄せられる中、ご当人を含むそれぞれ知人や顔見知りの人たちが主としてマンガに関わる話題を巡ってあちらこちらで楽しく歓談するいつもの光景になりました。

御茶ノ水・8の1 御茶ノ水・7の1

上の写真・左に写っているお二人の内の左側の人がこの日の主役・本の著者の宮岡蓮二さんで、彼はこのペンネームの外に本名でも長くマンガ評論などの原稿を書いてきましたし、編集者、デザイナーとしても仕事をしておられる方です。(ぼくはもう忘れるほど昔からの知人でいつの頃からか彼の部屋に泊めてもらったりする友人になった)
日本の主として戦後の漫画状況に関する考察を論じる評論誌『貸本マンガ史研究』という雑誌の編集も彼の献身的な労に負うところが大きいようです。(その雑誌にはぼくもこれまで時折短いコメントを寄せてきたが、ぼくには論は書けないので今のところあくまで論外のコメントのみになっている)

同じ写真で著者の宮岡さんの隣でぼくのカメラに笑顔を向けてくれているのはマンガ家のつげ忠男氏です。
当夜、ぼくはつげさんにお会いしたのは何十年振りかだったのでご挨拶の言葉も交わさず失礼しましたが、お元気そうだったのは嬉しかったですね。(ぼくが忠男さんに初めてお目にかかったのはまだ18歳のある日のことだった)
お兄さんのつげ義春氏とも長くお会いしていませんが、忠男氏の方は時々新作マンガも発表されることがあっていつも楽しみに読ませてもらっていましたので久し振りで直接お元気な姿を拝見して本当に良かったです。

本・1 本・2
        ↑                    ↑
こちらが今回友人の宮岡蓮二(ペンネーム)氏が出された新本です。(写真・右側は本の内容の一部)
タイトルは『 APARTMENT :木造モルタルアパート 夢のゆくえ: REQUIEM 』(ワイズ出版、¥2750)となっていて、内容は約370ページにわたって大量の建物の写真が載っている「普通紙に印刷された写真集」です。

戦後の昭和20年代から40年前後に建てられた新建材と在来工法の組み合わせの建物、外壁をセメントモルタルで塗り均して簡易の防火建築方式だったいわゆる『木造モルタル』建築物を「プライベートに撮りためてきたデジタル写真データ」を掘り起こして整理した「プロフェッショナルではない人が撮った写真」の集成ということになります。
こうしたモチーフに対するぼくたち市井の人々の生活感情を共有する時代感覚が包まれた一冊になっていると言えそうです。

この写真集を手に取って見ているぼく自身も自分の前半生はずっとこうした建物の住人として過ごしてきたわけで、戦後の復興期から相当に長い期間、1970年代かあるいは’80年代ぐらいまで、田舎から都会へ出て働き、生きてきた人々の大半が少なくとも何年かはこうしたアパートや下宿の住人であったに違いないでしょう。(あるいは今現在もまだ多くの人々が鉄筋コンクリートの新型マンションや住宅展示場に並んでいるような家々とは無縁な木造モルタル集合住宅で人生の時を送っているのではないだろうか)

       新宿バスタ
帰路は新宿駅にある高速バスセンター『バスタ』(まんまのネーミング!)から深夜高速バスに乗りました。(大型台風の影響でたくさんの欠行便が出ている中でぼくが予約してあった便は運良く運行していた)

いつでもぼくの東京往復は慌ただしい日帰りが多いのですが、今回は特に急ぎ旅の必要に迫られていました。
というのは、このパーティーが7日夜の東京で、その5日後の12日には今度は東京から450キロ以上離れた村の家へ二百数十キロも離れたぼくの郷里の町から小学校時代の先生と級友たちが(まだ未完成の『マンガのある農園』の様子がどうなっているか)見に来るということになっていたのです。

そしてその外にも11日から16日まで開催中の町の盛大な『古本市』の催しにも好きな本を探しに行きたいと思っていました。(つまり村の家で先生たちを迎えて歓談し、無事にお帰りになられたことを確認したらぼくはまた130キロ以上離れた町の家へ飛んで帰って古本渉猟に情熱を燃やす!という算段で行動していた)

そしてそのハードスケジュールの全部を実行実現クリアー!!しました。
詳しくは次回のブログでご報告しまーす。 ヽ(^o^)丿

( 2017・8/19記、8/21,up )
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2017
08.19

東京往復〔その5〕 (blog,528p)

前回のブログでも書いた通り久し振りに訪ねた『東京都千代田区神田神保町』を1時間半ぐらい彷徨して、そのあと神保町交差点(駿河台下)から御茶ノ水駅のある坂上へ向かって歩きました。
18歳から25歳までのぼくの東京暮らし7年間で、この坂道を何百回か、もしかすると千回以上往復していたと思いますが、今度歩いたのは15,16年振りか20数年振りのことになるかと思います。

