2017
11.26

故郷の伝説 (blog,562p)

人が生まれて育った故郷を離れて暮らす場合、いつどういう形でその土地を離れたかによって郷里への思いはいろいろだと思います。

ぼくの場合は18歳で高校を卒業してすぐに当時の国鉄(現在のJR)東海道線普通列車で約5時間ほどかかる東京へ出て行きましたので、自分が生まれて育った町や土地についての歴史や風俗(民俗)などをあまりたくさん経験も知識もせず、僅かばかりの伝説やお祭りなどを知っていただけでした。
その少ない知識の中の故郷の伝説の一つが今度訪ねてみた『東海道日坂宿』の地域にありました。
    東海道・日坂・2
上の写真の『浮世絵風看板絵』は下の実際の風景の辺りを描いたもののようで、前のブログにも記しましたが日坂宿界隈です。

  (上の絵とよく似た風景を写してみたが、似たような場所は他にも何ヵ所もあった)
    東海道・日坂・4
現在ではもうこの厳しい坂道の途中には宿屋も人家もありませんが、この一帯はぼくが子供の頃からよく聞いた『小夜の中山・夜泣き石伝説』の舞台として有名な、旧東海道の最大の難所の一つだったそうです。

この坂道部分は一般道ですが、あまりの急阪で道幅が狭く、つづら折れの険しさでとても気軽に自動車で走行することはできないようです。(ぼくは今回、敢えて自分の4輪駆動車で挑戦してみたが50メートル先で立ち往生して貫走を断念した)こうして写真を見てもそれほど急な坂のようにも狭い道のようにも見えませんが、ものすごい急坂で自動車はすれ違えませんし上に行くとカーブも切り切れない感じです。

 東海道・日坂宿・1
こちら(写真・上 ↑ )が歌川(安藤)広重が画いた『東海道五十三次浮世絵版画』の中の『日坂』の光景です。
ぼくの郷里からはあちこちで富士山が遠望できるのですが、この辺りからどういう角度で富士が望めるのかはちょっと分かりません。(絵の中の道の真ん中に大きい丸い石が見えるのがたぶん伝説にある『小夜の中山の夜泣き石』ではないかと思う。その右手の道の急勾配はもちろんデフォルメだろうが、当時の人々には実感が伴っていたに違いないと思われる)

    東海道・日坂・5
じつは面白いことに伝説の『夜泣き石』と言われているよく似た大石が地元には二つ現存しています。
その一つはこの急な坂道を登って上方方面から江戸方面へしばらく歩いた先の久延寺(くおんじ=上の写真が山門)というお寺の境内に祀られています。(下の写真が境内に祀られている夜泣き石)
       東海道・日坂・6
そしてそれぞれの夜泣き石には微妙に違った伝説の解説書きが添えられています。
久延寺は初代創建は平安時代と伝えられる古刹ですが、度々の焼失などがあって現在の建物は江戸時代の何回目かの再建後の姿ということでした。(下の写真がお寺にある解説書き)

    東海道・日坂・3
ぼくが訪ねた日、小夜の中山は東海道の難所だった歴史に相応しい突然の深い霧に覆われて行き、ぼくはなんとなくここが自分の郷里の町の外れではなくてどこか全く知らない土地を旅しているような幻想的な気分を味わいました。

    東海道・日坂・7
(茶畑の上を深い霧が覆ってゆく。↑ ↑ ぼくの故郷は日本最大の緑茶の生産地でもあり、上等の深蒸し茶を生み出すためにこの霧が必要で「寒暖差や湿気がいい茶葉を育てる条件」と言われている)

さて、久延寺の夜泣き石がある場所から数百メートル北方へ離れた峠の辺り、新しい国道近くに「明治時代に旧東海道小夜の中山から移転させた夜泣き石」が祀られていて、地元ではこちらが本物の夜泣き石だと言われています。(下の写真)
            ↓     ↓
    東海道・日坂・8
そしてこの下の写真2枚に分割して載せた説明書きがこちらの夜泣き石伝説です。
内容はよく似てはいるのですが、お寺の夜泣き石に出てくる子供は因縁の結末を親の仇討ちで晴らし、こちらの伝説にある子供は親の仇である者を許して一緒に自分の母親の魂(菩提)を弔う話になっています。

       東海道・日坂・10
        東海道・日坂・11
その説明文を読んで知ったのですが、非常に長い歴史年代(数百年間、あるいは一千年以上?)に亘って東海道の難所だった『小夜の中山、日坂宿』が、いつまで実際に難所だったかというと、明治13年(1880年)に明治政府が日本で初めての有料道路として5キロ間の新道を開通するまで続いていたのだそうです。

この細い狭い急阪の道を古代の奈良まほろば万葉人や九州地方から東国へ送り込まれた防人や上方人(京都や大阪の都会人)や戦国の動乱に群雄割拠した武士(もののふ)や戦乱に追われた庶民大衆や松尾芭蕉のような旅人や、本当にたくさんの人々が行き交ったのだろうと思うと大きな感慨を持ちました。

今は通う人もない田舎の山坂道ですが、ここに確かに千数百年の人の営みを支えた街道の名残りが残っていることをぼくは何か自分の心の奥深くにある記憶の淵で噛みしめたいと思いながら、夕暮れが迫る郷里の町から270キロほど遠方のいつもの村の畑のある家へ向かって帰路に着きました。

( 2017・11/26 )
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