駿河台の坂道の両側には日本大学や明治大学の学舎や明大会館(通称学館)があって何かの催しや必要に際して時々構内や建物へも出入りしていましたが、その頃の場所を歩いてみてもぼくの記憶にあった環境も建物もすっかり変わってしまっていてまるで自分が浦島太郎になってしまったような気分でした。

        御茶ノ水・1
通りがかりに眺めるとどの大学の建物も、もの凄いキラキラの高層マンションか高級ホテルか大企業のオフィスビルのように建て替わっていて驚くばかりでした。(上の写真は明治大学の学館があった辺り、ぼくが出入りしていた頃はあちこち壊れかかって薄汚れた古い重たいコンクリートの建物が幾つかあって、高さもせいぜい3階か4階ほどだったように思うのだが今となっては定かな記憶ではない)

        御茶ノ水・2
こちらの写真は『御茶ノ水駅』です。(↑ ↑)この駅も建て替えられたのでしょうか?
駅の規模はぼくが乗り降りしていた頃と同じようなスケール感なのですが建物は昔とは違っているような感じがします。(もしかすると元の駅舎をベースに改築したり色を塗り替えたりしてあるようにも感じられる)

        御茶ノ水・4
駅の脇を流れる川は『神田川』で(↑ ↑)ぼくが通っていた頃はもっと汚くていつも複数の浚渫船が停泊していたような気がします。
川面の水の色は黒緑色でけっしてきれいとは思えませんでしたが何十年も昔の浚渫船が川底をさらい続けていた時代よりは今の方が少しでも水質が改善しているのでしょうかね。

        御茶ノ水・3
この川と線路の上に架かっている橋は『おちゃのみずばし』で橋の向う正面に立っている建物は東京医科歯科大学と病院です。(この病院には40数年前のある時大変お世話になった、というか本当に助けてもらった。でも病気やけがを治してもらったのではなかった。その時のことは別の媒体で詳しく書く予定)

そんなことをいろいろ思い出しながら橋の向う側で信号待ちをしていた時、思いもよらぬ偶然の出来事が起きてビックリしてしまいました。

普通に考えてとてもあり得ないことでしたが、ぼくと家人にとっては東京暮らしの時代からの恩人でもある大変親しい知人と信号待ちの交差点でバッタリ遭遇したのです!(見つけたのはぼくの方で「まさか?」と思いながら声をかけた)
いやあ、本当に驚きました。その方は前回9ヵ月前にぼくが上京した時に共通の知人であり彼の親友である詩人・鈴木志郎康さんのお宅を一緒に訪問したT氏で、去年彼が書いた本が出版された時にも当ブログでは読書感想とご紹介を載せていました。

今回ぼくは全く何のご連絡もせず、しかも今T氏は山梨県の甲府で暮らしておられるとお聞きしていたので、まさかこの日のこの時間にぼくが自分の勝手な思い出の経路を辿ってウロついている途上で出会うなど考えることもできないことでした。

           御茶ノ水・6
ぼくが住む町から東京までは約500キロ離れています。そしてT氏が今住んでいる甲府市から東京もたぶん100キロ位は離れていると思います。
街道筋でいっても全然違う経路にあり、上京の動機も全く違うしどう考えてももの凄い僅かな確率の偶然が重なってこんな遭遇に至ったとしか言いようがありません。
T氏は「何万分の一か、いやあ何十万分の一の偶然だね」と言われましたが、ぼくにはこういう偶然を確率計算する知識はありません。しかしひょっとすると何千万分の一以下の偶然だったかもしれません。(その確率が低いほど楽しい経験ということになるなあ)

というわけで改札口を出てきた知らない乗客の方に頼んでカメラのシャッターを押してもらった写真がこれです。(上)
東京から町の家へ戻ってすぐにまた村の家へ往復していたのでまだこの写真をT氏へは送信してありません。それで今夜からまた村の家へ行くので来週帰宅してからゆっくりとT氏にメールを書きたいと思っています。

さて、東京往復レポートを長く続けてきましたが、次回、友人の出版祝賀パーティーの模様を書いて今回の一連の記事を一区切りする予定です。

( 2017・8/19 )
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2017
08.17

東京往復〔その4〕 (blog,527p)

「そうだ、神田神保町へ行ってみよう!」と思い立ったのは前回のブログの最後に書いたように昔暮らしていた新宿区と渋谷区の境目に存在した四畳半アパートが既に跡形もなく消えてしまっていた地域をグルグルと歩き回っていた時でした。

ぼくの東京暮らし時代、それはもう40年以上前の忘れてしまったことも多い記憶でしかない世界ですが、ところどころ鮮明に覚えていることやしばしば反芻して思い出すこともあって「あそこへ行ってみたらどうなっているだろうか?」という思いがこれまでも心のどこかに絶えずありました。
        神田神保町・1
ぼくの最初の下宿は練馬区の豊島園の裏手にあった小さな間借り部屋から始まりました。
下宿から徒歩15,16分で『西武池袋線・豊島園駅』に行き、そこから『池袋駅』を経由して『地下鉄丸ノ内線・御茶ノ水駅』で下車、駿河台の坂を下りきって『すずらん通り』をちょっと左へ三筋ほどクランク状に曲がって歩いた先にぼくが初めて会社員として勤めた小さい出版社はありました。
        神保町・2
田舎者のぼくにとって『神田神保町』は憧れの町でしたから毎日その町に通って暮らせることが嬉しくてなりませんでした。
神田界隈は東京に暮らしていた時代のぼくのホームタウンでした。

        神保町・3
      (写真上から3枚、ここまでは全て神田神保町の『すずらん通り』)

大中小のたくさんの出版社と本の取り次ぎ屋さん(全国の書店へ本を配送していた出版世界の重要な中間業者)そして多くの書店、古本屋さんと辻々、路地裏にあった安い大衆食堂などが記憶の底から甦りましたが、しかし、何十年振りかで行って見てそれらの殆どすべてが頭の片隅、心の底に染み付いた残像でしかないことを実感しました。

       神保町・4
かつてぼくが憧れ、喜びを感じながら働いた小さい出版社などがひしめいていたその地域は十数年以上前に都市再開発の波に飲み込まれて巨大なマンションビルと隣立する巨大企業ビルの下敷きになってしまって、昔の風情はもちろん無く、地番地さえも消えてしまったようだとその近くで尋ねて教えられました。(写真・上が『パークタワーマンションビル』で、下が『三井ビル』)
       神保町・5
ぼくが働いていた頃にも新しいビルの建設ラッシュは既に続いていて、小学館や集英社や岩波書店や主婦と生活社といった大手出版社が白山通りや靖国通りや駿河台坂などの大通り沿いに次々に新しいビルを建てていましたが、いくつもの路地や生活道路を合わせて数十軒かあるいは百軒以上の家々をいっぺんに地上げした上に、町の一区画より大きいビルが建つことなど当時のぼくは予想したこともありませんでした。

       神保町・9
それでぼくが働いていた環境はすっかり失われてしまっていたのですが、嬉しいことに再開発の魔手を逃れて「あの頃」の雰囲気をまるでそこだけ夢のように残してくれている区画がありました。
とはいえ、すぐ後方にはあの巨大なビルが覆い被さるように迫っていますからこのエリアもいつまでこの風景を維持してくれるかは分かりませんが、、、

         神保町・7の2
そして、その中の一軒の建物(小さい出版社か取次店?)を見てぼくは驚き、且つホッとしました。
その建物はぼくが働いた会社があった建物と本当によく似た姿で建っていました。(ぼくが居たところはもう少しだけ間口が広かったと思う。そして二階の窓の外に鉄の細い手すりが付けてあった。それから初めの年にはエアコンは無くて旧い扇風機が一台あっただけで真夏には窓を開けてみんなで団扇でパタパタ扇いで涼んでいた)

         神保町・8
それにしてもこの家(左側の建物)は本当にぼくの記憶の中の職場とよく似ていて、二階の窓を開けてカーテンを開けたらそこから昔のぼく自身や、親しかった社長さんや作家さんなど今はもう居ない懐かしい人々も一緒こちらを見て微笑んでいるんじゃないかと想像してしまいました。

( 2017・8/10記、8/17,up )
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2017
08.15

東京往復〔その3〕 (blog,526p)

前回ブログでは『京王線初台駅』から甲州街道をちょっと幡ヶ谷方向へ歩いてそこからちょっとだけ北へ入ったところへ、ぼくが40数年前に住んだことがあるアパートがあった場所を訪ねたところ、なんとそのアパートの建物がそのまま現存して嬉しかったことを書きました。

今回はその続きになります。
ぼくはその場所から今度は新宿区十二所(じゅうにそ)の方へ向かって歩いて行きました。
そこから徒歩でほんの10分ばかり離れた新宿寄りに、ぼくが警察近くのアパートに引っ越すまで暮らしていた四畳半一間の家賃の安いアパートがあったのです。

       初台・6
上の写真はその途中にある『不動通り?商店街』で、道路両側のお店の家々はすっかり建て替わっていましたが今でも地元の商店街としてちゃんと機能しているらしいのはやはりぼくのような人間から見ると嬉しい思いになります。
昔の市場機能を持った小規模スーパーが頑張っているようでした。
そういえばコンビニがなかったように思います。(あったかもしれないがぼくが見落としたか?)つまり大スーパーとコンビニしか生き残れない町ではないことが嬉しかったということです。

さて、その家賃の安いアパートはいわゆる木造モルタル二階建ての一階と二階に十数室の小さな部屋が連なったトイレ共同(台所湯沸かしだけは部屋についていた)の「戦後を象徴する」労働者や学生のための粗雑な民間共同住宅でした。

       初台・7
しかしやはりもうどこにもぼくが住んでいた『清風荘』という名前のそのアパートを見つけることはできませんでした。
ただ、ぼくが暮らしたその辺りにはまだ何軒かの似たような建物が残っていることが分かりました。(上の写真のツタが絡まったアパートらしき建物もどことなく似たような雰囲気があった)

前回レポートした警察署近くのアパート(建物が現存していた)にも、この辺りにあった『清風荘』にもぼくには多くの思い出があります。

人が一生を生きるということにとって「住まいが変化する」(生活環境が変わる)ということは一体どんな意味や構造をもつものなのだろうか?
と考えながらグルグルと住宅街を歩き回り、まだ友人たちの集まりまで十分に時間に余裕があったので、ぼくが上京して最初に働いた小さな出版社があった千代田区神田神保町のあのエリアはどうなっているだろうか?と思いが及んで「よし行ってみよう!」という気持ちになりました。

( 2017・8/10記、8/15,up )
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2017
08.13

東京往復〔その2〕 (blog,525p)

前回のブログの続きになります。
40数年振りで自分が暮らしていた場所を訪ねてみたことを書いています。

最初に行ったのは『京王線・仙川駅』周辺と、そこから徒歩7,8分で到着したぼくと家人M(現在まで生涯を共に過ごしている人)が一緒に暮らした小さい借家のあった界隈でした。
しかし残念ながらその家は既に無く地域の環境も激変していて全く自分たちがそこで暮らした記憶につながる面影を見ることはできませんでした。

       初台・1
それで次に向かったのは同じ京王線の『初台駅』からほど近い二ヵ所のアパートのあった場所でした。(上の写真は京王線初台駅の前にある甲州街道・国道20号線)

二ヵ所の内の片方はすぐに分かりました。たいへん分かり易い目印があるからです。
その目印が下の写真『警視庁代々木警察署』です。(警察署の建物も移動したり建て替えたりする場合も多いが、代々木警察署はほぼ40数年前のままだったとぼくには思えた)

       初台・2
その甲州街道沿いの警察のビルのすぐ近くに前回レポートした『仙川』の方へ引っ越すまで1年間位だったかぼくたちが二人で暮らしたアパートがありました。
行ってみると、なんとその建物が同じ場所にそのまま建っていたのでなんだかちょっと驚きを感じました。
「あっ!!ある!!あった!!」という何とも言えない気持ちの揺れを瞬間感じて、その揺れがすぐに小さな安心感に変って行くのを味わいました。

        初台・3
ここはアパートという名前が付いていましたが外見は普通の民家でした。確か玄関が二つあって一階と二階で別々になっていて、二階がアパートとして使われていたのだと思います。
(現在はもうアパートとしては使われていないように見えた)

ぼくたちがこのアパートの住人になったのはある事情があって、友達の厚意を受けて契約を引き継いで移り住んだ部屋でした。(借りている名義人は友人の女性音楽評論家の名前のままだった)
ぼくたちは写真の建物二階の右奥に見える窓の部屋で暮らしましたが、その窓からは代々木警察署のパトカーや機動隊装甲車両などが出入りする様子や機動隊員が武闘訓練をしているのが間近に眺められたものでした。

しかし今では間に大きい家が建って視界が塞がっているようだったし、その分警察の空き地も狭くなったように見えました。

        初台・4
警察署と反対側のこちら隣りにも確か家が建っていたように覚えていましたが今は家が無くなって駐車場になっていました。
上の写真に見える二階の一番左側の部屋がぼくたちの住んだ部屋ですが、建物全体の印象がその頃よりきれいになっているのがちょっとだけ違和感を感じています。

これは多分この間に持ち主の人が何度か建物の内外装をリペアー工事して新しい建物のように作り変えてきたのだろうと思います。ぼくはそういう生活の仕方が好きなのでこれは好感が持てていいことだと思いました。

        初台・5
何せ立地条件は東京副都心から歩いて15分かそこらの場所にあるのですから大規模再開発されてしまってドドーンと高層マンションに変ってしまっていてもおかしくない土地に、昔と同じ家を大事に使っている人がいるのは嬉しいことです。
隣の駐車場からは都庁舎のビルが写真で見るよりずっと近くにあるのが見えました。

( 2017・8/10記、8/13,up )
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2017
08.11

東京往復〔その1〕 (blog,524p)

8月7日、8日、大急ぎのとんぼ返りで東京を往復してきました。
東京住まいの長年の知人の一人が新しく出した本(写真集)の出版祝賀パーティーの案内が届いたので参加してきたのです。
                   〔1〕
       仙川・1
パーティーは夕方からで昼間の空き時間がたっぷりあったので、台風の影響もあってもの凄く蒸し暑い中でしたがちょっと頑張ってある計画を実行してみました。
それは40年以上前にぼくがまだ20歳前後の数年間を暮らしていた場所やエリアを思い出せる範囲で少し訪ね歩いてみようという計画でした。

                   〔2〕
       仙川・2
今回最初に行ってみたのは『京王線・仙川駅』の界隈でした。
写真〔1〕はすっかり様変わりしてしまった『仙川駅前』と〔2〕は線路橋から見た調布方面の風景です。
                   〔3〕
       仙川・3
写真〔3〕はいつも食料品や日用品の買い物に行っていた駅前から世田谷方面へ向かう商店街で、この通りにはかすかに40年前の面影が残っているかなあ、でも全く変わったようにも思えるなあ、という感じでした。
                   〔4〕
       仙川・4
写真〔4〕の『神代書店』には大いに記憶があります。
40数年前のある日、この本屋さんで雑誌を立ち読みしていたら背の高い中年の男が入ってきてたまたまぼくの横に立って何かを見ていて少しの時間の後、店主の人とちょっと話して出て行ったのですが、その人は俳優の宍戸錠でした。(後に聞いたところでは彼はこの商店街の近くに住んでいるということだった)

当時ぼくはこの町に暮らしてバスや自転車で写真の神代書店の右横に延びる道をまっすぐ奥(南の方)へ走って小田急線成城学園駅の向こう側にあったテレビ・映画撮影スタジオの『東京美術センター』というところに通って働いていました。
そこでぼくは特撮テレビ映画の『帰ってきたウルトラマン』という作品の美術部アルバイトスタッフをやっていたのです。
通勤コースの途中の畑の間に大スター三船敏郎の『三船プロダクション』がありましたが入ったことはありませんでした。

仕事で通っていた成城学園へ行く方向とは逆に仙川駅から北へ歩くと甲州街道(国道20号線)があって、ぼくが住んでいた借家はその甲州街道を横断して7,8分行った先にありました。

                   〔5〕
       仙川・6
     (甲州街道 ↑ ↑ はその頃とあまり変わっていないように観えた。)

借家があった界隈にはその頃にはまだまだ畑や林があって『観光ブドウ園』なども何軒かありました。
都内の目白に住んでいた親しいご夫婦が幼稚園児だった娘さんを連れて遊びに来て一緒に巨峰のブドウ狩りを楽しんだことも思い出しました。
しかしその農園の場所がどこだったか、今となってはは全く分かりません。

                   〔6〕
       仙川・7
21世紀の現在、もうほとんど姿を消してしまった大都市の元農家の平屋の家屋ですが、珍しく甲州街道沿いに昔のままで建っているのを観たので(といっても上の写真〔6〕の右手の家は完全に廃屋だったが)もうこの次訪れる機会がもしあってもきっとなくなってしまっているだろうと思って下の画面の家とともに写しておきました。

                   〔7〕
       仙川・8
そしてぼくが暮らした小さい借家が建っていた辺りを探し歩いたのですが、たぶんこの辺りだったはずだと思う一帯(東西南北100メートル四方位)を何度も歩き回って、そのエリアの家の方にも訪ねてみたのですが、ここ20年ほどの間に町の作りがすっかり変わったということで、どこにもぼくが暮らしていた頃の記憶につながる地形や雰囲気を思い出すよすがは見つけられませんでした。
                   〔8〕
       仙川・10
それで甲州街道からの徒歩距離感覚とウル覚えの住所の地番地を頼りにおそらくこの辺がかつて自分が暮らした家のあった辺りだろうと思われる場所の現在の姿(写真〔8〕と〔9〕)を撮って次の目的地へ行くために仙川駅へ引き返して電車に乗りました。

                   〔9〕
       仙川・9
ぼくの東京時代は『練馬区』から始まって『渋谷区』(生活したのはほとんど新宿エリアだった)そして『三鷹市』へと続いた4軒のアパートや借家を引っ越し歩いた7年間でした。

今回の上京ではそうして暮らした4軒の内、3軒の建物があった辺りを訪ねてみたのですが、建物やエリアを確認できたのは一か所(一軒の家)だけでした。
あとはもう全く知らない町に変わってしまっていて、数か所で年配の方々に声をかけて当時のことを直接お訊きしても誰一人ぼくが暮らしていた建物や地域について記憶している人には出会うこともありませんでした。

( 2017・8/10記、11,up )
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2017
08.09

土木工事 (blog,523p)

Category: 村の家にて
ぼくは【環境】という意味でも【仕事や物】という意味でも、若い頃から基本的に自分の居場所を自分で探して作れるものは作って生きてきました。
そのことに関しては「もう人生も後半の、そのまた後半辺りに達している今でも」ほぼ全く変わらないスタイルで暮らしています。

きょうは7月16日から8月1日までの村の家でのそんなぼくの労働の一部を写真で掲載してみようと思います。
       ブロック基礎工事・3
先ず作業に先立って、ホームセンターから大量のコンクリート資材とブロックを購入して自分でトラックを借りて現場へ運搬しました。
外気温35℃を超すような熱暑の中で一袋20kgから25kgの重さのセメントや砂や砂利を何十袋もトラックの荷台から母屋の庇の下の仮置き場へ運ぶのにトラックで2往復、搬送時間も合わせると約3時間の労働で、文字通り汗が噴き出す勢いでした。

       ブロック基礎工事・4
                ↑        ↑
     ( 取敢えず雨に濡れないように母屋軒下へ積み上げた土木工事資材 )

それからツルハシや鍬やスコップで土掘りを開始して、この場所がただの山土の地面だったら数時間で掘れたはずの容積(縦横約90センチ x 90センチ、深さ約50センチ)だったはずでしたが、、、、、
       ブロック基礎工事・1
あいにくここは頑丈な鉄筋コンクリート基礎のブロック建築物が取り壊された跡地で、まだその基礎の一部が構造物としてそのまま残っている上に解体時に出た大量のコンクリート瓦礫の一部が土中に埋めたままにしてあるので、その瓦礫を掘り出すのが一苦労でした。(瓦礫の選別と取り出しは手で直接行なった。)

       ブロック基礎工事・2
泥だけでもスコップで10回かそこら掬い上げて掘りだすとあっという間に運搬用一輪車に一杯になってしまうし、この年になって土木作業を頑張るとすぐに息が上がってしまって呼吸が苦しくなり、ちょっと掘っては息を整え、またちょっと掘っては息を整えながらの労働でした。(毎日作業中と作業後に4~6リットル位のお茶と炭酸飲料とジュース類を飲み続けたが、それ位すぐに汗に換っていたと思う。)

       ブロック基礎工事・5
それでも何とか頑張ってほぼ同じ大きさの二ヵ所の穴掘りが終ったら、底に10センチ前後の厚さに砕石を敷き詰めて地面を叩いて平面を確保して、その上に鉄筋のメッシュを穴底の寸法に切って置いてからやっとセメント・コンクリートの出番です。

       ブロック基礎工事・7
メッシュの上から捨てコンを打ち鉄筋で位置を定め安定させながらその捨てコンの地面にブロックを積み上げて行きました。

         ブロック基礎工事・8
この大きさの穴では中へ自分が入って作業をすることはできないので外側の地上から上半身を穴の中へ折り曲げて作業をして行きました。(それはかなり難しい姿勢で疲れも重なった。)

       ブロック基礎工事・9
ブロック一段の高さは20センチですからそれを三段積み上げて60センチの深さの支柱基礎を作ることにしていました。
そのブロック三段で囲いを作った内外にブロックと鉄筋を底面に固着させるための捨てコンを約10センチ厚さに注ぎ込んで市販のカーポートの2本の支柱が立てられるように下準備をしておいたのです。

       ブロック基礎工事・12
カーポートの支柱を立てて屋根を張る作業はプロの職人さんがやってきて1日でセットアップしてくれました。(その作業プログラムは販売会社の担当者と事前に打ち合わせをしてあった。)
       ブロック基礎工事・11
コンクリートの塊としてブロックの内も外も全部を一体化して基礎としての安定を物理的に確保しなければなりませんので、ポールを立てて埋めたブロックの周囲はできるだけ厚くしっかりしたコンクリートで埋め巻いておく必要がありました。

       ブロック基礎工事・13
こうして11日間に亘って土掘り、鉄筋組みとセメント工事を続けた結果、ぼくの貧弱な体力は限界近くまで疲労困憊しつつありましたが、どうやら一応ぼくの作業するべき最初の予定の仕事量を終得することができました。

       ブロック基礎工事・14
工事が一段落した結果、母屋の軒下に保管したすべての土木工事資材を残らず使い切ってしまった上、途中でまたホームセンターへ行き追加して土木資材を買い込み、トラックを借りて運んできて工事を続けました。
そのようにして今回の工事で使った資材の合計は、セメント16袋、砂40袋、砂利48袋、鉄筋16本、ブロック24個でした。

( 2017・8/9 )
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2017
08.07

7月17日の収穫 (blog,522p)

Category: 畑のあれこれ
前回のブログでも書いたように「今年は植え付けた夏野菜の種類は少なかった」のですがその多くがうまく育ってくれました。
それで7月16日に村へ行って17日に早速収穫をしました。
今日はその時の写真を載せます。

   7月17日収穫・1
              ↑            ↑
     ご覧の通りです。いわゆる『無農薬有機栽培』と言われる育て方です。

ただしぼくの場合、自分でこの『農業見習い』を始めた2013年9月以来今日までのまる4年間は全く農薬を使わずに野菜を育ててきたわけですが、この畑のある家をぼくたちに譲ってくださった元の地主さんが長年ここで農業をやっておられて、おそらくある程度の農薬を使用して作物を育て、雑草や虫や野菜の病気に対処してきたのだろうと思われる節があったので、長年に亘る残留農薬が耕作と雨風などによる自然代謝によってこの畑の土壌から抜けて行くまでは『完全無農薬農業』と言うことはできないのではないかと思っています。(とはいえ、まあ4年間一切の農薬を使わなかった事実も認めていい努力だとは思う。)

         7月17日収穫・2の1
それから『有機栽培』という部分に関しても正直に言えばちょっと怪しいものがあります。
堆肥は主として発酵処置された牛糞や鶏糞を鋤き込み、石灰質も半分は牡蠣の殻を砕いて精製したものなどを使い、自分で雑草や食物の残滓などを畑に溜置いて自然発酵させたりしているのですが、どうしてもそれだけでは土中のペーハー調整や窒素・リン酸・カリ、のバランスがうまく取れません。

        7月17日収穫・3
それで堆肥と併用する形で有機質ではありますが一般的な『化成肥料』も使用せざるを得ないのが現状です。
けれども考えようによってはそのおかげでたとえば病原性大腸菌である“O157”のような恐ろしいものが増殖する危険を抑制していることにもなるとは言えるのです。
というわけで厳密にいうとぼくの【見習い農業仕事】は現状『無農薬“半”有機栽培』とでも言えばいいでしょうかね。(うーん、やっぱりアバウトだ。)

       7月17日収穫・4
さて、幸いにして今年は今のところ畑で作物の食害虫が大発生したり野菜特有の病気に育成が阻害されたりという大きい被害が少なくて済んでいますので、今回のように元気な野菜がたくさん採れて嬉しい気分を味わえました。(しかし枝豆などのように期待が潰えた種類もあることはあった。来年は豆類の栽培も頑張るぞ!)

    7月17日収穫・4の1
ところで元気で育つと野菜はすぐに巨大になってしまうものがたくさんあります。
何といってもその代表格はキューリです。
一番上の写真でそれぞれを比較的に観られるようにしているつもりなのですが、簡略に寸法だけメモしておきます。

先ず『トマト』(プチ、ミディー、普通)が直径2,5センチから6センチ位、一緒に写っている『伏見ナンバン』(甘口)というのが長さ7,8センチから15センチ位です。
それから『ピーマン』も8センチから12センチ位になり、同じく『万願寺トウガラシ』(甘口)というしし唐類も8センチから15センチ位のものまで採れました。
次の『ナス』は左側に置いた一番長いのが実だけで長さ20センチあり丸ナスの直径は11センチ以上になりました。
そして極め尽きが『キューリ』で、長さ40センチを超えていました。もうこれは普通にキューリと呼ぶ状態ではなくて殆ど『ヘチマ瓜』という方がよさそうです。
ドデカキューリの下に写っているのは『オクラ』です。これもみんな育ち過ぎてしまって平均で15センチ位の長さになってしまっていました。

        7月18日、夕食は野菜・1
               ↑          ↑
さっそく採れた野菜を油で炒めてダシ汁とカツオ節で味を落ち着かせて、家人が作って持たせてくれたオムレツと並べて夕食を食べました。

思いの外に長期間の滞在になった今回の村の家行きでしたが、いつものように質素な暮らしをしてきました。
大事な食生活も半分だけ自炊して、あとの半分はスーパーで総菜コーナーを歩き回ったりお弁当を買ってきたりという若い頃の一人暮らしと変わらないやり方を続けてきました。

1960年代から米国の青年たちの間に流行った『ヒッピームーブメント』とともに世界中で喧伝された【菜食主義】(ベジタリアン)に、ぼくはなったことはありませんでしたが、基本的に日本人の食生活はほぼベジタリアンに近いし、若い頃から収入が少なくて貧しい暮らしをしてきたぼくは大金を浪費する豪華な食事に全く興味が湧きませんでした。
だからというわけではありませんが今回も収穫できた野菜を極めてシンプルに調理して毎日少しづつ食べて命を繋いでいました。 
( 2017・8/7 )
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2017
08.05

夏野菜 (blog,521p)

Category: 畑のあれこれ
数回に分けて今回の村の家16日間の滞在中のあれこれを書こうと思いますが、先ずは何といっても畑の事から書き始めようと思います。

今回村の家へ行く前後に気象庁発表ではこの地方の梅雨が明けた模様でしたが、なんだか今年はぼくが暮らしている大都市でも村のある地域でもどちらに居ても梅雨らしい雨が降り続いた日々の記憶がないままで過ごしました。
しかし外気の蒸し暑さは相当で季節はちゃんと真夏へと移り変わって来ていることが分かります。
       夏野菜・1
             (ナス ↑↑ 今年は出来がいい!)

毎回、苗を植える時には「大丈夫かなあ、しっかり育ってくれるかなあ」と期待と心配をしながら作業をするので、途中で何本か萎れてしまったり虫に根や葉を食い荒らされたりして倒れる苗がある度に残念で口惜しい気分を味わいながら、苗を追加してみたり他の野菜の種を蒔いてみたりと「なんとなく行き当たりばったり」の努力とも言えないささやかな農業実践をしています。

       夏野菜・2
          (万願寺トウガラシ ↑↑ これも出来がいい!)

しかしよくしたものでズブの素人であるぼくなどが、たった数冊の農業参考書や家庭菜園案内冊子を見たり読んだりしながら見様見真似以前の初歩的な栽培をしていても、ある程度の作物は花を咲かせ、実をつけたり根を太らせたりしてくれて、何とか自分が食べられる野菜に育ってくれるのは嬉しいものです。

       夏野菜・3
          (トマト ↑↑ これも今までで一番出来がいい!)

まだこの【勝手に農業見習い】仕事を開始して今月8月末でまる4年、来月になるとやっと5年目を迎えるところです。

この間4回の春夏秋冬を過ごして来た1千数百日の月日の内、およそ半分の数百日間をぼくは独りで村の家で寝起きしてきました。
その間に住まいの工事の関連作業をやってもきましたが、やはり滞在日数の大半は畑の労働に従事している時間の積み重ねになってそれなりの経験を積んできたことになります。

       夏野菜・4
           (オクラ ↑↑ これも最高に出来がいい!)

畑を耕すようになった最近の4年間は、ぼくのこれまでの人生の中で短いとも言えるし長いとも言えるのだろうと思いますが、少なくとも(生活費を得るために寝る間を惜しんで労働して来ただけではない自分の生涯の中でも)かなり楽しい充実感を味わうことができる年月になってきました。
そして作業日程と自分の一人きりの労働力との塩梅(配分)都合で少しの種類の野菜しか栽培できなかった今年の夏の作物でしたが、その出来は思いの外の良い成果が続いています。

       夏野菜・5
        (地這いキューリ ↑↑ 凄い出来量ですごく出来がいい!)

今日のブログに載せた畑の野菜の写真はどれも見事な育ちで、収穫を楽しみ、町へ持ち帰ってもぼくたち少人数の家族では決して食べきれない作物の分量になりますから、いろいろ取り混ぜて親しい友人知人の方々5か所と工事で来られた職人さんなどに、宅配便で発送したり自分の手で直接届けたりしています。

 ( 2017・8/5 )
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2017
08.03

梅雨から盛夏へ (blog,520p)

Category: 村の家にて
この頃では村の家の滞在日数の方が町の家へ帰って暮らしているより長くなることも多くなっています。(というか、本来ならば遅くとも去年の内には村の家へ引っ越して生活の本拠地は既に村にあって、たまに町の家へ来るようになっているはずだった。基本的に工事の完成が遅延してここまで移住の予定が狂ってしまっている。)

今回は7月16日に行って8月2日の深夜に町の家へ帰宅しましたのでまる16日間村の家に滞在していました。
村の家はもうすっかり夏の雑草の中にありました。

     夏の母屋
上の家周りの写真は7月17日に撮ったもので現在はさらにすごい雑草の中に埋もれる状態になっています。
今回の滞在は母屋の改修改築に付随した工事を自分でやることが主目的だったので、とても家周りや畑の雑草をすっかりきれいに刈り取ることまでは手が回らず已む無く草刈り等は次回に行くまでの労働延期として放置せざるを得ませんでした。

      夏の畑・1
                ↑        ↑
          数種類の野菜を栽培中の畑の写真(7月17日撮影)

           ほぼ同じ位置から観た畑の写真(7月30日撮影)
                ↓        ↓
      夏の畑・2
これまでの4年間の経験で解ってきたことですが、この地域では畑に限らずおよそ地面に土と水がふんだんにある環境下であれば、雑草たちはほぼ2週間位で一斉にそして十分に大地に繁茂する存在のようです。
それはまさに生命活動そのものだと分かります。

そんな生命活動の充満しているまるで緑の草の海のような中で寝起きして身体を使って労働していると、植物に限らず虫や動物たちまで本当に多くの命の存在を毎日毎日朝から晩まで感じ続けることになります。

今回の長い滞在中もぼくにとってはたくさんの遭遇、発見、驚異を感じ続けてきました。
これから数回に分けてどんなことをしてきたか、何を見たかなどその楽しみと興味と驚きに関する内容を記しておきたいと思います。

 ( 2017・8/3 )
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